2023/7/6 新三河島にて

※誤った情報が入っていましたので、お先に訂正いたします。私がそっくりなのは桂子師匠の息子さんではなく、お孫さんです。
「漫才と親切」のくだりでのゆたさんからのお言葉は好江師匠のおっしゃった言葉でございます。
これは日記なので、間違ったことも含めて記録したいと思っているので、内容については削除、書き直しはしないでおこうと思います。(2023/7/6訂正)

今日は10時ころに起きた。
今日はまる一日休みであるから、ウーバーでもやろうかいなと思っていた。
起きてから、まずは漫才のための情報収集から始めた。

これもひとつの逃げである。ウーバーよりも漫才のために先週末のワイドショーをチェックすることの方がおもしろいのである。私はワイドショーに逃げたのだ。しかし、漫才師と言うのはアコギな商売と言うか、あまりに浮世離れと言うか、ワイドショーを見るという行為でさえも仕事として勘定してしまう。それで自分を納得させてしまえる。気軽な商売である。

2、3時間ほどメモを取りながらワイドショーを見ると眠たくなってしまった。
眠ることにした。
起きてから、ようやっとウーバーを始めた。
今日の夕方はそこまで暑くない気がした。
どことなくサラッとした空気が漂っている。このまま翌朝までウーバーをやってもいいかなと思えた。しかし、今日は19時から笑組のゆたさんとの食事会がある。
帰宅して、シャワーで汗を流してから新三河島に向かう。

新三河島に着いて待っているとゆたさんが北の方角から歩いていらした。
到着するとまず、「あなたは誰かに似ていると思ったけどようやく気づいた。桂子さんの息子さんにそっくり。」とのことだった。
これはなんとも言えない情緒があるお言葉だった。
例えば、「福山雅治さんクリソツ」と言われれば即、ありがとうございます!と返事して、メガネを触りながら「実におもしろい」なんて言ってもいいだろう。
「西田敏行さんクリソツ」と言われれば泣く真似をしながら「まっちゃんさ〜」とモノマネをしてもいいだろう。
「三國連太郎さんクリソツ」と言われれば、歯を自ら引っこ抜いて映画に出てもいいだろう。
何の話だ。

ちなみにゆたさんのおっしゃる「桂子さん」というのは伝説の漫才、桂子好江の桂子さんで、メディアではナイツさんの師匠にあたる桂子さんだ。北川景子さんのことではない。
北川景子さんの息子は存じ上げないがきっとイケメンであろう。
桂子師匠の息子さんも、まあイケメンであろう。

と、そんな話からスタートした。
新三河島のイタリアレストランに行って、いろいろと注文した。私にとってのイタリアンとはサイゼリヤのことであり、サイゼリヤ以外行ったことがない。こちらも美味しいイタリアンであった。

食べながら様々なお話をいただいた。漫才の課題や、現在マセキで最も恐れられている方との若いころの思い出話などを聞くことができた。
どれも私が文字に起こしてはリアルクビになるので書き起こさないことにした。
しかし一点、これは特に納得と自分の課題だと思ったお話があったのでそこだけ書き残し、皆さんにお伝えしたい。

「親切でなければ漫才はできない」というお話だ。これは確かに共感した。漫才は自分がおもしろいと思っていることをお客さんに聞いてもらって、言葉や身振り手振りでお客様の脳にお届けすることだ。
程度の差はあれ、お客様に対して親切にここがこう面白いんですよというのを伝える芸であろう。もちろん我々の漫才とは芸と言えるほどの立派なものではないが、それを身に着けたいと思っているならば、親切でなければいけないと納得するとともに、自分はそれができていないなと思った。

というのも、この新三河島へ自転車で向かっているとき、ある赤信号で停まっていると私の走っている車道とクロスする横断歩道で車いすの方が渡っていた。
イメージで言えば、ロの形で横断歩道がかけられており、ロの底辺の棒の手前に私が停車しており、ロの上の棒を車いすで渡っていた。

車いすのおじいさんはとてもゆっくりわたっており、これは絶対に青信号中に渡り切れないな、私が自転車を降りて車いすを押したほうがいいのかなと思いながらも、押してあげることはできず、別のおじいさんがやってきて車いすを押してなんとか青信号ギリギリで渡りきることができた。

ああ、私は人に親切にする力が身についていないなと反省したばかりのところに、ゆたさんからこの話を聞いて、まだまだ漫才の修行が足りていないということが身に染みてわかった。

若手諸君もおもしろい漫才をするために人に親切になろう。魂を善くすることが漫才技術の向上にもつながるのだ。

と、そのように楽しい食事会を終えて帰宅した。
帰宅して、スポーツニュースをつけた。

巨人戦の結果が流れていた。今日はプロ野球の結果を見れていなかったので、今日は勝ったのか負けたのかを楽しみにしていた。

アナウンサーは映像が流れるとともに「〇連敗中の巨人、チームを救ったのは丸選手。」と話し始めた。
親切じゃないな~と私は悲しくなった。ニュース番組とはいえ、私はこのハイライト映像で試合の熱狂を楽しもうとしていたのに「連敗中」のあとに「救ったのは」とくれば、もうこの試合は勝つということだ。
こんなに簡単にネタバラシされるとはまいった。

楽しみにしている人が少ないだろうと、ネタバラシをしてはいけない。
意外とテレビの中でも言葉を大事にしている人としていない人といるのかもしれない。

我々もどの舞台でも全力を尽くさないといけない。言葉を大事にやっていく。

今日面白いと思ったことは「京二師匠がいま、真横で指導をしている。親切である。」


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爆弾世紀末藤崎「善いスキャンダル」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。