2024/01/05 練馬でライブ二つ

今日は朝からネタをつくっていた。昨日の時点で、今日のネタがまだできていないという体たらく。これではよくないことは明らかであったから8時くらいには起きてパソコンに向かっていた。こういうことを言おうかな。あら、こういうのも入れてみようかなとやってみた。
何度も書くけども、私が私らしさを忘れて、こざかしいことをしていては何も見えてこない。しかしやがてというか、即時にでも誰でも理解できるような表現方法を発見しなければいけない。この人たちはこのくだりが絶対はいるとか、この人たちはだいたいこの角度で物事を切り取ってくるというのがあるものだ。

私らしさは何でしょうか。やっぱりお勉強でしょうか。それでもお勉強なんて言ったら、上には上がいる。今や東大出身芸人ですら珍しくない上にパックンさんに至ってはハーバード大学だ。私は琉球大学です。

学歴を誇るだけのお笑いが売れるようなことは今後の芸能界ではありえまい。もちろん面白い人が結果的に高学歴だったということは今後もどんどんある。なんだかネットを見ていたら、高学歴芸人がどんどんメディアを席巻してしまっているのではないかという議論が年末あたりに強くなっていた気がする。みんな正月のお酒で忘れてしまっているようだけども。
それが事実だとして、それには仕方がない部分もあると思う。勉強をすると先人が生み出した知恵を知識として身に着けることになる。

二人の人がいて、二人とも魚が欲しいとする。Aは魚を得るには魚を釣るしか方法を知らない。Bは魚を得るには釣って得るのか、罠を使って手に入れるのか、はたまた魚を持っている人と何かを交換して手に入れるのかと知識がある。Aは釣れるか釣れないかにしかかけられない。Bは罠をしかけて、竿を出して、その間に交換してくれる人を探すことができる。
魚を得るという目的へ到達する可能性が高いのはどう考えてもBである。

もちろんそれらはただの知識であって、それをどう使いこなすのかが重要だ。馬を飼っているからといって、乗馬がうまいわけではない。あ、これはいい例えだね。学校の勉強とお笑いはつながらないのではないかという意見もあろうが、やればわかるけども、やっぱり知識がたくさんないと良い発想は生まれにくいと思う。

それは、お笑いは「見立て」を見て、聞いてもらうことだと思うからだ。
見立てとは・・・長い!もう話が長い!

今日はライブに2本出していただく。1つ目が「きかくのじかん」2つ目が「スラバーノッカー」だ。16:30に会場入りで、ぎりぎりまでスラバーノッカーでやるネタを作っていた。そのため夜のネタは練習しないままだ。仕方がない。
きかくのじかん、皆で楽しく企画をやるだけのライブだ。こういうライブが楽しいとともに、自分の力の無さをまざまざと突きつけられる。あなたはどれだけ人々を楽しませることができたのか、他の方のほうが盛り上げていましたよね?というのが直接自分に返ってくる。

でていて感じたのは、大嶋の一番弟子さんは荒唐無稽なボケをして皆を楽しませるタイプの芸人さんかと思いきや、しっかり即座に的確にツッコむことで笑いも発生させていた。大嶋の一番弟子さんのお笑い能力の高さには舌を巻いた。

我々もまだまだまだまだである。
ということでスラバーノッカーだ。スラバーノッカーはもとは「高円寺スラバーノッカー」というタイトルで行われていたが、だんだん練馬での開催が増えてきて「スラバーノッカー」と名前が変わった。でも高円寺でやるときは今後も「高円寺スラバーノッカー」とするようだ。じゃあ練馬でやるときは「練馬スラバーノッカー」とするべきではないかとの声も聞こえる。

今日は一番手の出番を頂戴する。田川くんが一言目でミスをしてしまった。私のボケを言ってしまった。それを言われたら、そのあとに繋がって来るから、指摘せざるを得なかった。大失敗!年明け早々、失敗である。全部まだまだ。やんなってきたな。まだなことばっかり。

出番が終わったら、申し訳なく思いながらも帰宅することにする。日記を書かないといけないし、今回のネタを直さないといけないし。
と思っていたら、23時くらいには眠ってしまった。早寝過ぎて自分でもたまげてしまった。

というそんな一日。

今日面白いと思ったことは「まだまだなことが多すぎて嫌になるけども、みんなそうして生きているから、私もやらねばならない。」
でもちょっと折れそう

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爆弾世紀末藤崎「善いスキャンダル」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。