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クチナシプロセス
庭でクチナシの花が咲いている。いい香りだ。
クチナシの花は分厚くしっとりとして、甘く香る。ツメで傷つけると、白い花びらは茶色く変色してしまう。傷つけなくても、錆(さび)のように茶色くしなびていくけれど。
小学生1、2年生の頃、そろばんを習っていた。そろばんの行き帰りにクチナシを生垣にした家の前を通って通っていた。その家の子も同じそろばん塾に通っていたから、ときどき行き帰りの道で一緒になることがあった。
生垣に咲くクチナシに鼻を押し当てて、甘い香りを嗅いだことをよく覚えている。でも、彼とどんな話をしたのかは全然覚えていない。僕がそろばん塾に通わなくなると、彼と会うことはなくなった。小中学校が一緒だったから、ときどき校内で見かける事はあったけど話すことはなかった。
それから10年ぐらい経ったある日。友達に誘われて、大きなクラブイベントに出かけた。大音量の音楽とフラッシュライトの中で男たちが踊り、出会いを求めて視線を交わす場だ。みんなゲイかバイセクシュアルだった。踊る男達の中にクチナシの家の彼を見つけた。
ひと目見て「彼もそうなのだ」と分かった。激しい音と光の中で、僕たちの視線が一瞬だけ合った。でも、一瞬で外れた。「お前もそうか。ま、元気でな」。お互いに関心がないことを理解するのに1秒もいらない。関心のない者同士は他人を装う。この世界のルールだ。
でも、タイプでもない彼のことを、こうして時々思い出すのはなぜだろう。
何かを求めて一緒に戦ったわけじゃないから戦友ではない。同志でもない。多数派ではないというだけでは仲間になれない。何ともいえない寂しさを感じる。
幼い僕たちはお互いを警戒していたような気がする。周囲から否定される「何か」を持つ僕たちは、その「何か」で繋がることを恐れていた。傷つくことは避けられたかもしれないけれど、絆(きずな)を結べない寂しさだけが残った。
セキララの魔法を知った今。もしまた彼に会えるなら、僕があの時感じていた恐れと寂しさを伝えてみたい。止まっていたプロセスが動き出すかもしれない。
※写真は庭に咲いたクチナシの花。アプリでシャボン玉の加工をしてみたら、どこか怪しげで非現実的な感じになった。