2023/8/9 言葉探し
今日は9:30頃に起きた。今日は事務所ライブの「フライングピンク」がある。
起きてから風呂に入り、日記を書いたところでまだ時間があったので、今日のライブのネタを見直すことにした。
昨日も書いたが、やはり私の中では思いつくことはなさそうだ。別のやり取りを作ってみたりするのだが、いやこれは改善ではなく改悪になっている。
消して、やはり同じことを書いてみる。うーん。
毎回、こういうことをやっている。ギリギリまで見直しているのだが、家を出発する時間になるので、しかたなく切り上げる。これが完璧な台本だというところまではいかない。そんなもんなのか。これは後ほど、ほかの芸人さんにも聞いてみた。
14:30になり、今日出演の芸人が全組集まる。いわゆる「場当たり」がおこなわれて、「きっかけ」の確認などをする。こういった業界用語的な言葉を文字にするのは何か気恥ずかしさがある。こんな別にお金をたくさん稼いでいるわけでもないのに業界人ぶっているようで、西の言葉で言う「さむい」状態にないか。
私としてはここの感覚は割とお笑いをやるうえで、なかでも漫才をやるうえで重要だと考えている。
お客様を笑わせるために漫才をやっているのだからお客様と同じ角度で物を見なければ、聞くに堪えないものになってしまいそうなのだ。
一つ確認しておきたいのは、それを逆手にとって「嫌な業界人」「芸人あこがれ」を笑うような設定のコント・漫才を否定するわけではない。それはそれで面白いから、業界用語的なことは言っても問題ない。つまるところ言葉には意味があって、それを言う場所や状況でその意味は変わっていくということを大事にしたいのだ。
ちなみに「芸人あこがれ」と言う言葉が伝わりづらいと思ったので補足すれば、漫才を題材にした漫画『べしゃりぐらし』の初期の主人公がまさにそういった感じである。芸人に憧れて、「芸人っぽい」言動を面白い、かっこいいと思って恥もなくやってしまう状態のことを指している。
それらを踏まえて、漫才の台本を書く上で、なるべくわかりにくい言葉は使わないようにしているつもりだ。
なんとかこの感覚を言語できないだろうか。漢数字の一を壱と書くとカッコいいみたいな感覚(私も中学生のころはもっていた感覚)が それだろうか。難しい言葉を知っているんだぞと言う優越感を前面に押し出した言葉遣い。うーん。難しい。
いやいや、あなたたちの漫才を見ていたら言葉遣いめちゃくちゃだよ。自分の批判している言葉遣いのまんまでっせ。と言われてしまえばそれは私がいつの間にか「芸人あこがれ」になってしまっているということで、反省して横になることにする。自分のことが一番わからないから生きることって怖いことだ。
ということで「場当たり」で「きっかけ」を伝えた。
そのあと、本日お越しいただけるお客様にお渡しするチケットにメッセージを書く作業をした。これはもう私としてはやることに決めている。こんな売れっ子でもない人が出るライブに、電車賃と時間をかけてきていただけるお客様なのだから、それくらいはやらないと私の精神が持たない。
お返しになにか金券などをお渡ししたいところだが、生々しすぎるのでチケットにメッセージを書くようにしている。漫才師は漫才が商売道具なので、メッセージ自体に何の価値もないのだが、まさに気持ちだけでもということだ。
しかし、このメッセージも気をつけなければいけない。私は女性が好きないわゆるノーマル男性であるが、色気を出して女性のお客様に向けて連絡先や求愛行動のような文言を書いてしまうと、一夜にして人生が変わってしまう。まさにM-1のような事態になりかねない。
また、見た目が男性のお客様だからと言って冗談めかして「今度、お酒でもいきましょう」などと綴って、お客様は異性として応援してくださっていた場合は、それも求愛行動と捉えられ、トラブルに発展しかねない。
生きていくうえで、本当に何をするにもバランス感覚が大事だ。
本当にここだけの話を一つ書いておく。少なくともジャンピングイエローとフライングピンクは芸人さんから直接購入すると、チケットの半額が芸人さんに入るのでたいへんありがたいです。ネットでもご予約、お目当ての芸人さんの指定ができますが、その場合は芸人さんにお金は入りません。
昨晩、そこが気になるとおっしゃっていた方がいたので、その方がもしこれを読んでいれば、またずっとどのようになっているのか気になっていたという方のモヤモヤを晴らすために書いた。これがもし明らかにしてはいけないことというルールがありましたら早急にご連絡ください。すぐ消します。
事務所ライブは16時から開演の「ジュニア」ライブと19時から開演の「フライングピンク」と二回ある。ジュニアのほうは自由なネタ、既存のネタでもいいし新ネタでもいい。夜の部はネタ見せで行ったものをやる、というルールだ。
ライブの前に、ハットリ乾燥(元 ハットリ完走)さんに、さきほど書いた、自分で納得したネタをやれているか?という疑問をぶつけてみた。
解答としては「そのときどきによる」とのことだった。なるほど、単純明快である。確かにそうだ。
ハットリさんは有名大学を卒業した秀才である。その言葉一つ一つに含蓄がある。このあとも、この2023年とこれから未来のお笑いに必要なものはなにかをお話しいただいた。非常に難しい言葉が並び、完璧には理解できなかったが、思い悩んでいることは十分に伝わった。
悩んでいる人間ほど面白いものはない。それはゲラゲラと笑う面白さではなく、興味深い面白さである。人間一人一人がそれぞれに感情をもって生きていること、こんな面白いことは無い。
私は人間という生き物が好きでたまらない。ハットリさんのような悩みすぎて、はたから見ておかしいが、自分の中には規則をもって行動しているという人は私の大好物である。
気づけば長い文章を書いてしまっていた。武田鉄矢氏が「思えば遠くへ来たもんだ」と歌ったが、そのような状態である。
また、話が長いという点においてもワイドショーでの武田鉄矢氏と同じ状態である。マキでいこう(芸人あこがれ)。
話は飛んで、夜の「フライングピンク」の話にうつる。
プロポーズ(コンビ名、ネクストブレイクコンビ)のお二人から、オープニングトークゾーンで苦言をいただいた。
この日記において、コンビ名の後にカッコつきでネクストブレイクと書くことが嫌だとのことである。なんとも悲しい話である。
私はこの日記に置いて、絶対に嘘の感情は書かないというのを信条にやっている。一度でも嘘を書いてしまってはこれまで積み上げた数々の日記の意味が一瞬にして消え去ってしまう感覚があるからだ。
そのうえで、私がネクストブレイクと書くことについては本当にネクストブレイクであると思っているからこその言葉であり、なにも皮肉を込めて書いているわけではない。
それを嫌だ、うっとうしいと思われてしまっていること、こんな悲しいことは無い。私は枕を濡らした。
この点について、これまで指摘されたことは無いということは、やはり多くの人はプロポーズのことをネクストブレイクと思っているからであろう。
プロポーズはプロポーズが思っている以上にネクストブレイクであるということを自覚するべきであろう。
自分自身のことが一番、自分ではわからないというのは昔から言われていることである。
しかし、私はなにも嫌がらせがしたくて日々の日記を書いているわけではないから、別の文言を考えていこうと思う。言葉を取捨選択して、最適解を導くこともまた漫才には必要なことであると思うから、また言葉探しの旅に出ようと思う。
「おやじ、俺は旅に出るぜ。」
彼は頭陀袋(ボンサック)を肩にかけ、下駄を鳴らして夕日に向かって歩いて行った。
それ以降、彼の姿を見たものはいない。
今日面白いと思ったことは「ようやく漫才がおもしろいと思えるようになってきた。考えるときは辛いが、やってるときはまだ楽しい。」