NO.7 雑多感想
・ブルアカゲーム部19話
リスキリングブームや建築ブームを意識させる内容
一見してリスキ勢に対する皮肉っぽい部分がありつつも、ああいう欠陥工事が起こらないように管理士の資格持ちや設計士が必要だという二重の皮肉。
ブルアカゲーム部は現代のこち亀だったんだ。
あの中に建築士がいればもっとまともな話になったと思うが、だから登場させなかったのだろうとも思う。
・無職転生
失踪の哲学との接続が可能なポテンシャルを有しながら、俺ら失踪者の導きの書となりえない、残念な運命を辿った作品となってしまった。
主人公の置かれた構造は失踪者と同型
失踪の哲学と接続できうる
でも失踪者がハーレムエンドを希求することは現実的ではない
「距離置いたからこそ見える反省点」の中には、技術的課題だけじゃなく、自身の認知の歪みに付いての問題、などのメタ課題があったはずだが、後者のうち「親密性」に関する問題だけ前景化されていて、他の認知課題はなかったことになっているように見える
それは、湿っぽい物語になりすぎずに済んでいるストッパーとしての役割があるのかもしれない
が、教養小説として読む(読めるかどうかは人によると思う)なら、注意しないといけない点だと思う
たとえば、「男の成り上がり」の物語としてみるなら、ルーデウスの生き方を模範にするべきなのかもしれない。感情的にならず、言い訳をせず、淡々と努力し、自身の原動力には正直に身を委ねる、という「自分との約束」は、男の成り上がりの物語に必須の要素なんだろう。が、結局メタ課題は表に現れず、自分の見方に対する反省は行われることがない。しいて言うなら父との喧嘩の際にちょっと見えたくらいだろうか。でもすぐ背景化した。
ルーデウスの異常な認知や価値観が偶然六面世界の「常識」と親和性が高めだったことで、性愛についての認知の歪みに向き合うことなく、数多の苦難ありつつも、「つつがなく」ハーレムエンドを迎える
弱者の成り上がりの物語だと勘違いしてはいけない。これはあくまで無職が失踪先で(自身にある程度有利な環境の下で)やり直す物語であって、ケアする/される的なテーマが一貫して描かれるわけではない
男は自閉症の傾向が高めなことに加え、元からある程度生きやすいので、認知課題をクリアすることが苦手な人間が一定数オモテの社会に存在する
彼らは周囲にカサンドラ症候群を振りまきながら、「周囲の不理解」にもだえ苦しんでそのうち死ぬ
認知課題に関しては、現実の失踪者の場合だと、そこ向き合えよ、と思う部分
あいや、わからない
向き合った上で、3人とも嫁にするんだっけ
うーん…
・リゼロ51話
プリステラ、街並みはベネチアとギリシャを混ぜた感じ
地下に災害源があるから日本っぽい人を登場させてるんだろうか
↑カララギ文化?と混同してんじゃね問題
リゼロの魅力について一つ、わかったことがある
ヤンキー喋りしてる下層民や一般民が、独自の当意即妙メソッドで高い地位の礼儀正しい作法を受容していく過程特有のエモさを繰り返し具体的に丁寧に描いていることに気づいた
その構造は、例えるなら、教養のないヤンキー上がりが形ばかりの「日本の伝統」を内面化していく過程に近い
あとは、騎士対ヤンキーの舌戦や試走の差異、そして歩み寄り…
シリウスの能力、ポピュリズム的な劇場を連想させるし、民は怒りで「一つ」になりがちなのかも
その点では「憤怒」の能力って言って差し支えないのかも