見出し画像

ケニアの限界集落でホームステイしました

今日はケニアの限界集落で、ホームステイした経験を書きます。ケニアにきて1週間が経った時の話です。

郷に入っては郷に従え

今私は、ケニアの首都ナイロビからフライトで一時間のMalindiのボランティアハウスに住んでいます。所属しているNGOは、Malindiからバイクで20分ほどのMbogolo村とそこから10km離れたMiwani村にPrimary Schoolを作り、地域の子供達に学習機会を提供しています。私はMbogolo村の学校の第二教室の建設に参加しています。

ボランティアハウスではNGOの代表の方も一緒に住んでおり、他のボランティア、自分を合わせて5人で寝食を共にしています。金曜日の夜、代表の方に、村の人と一緒に生活してもらいますと言われました。When you are in Rome, do the Romans doと言われ、床に寝てくださいと言われたので結構びびりました。

土曜日は、Mbogolo村の学校の生徒の祖母が亡くなったということで、葬式に参列し、その後それぞれが各家庭に二泊ホームステイすることとなりました。私はMiwani村の学校の生徒が住んでいる家庭に泊まらせていただきました。こちらは、葬式の様子です。亡くなった方を盛大に送り出す風習で、とても賑やかです。


Miwani村でのホームステイ

Miwani村は家間の距離がとても近く、子供たちは近所の家の子供と遊ぶのが日課のようでした。私がお邪魔した家は、家をブロックとセメントなどで拡張している最中で、その様子を見る子供10人ほどで溢れていました。

家の拡張工事を手伝ってると、近くの子供たちがどんどん集まり始めて、名前はなにかから始まり、写真を撮ってくれだの、家族の写真を見せてくれだのの無限ループが始まりました。近所の子供が知らぬ間に入れ替わるとまた同じ質問が始まる感じです。

正直、三日間ずっと子供と話したり遊んだりで終わりました笑 めちゃくちゃ疲れました。スマホの充電が切れてからはひたすらスワヒリ語を教えてくれましたが、発音がうまくできなかったり(mから始まる口を閉じた”ン”などの発音)、覚えが悪いとあからさまに不機嫌な顔をされて辛かったです笑

最初はなんだあいつみたいな感じで近寄らなかった子供たちも、少しずつ打ち解けて最後にはまたスワヒリ語を教えるから戻ってきてくれとか、一緒に日本に行くとか言ってくれて、ケニアの人の暖かさを感じました。

家ですが、ほとんどの壁は土と木でできていて、扉も木でできた簡素なものでした。私には蚊帳付きのベッド(おそらく普段は両親が寝ている)に寝させていただき、特別待遇で申し訳なかったです。家族のみんなは子供を含めて、砂、土の上にマットレス(のようなもの?)や布をひいて寝てました。めちゃでかい蟻がいたりしたので、その状態でしたら間違いなく熟睡できなかった自信があります。(毎朝5:30に鶏の鳴き声で起こされたのはきつかったですが)

土と木でできたお家
この家唯一の蚊帳のあるベッド

水は、近くの川で汲むか、飲水を買って黄色の20Lのボトルに入れて使うスタイルでした。なのでもちろん水道はないですし、電気も炊事をしているところのライトと、コンセントが二口ライトの近くにあるだけでした。出してくれた紅茶は煮沸していたので安心して飲めましたが、水単体は怖かったです。思い切って飲んで今の所大丈夫なので、飲水は大丈夫そうです笑

あと、シャワーは、「準備ができたから来てくれ」と言われ、家の裏側にある鶏と鴨が歩き回っていたスペースに案内されました。夜10時くらいで、電気もないので何も見えなかったですが、ここでtake a bathしてと言われ、スマホのライトで照らすと桶に水を貯めたものが地面に置かれていました。砂だらけの場所で外で水浴びしたのはとても新鮮(衝撃?)でした。足は砂まみれでしたが、星がとても綺麗だったのでまぁいいかという気持ちになりました。

ボランティアハウスも時々水道が出なくなったりするので、今まで当たり前だった水が出ることどれだけありがたいことかに気づくことができました。学校にも水道がないのですが、手洗い用の水も大切に使うようになりましたし、何より、遠いところから運んでいる姿を見ると、大切に使わないと心が痛みます笑

実際に生活してみての気づき

Google mapの地図にも名前が載ってなく、道も途中で途切れているような限界集落といっても過言ではない村ですが、住んでみるまでは、土と木でできた家を家と言われてもピンと来てなかったですし、そもそもどんな人たちがどういう生活をしているかのリアル感を感じることはありませんでした。仕事でアフリカに来ていたとしても、この経験はできなかったですし、現地の人と一線引かれたところで物事を考えていたように思います。

村は150人もいないような小さい村で、日本と比べれば明らかに物や便利さはありませんでした。でも、人と人との関係はとても濃密で、とても幸せそうでした。

近くを散歩したときの写真
夜に始まった謎の撮影会
お世話になった家族の母親と次男。長男が撮影してました。

家の区域に友達が20人くらい来て騒がしくしていても親たちは全然ウェルカムですし、私に一番いい部屋を提供してくれるホスピタリティ、モノ、喜びをみんなで共有するという基本姿勢は見習わなければと思いました。

マンションに住んでいても隣の人のことをあまり知らなかったりするのはなんだか寂しいなとも思いました。このホームステイは、幸せに関して考えるいい機会を与えてもらえたように思います。私にとって、やはり人とのつながりが幸せの一要素だなと確信できたのはとても大きな気づきでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?