青春五月党「ある晴れた日に」について

 ごくありふれたかなしみにまつわる話だとおもった。

 劇評というほどでもないけれど、青春五月党「ある晴れた日に」について、自分のための備忘録としてあれこれ書き残しておこうと思う。

 「ある晴れた日に」は、3.11の「あの日」を境にめちゃくちゃにその形を変えられてしまった女の人の、【過去】と【いま】と【未来】のお話である。舞台上にはベッドが二台、お互いがお互いに背を向けるように並べられており、女の人はそれらを行き来しながら、それぞれのベッドに眠っている男の人にかわるがわる話しかける。片方のベッドに流れる時間は冬、もっといえば雪もほころびはじめる晩冬のころで、もう片方は夏、それも真夏である。女の人は、今しがた「暑いね」と言った口で「寒いね」としとねにささやきかける。晩冬のベッドには、夜が明けてしまえばいなくなってしまうはずの人が眠っている。夜が明けて、「あの時」が来てしまえば、男の人はあのおそろしい高波にさらわれて、二度とは戻ってこない。だから女の人は繰り返し繰り返し「あの日」の「あの時」の直前の記憶を思い起こして、やわらかなゆりかごの時間に甘んじようとする。

 それを傍らで、ずっと見ている男の人がいる。夏のベッドに眠る人だ。

 夏のベッドに眠る人は、女の人と結婚したいなあと思っている。それも、いまのいま。ヨガのポーズからはじまる一連の戯れのシーンで、やっとはじめて「結婚しよう」という言葉を舌に乗せられたというくらい、いまのいま。男の人は「あの日」の後に女の人と出会って、「あの日の後からの彼女」を好きになった。夏のベッドに眠る人は、ある種の気恥ずかしさから自分で自分を茶化しながらも真剣に、彼女へ自分の欲求を伝えようとする。「子どもが欲しい」。

 この「子どもが欲しい」を受けて、わたしにはにわかに女の人の表情が割れたように見えた。いや、もしかしたら女の人はずっと昔にこなごなに砕けていて、こなごなのばらばらのピースを綴り合せてなんとか今は笑顔の形を作れるようになっただけなのかもしれない。ていねいにおしろいを塗って、傷なんてどこにもないですよという顔をようやく作れるようになったのに、夏のベッドの男はそのなけなしの装いをすべて突き崩してしまった。

 女の人は、そこで耐えきれなくなって、つめたい冬のベッドに逃げ込もうと(!)とする。晩冬のおり、3.11未明のベッドはひんやりと冷たいけれど、寒さなんてちっとも感じない。だってそこにはあの人がいるから。あの人のぬくもりがまだそこにあるから。冬のベッドにぬくもる女の人は、とっても楽しそう。心から幸福だという顔で、あの人と明日観にいく映画の話をしている。冬のベッドの人はふいに、女の人にとある約束をもちかける。「一月後、桜が満開になるころに、ウェディングドレスとタキシード姿で写真を撮ろう」と。わたしたちはこれが、決して果たされることのない約束であることを知っている。充分すぎるくらいに。だからこそわたしは、癒しがたくわかちがたい悲しみの、そのあまりの拡さと深さに、言葉が出なくなる。なんにもできやしない。そこに留まっていたってどうしようもないじゃないかとか、あなたはいまを生きなければとか、知ったような言葉を彼女にかけたところで、何になるというのか。そんなことは彼女にだってわかっている。わかっているけれど、直視に難く、受け入れるにいびつすぎる現実を、どうしようもできないから女の人は冬のベッドを訪うのだ。これはなにも、「あの日」とその前後に限った話ではない。日常にごくありふれた、予期せぬ断絶にまつわる悲しみの話なのだとおもう。だからこそわたしはしみじみとせつなかった。わたしは東北出身者ではあるけれど、「あの日」の前後で、幸いにも身内は全員健在だった。わたしは不意に、ある冬の日の帰り道に、小石を握り込んだ雪玉をぶつけられたときのことを思い出した。かれは言った、「おまえにぶつけるつもりじゃなかったんだ。」そして、「ごめん。」と。わたしは右肩がとても痛かったけれど、無理して笑って「だいじょうぶ。」と言った。おまえにぶつけるつもりじゃなかったとは、なんだろうか。わたしの左隣を歩いていた女の子に、この雪玉をぶつけるつもりだったのか? 雪玉がもし狙い通りに、彼女の体にぶつかっていたら、かれは笑っただろうか。かれの気安い取り巻きたちと、手を叩きながら? わたしは友達と別れ、家に帰ってからようやくさめざめと泣いた。右肩は痛かったけれど、かれの考えていることがちっともわからず、そのことがなにより怖くて泣いた。そんな、誰とも共有できないささやかな悲しみのことをほつほつと思い出しながら、わたしは彼女の一挙手一投足を、ただじっと眺めていた。わかりえなさと共感を、彼女に対して交互に抱きながら。

 冬のベッドの男と女の人と夏のベッドの男は、終盤、三人で同じ食卓を囲む。冬のベッドの男は、「あの日」の前の彼女のことだけを知っている。夏のベッドは、「あの日」の後のことを。そして女の人だけが、【過去】も【いま】もすべて経てきたものとして、そこにいる。なんという非対称性、なんというままならなさ。女の人がいまここで千々に引き裂かれてしまうのではないかと、はらはらした。叫び出したってよかったのに。でも、彼女はそうしなかった。彼女は劇中で、「あの日からずっと泣いている」と言っていた。彼女はとてもつかれていたのだとおもう。そのことが、わたしにとってはなによりも悲しかった。

 ところで、このお芝居は、福島県南相馬市、岩手県盛岡市、宮城県仙台市の三県で上演されるが、土地ごとにそれぞれ別のラストシーンが用意される。受付で販売されていた戯曲には、盛岡公演とはちがったラストシーンが書き込まれていた。アフタートークでの発言も込みで想像するに、販売戯曲はどうやら南相馬市で上演されたバージョンらしい。わたしが観たのは盛岡公演だから、あくまで「盛岡公演を観たもの」としてこの文章を書く。盛岡公演のラストシーンは、おおむねこんなふうだ。三人は、同じ食卓を囲みながらもすれ違いの会話を続けるが、ついに時間が来てしまう。冬のベッドの男は食事を済ませて立ち上がり、歯を磨き、服を着替えて家から出て行ってしまう。女は繰り返し呼ばう。「もっとゆっくり……」男は立ち止まらない。あの日も幾条の朝と同じように、男はさりげない調子で部屋の扉を閉め、二度とはかえらなかった。「もっとゆっくり……ゆっくり……ゆっくり……。」女がどんなにそれを望んでも、時間は引き留まらない。一秒前とまるで同じような顔をして、ただひたすらに、淡々と、川の流れるがごとく過ぎてゆくのみ。女はまた絶望し、泣き伏せ、激しくからだをふるわせる。

 そんな女を、横で見ている人がいる。
 夏のベッドの男が、女を見ていた。

 男はそれでも、女とともに暮らしたいと言った。女と愛をはぐくみ、子をもうけ、三人で生きてゆく望みを語った。女は答える。「わたしが待っているのはあなたじゃない」それでも、と男は食い下がった。「二人で、一緒に待つ」わたしは驚いた。そうして深くうなずいた。そうか、とおもった。「わたしが待っているのはあなたではない」ことと、「それでも、二人であの人の帰りを待つ」ことは、共存可能なのだ。それはわたしにとって、まことに幸福な発見だった。男は続けて言う。「散歩に行こう」「この恰好で外へは出られない」男は少し考えて、言った。「ゆっくりでいいよ」

 これしかない、と思った。「わたしの待っているあなた」にはなれない人間が、「それでもわたしと同じ時間を過ごす」ために掛けるべき言葉は、これしかない。人のかたちは、思ったよりも簡単に歪むし、傷つきもする。その歪みをむりに矯めようとすればするほど、血があふれて止まらない。だから、合わせてゆくしかない。不幸にも生まれてしまったその歪みに、血を流し続ける傷に、ガーゼをあてがうように、そっと寄り添うしかない。その傷がいつかふさがる日は来るのか、ふさがりもせず膿んでゆくばかりになるのかは、まだ誰にもわからない。しかしそれは、ゆっくりと時間をかけて試みたのちに、はじめて結果がわかることなのだ。「ゆっくりでいいよ。」女はとうとう、男のその言葉を否定するそぶりは見せなかった。そのことに、わたしはほのかな希望を感じる。「あの日」を描いたこの戯曲が、「ある晴れた日に」と題されたことの祈りをおもいながら、劇場を出た。この傷は快癒しない。傷によって歪められた皮膚は、二度とはもとに戻らない。それでも傷は傷として、ひきつれた皮膚のにぶい痛みを抱えながらでも、彼女が晴れの岸辺をそぞろ歩くさまを想像せずにはいられない。それがひとりでもふたりでもさんにんでも、一向にかまわない。わたしはただ、ある晴れた日に、とうとう部屋を出て歩き出した彼女の姿がみたいだけなのだ。

(2019.11.4 観劇)

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