イイねって良いの?
twitterやInstagram、それらが生活にまで根付いているヒトがとても多いと思います。朝起きてから見たり、移動中、そして寝る前…と言わず、細かい隙間時間に見てる人が多いのではないのでしょうか? 僕自身はこの文を隙間時間に書いています。ペンと紙、特に机がないと書き物が出来なかっただけにスマートフォンによってそれらがなくても書けるわけです。書きたいものがすぐに書けてアイデアの保存庫にもなっていたりしています。
脱線してしまいましたが、SNSにおいて重要なものがありますね。それは「イイね」だと思います。そのイイねには「共感」や「賛同」の他に「既読」といった軽い意味合いの場合など勾配があるかと思います。しかし、投稿した側はそれらが分からず「イイね」という意味で受け取るのではないかと思います。僕自身もイイねが沢山つくと喜びます(なのでイイねください笑)。
僕は動物を勉強する学科にいるため、動物の写真の投稿をよく見ますし、自分自身で投稿することがあります。しかしその中で、疑問に思う写真を目にすることがあります。
引用元:https://blog.goo.ne.jp/grandemperor/e/41583e3e4b117794666c4287aad500ba
引用元:https://blog.goo.ne.jp/grandemperor/e/7005eafeef28972d86aa4427ec58bc6f
これらの写真を見て思うことは「可愛い」や「ウケる」、「スゴイ!」などあると思いますが、共通して動物らしさを欠いていると感じます。芸術を見るうえで、超現実は重要な要素だと思います。しかし、実物の動物に不自然な格好をさせる/していること、動物に対して誤解を招くような内容のものはなんだか間違っているという違和感をいつも感じます。特に、動物の動画にアテレコをするなのは何とも言えぬ気持ちになります。動物自身がそう思っていないということや、人間至上主義を刷り込まされているという不安があるからです。なので、見るうえで変に力が入ったり、冷めた目で見たりしています。また、動物をいかに面白く撮ろうと、動物に対して暴力的な調教を行ったり、餌付けすると言う話が多くあります。最近だと、帯広畜産大の白リス(表紙)の餌づけ問題があったり、あるサーカスが動物の使用を自粛するなどの話があります。
これらに対して「イイね」を送ると言うことはどういうことだろうか。それは、それらの投稿を肯定するということなのです。言い換えると、写真のためなら餌付けや調教の使用は仕方ないという文法になるということです。そうなると、命よりもイイねが勝るのです。ある賭博漫画にあった「金は命よりも重い」という言葉ですら、背筋が凍るのに、その言葉が実現してしまうととても恐ろしいのです。「イイね」のために、苦しむ背景を感じたのなら、僕たちはイイねを押してはいけません。肯定すべきではいけないものについて、見極めてから押すようにするべきだと思います。もちろん、イイねの重要さは「質」よりも「数」という問題は誰しもが認める点でありますが。そんな現状に対して、一言だけ伝えて終わりますね。
「自分なりの美しさを確認を。しなければ信号に反応する人形」
参考文献:http://karapaia.com/archives/52197054.html , http://fireside-essay.jp/miyazaki/shika/670.html, http://www.arcj.org/zoo-circus/detail/circus01.html