2025/01/25 なんもない日を良い日に
昨日は寝不足のまま朝から晩まで働かせていただいた。ネタ作りも重なって、かなりの疲労困憊だった。
お恥ずかしながら、寝ては起きてはを繰り返して、結局16時くらいになってしまった。いやあそれにしても寝ようと思えばこれくらい眠れるものである。
昨晩は、差し入れでいただいた入浴剤を入れて久しぶりに湯船につかった。これによってぐっすりと眠り、見事に疲れが取れたと言ってもいい。ありがとうございました。
そんな昆んで、一日眠っていた。しかしここから予定がある。19:30から西日暮里で、ホンキートンク遊次さんとの触れ合いがある。
遊次さんは、定期的におしりあいと触れ合う機会があるそうだ。お知り合いのかたが、だれか呼んでみて欲しいとオファーがあり、この度は私にお声がけいただいた。どういったメンバーなのか遊次さんに聞いてもなぜか教えてくださらなかった。遊次さんは落語協会にも所属されている、漫才の雄である。ふれあい会となると、私も存じ上げない大師匠がいらっしゃるとかならそれなりの服を着たり、なんなら手土産もいるかもなと思っていたが教えてくれなかった。じゃあ、別に肩肘張らなくてもいいということで、いつも通りのトレーナーにワークマンの偽物MA-1を羽織っていく。
西日暮里は我が家から歩いて30~40分くらいで、ウォーキングにはちょうど良い距離だからノシノシと歩いていく。到着すれば、遊次さんと一般の方(お笑いではない方)というメンバーで、私を入れて4名という小規模だった。ふう、良かった。そこまで緊張しなくてもよさそうだ。
私が19:30ぴったりに到着したものだから、他のお三方は19時ころに到着してお店を探してくださっていた。私の気分は串焼きだったから、ちょうど良い昔ながらの串焼きがメインのお店にお邪魔した。
さあてとお酒を飲みながら、遊次さんの話を聞いていく。
現在の漫才協会では、高齢の新人はそこまで珍しくない。かんでぃ中野さんの60数歳が衝撃だったが、その後に高円寺Kのカトーさんというリアル高齢者が現れた。もう誰が来ても若く感じてしまう。
しかし、これらの黒船が来航するまでは遊次さんが高齢の新人枠だった。我々が漫才協会に入ったのが26歳くらいで、同時期に35歳くらいの遊次さんが入ってきた。たまげた。こんなに年とってもお笑いってできるもんなんだなあ、と思ったもんだ。
今日は遊次さんへの疑問、質問をすべて聞いてしまおうと自分の中で決めていた。いろいろ聞けば、大阪で劇団俳優を経て、東京に戻ってきて、いろいろあって現在に至るそう。
お笑いへ転身する前には重大なオペを行い、1週間の安静が必要な時期もあったとか。うわ~波乱万丈だなあ。バンジョーとカズーイの冒険だ。
遊次さんの過去を聞いていけば、やっぱり遊次さんは面白い人だなと感じた。なんとなく変な人だろうなとは思っていたが、リアル変な人だった。
変な人と言うのは悪口ではなく、お笑いでは誉め言葉である。変な人じゃないとできませんから。変だからお笑いなのか、お笑いだから変なのか。そこは議論が分かれるところではある。
串焼き、唐揚げなんかの美味い物を食べて22時過ぎに会は終了。大変たのしい時間を過ごすことができた。
もう一件、一品ずつくらい頼んで、ぐいぐいとやる。お笑いの話をもりもりやった。お笑いの話ってやっぱり楽しいですね。お笑いが好きだから。
なんだかんだで23:30くらいになった。ここらで解散。また30分ほど歩いて帰宅した。今日は眠りすぎて、一時はどうなることかと思ったが、見事に最後に取り返した。今日も忙しかったということ日とさせていただく。
では、またお会いしましょう。
今日面白いと思ったことは「遊次さん、やっぱり面白い。面白い人は無限にいるから、これを外部に伝えることをしたい。」