南アフリカの歴史下調べ
南アフリカの歴史について調べたので、軽くまとめていこうと思います。
かなり複雑な歴史で、うまく表現できているか/まとまっているか不安ですが、間違えていたらコメントやメッセージでご指摘いただければと思います!
南アフリカの植民地の歴史
17世紀から18世紀ごろ、南アフリカはオランダの植民地でした。
南アフリカは、金、ダイヤモンド(現在ではウランや携帯などに使われるレアメタルなども)の産地があることが知られており、19世紀になるとイギリスが植民地化します。
イギリスは、オランダ系の白人であるボーア人の優遇をはじめます。鉱山の職業に白人を優先的につけるようにしたり、もらえる給料を黒人の6倍(工業)、21倍(鉱業)にするなどの政策をはじめます。これがアパルトヘイト(人種隔離政策の始まりと言われています。)
ちなみに人種構成は下記の通りです。
・白人(イギリス系+オランダ系:10-15%)
・黒人(70%以上)
・混血(カラード)
・アジア系など
アパルトヘイト政策について
他のアパルトヘイト政策(国が決めたルール)は次の通りです。
・政治:黒人には選挙権がない
・労働:上記の通り
・婚姻:異人種間の婚姻の禁止
・住居:居住区間の区別(施設もWhite,Non-Whiteで分けられる)
・教育:黒人への義務教育がない
ネルソンマンデラとアパルトヘイト
この状況に対し、黒人は反発を始めます。代表する方は皆さんご存知ネルソンマンデラです。ネルソンマンデラは反アパルトヘイト運動をすることで、国家反逆罪で1964年に投獄されます。なんと27年間も刑務所に入ることになります。
その間も、南アフリカはアパルトヘイト政策を続けていますが、国際的に制裁を受けることになります。いろんな国が、貿易や金銭のやりとりしないという流れになり、金やダイヤモンドを売ることができなくなり、その流れから南アフリカはアパルトヘイト政策を1991年に廃止されました。
アパルトヘイトが廃止されることで、全人口が選挙権を持つことができました。その三年後、ネルソンマンデラは黒人初の大統領となりました。
アパルトヘイトが残す爪痕
アパルトヘイトによる差別はなくなったものの、黒人に教育がなされていなかったことなども根強く残っているらしく、教育を受けていないからこそ職業につけない、ゆえに貧富の差が埋まらないというサイクルがあったようです。
それを打開するために黒人優遇政策が施行されたこともあったそうですが、ごく一握りの黒人が豊かになっただけに終わってしまい、黒人でさえも優遇政策に反対する運動が生まれたりと、なかなかうまくは行かなかったようです。とはいえ、少しずつは改善されているようで、今後の発展にはとても注目ですね!
ルワンダ大虐殺やこのアパルトヘイトがあったのも30年以内ということを知って、連日驚くとともに、いかに自分が今まで世界の歴史に対して無頓着だったかを思い知ってます。できるだけたくさんの知識を入れて、現地を見て、たくさんのことを感じてこようと思います。
学校の授業で学ぶ歴史はめちゃくちゃ苦手(赤点すれすれだった気が…)で、なんでこんな数字覚えるだけの勉強してんねんと思ってましたが、本質はそこではなかったですね。
人種や宗教の違いによって、同じ人間がなぜ迫害されたり虐殺されたりしてきたか、またそれを作り出したのはどこか/何か。アフリカはほとんどの国が西洋諸国に植民地化され、ぐちゃぐちゃにされました。
人によってはアフリカはいつも内戦してるよね、発展してないよねと思う方がいらっしゃると思いますが(数ヶ月前の私もそうでした笑)、全て西洋諸国が原因です。知れば知るほど、人間の恐ろしさを知ることができます。
面白いというと語弊があるかも知れないですが、物理や数学とは違った複雑に絡み合った因果はとても興味深いです。学ぶきっかけをたくさん得ているので、いろんな本を読んでもっと詳しくなりたいなと日々思ってます。
第九地区と南アフリカ
私の好きな映画の一つに、第九地区という映画があります。
この映画は地球にやってきた宇宙人を第九地区に閉じ込めるという設定の映画です。
これの元になっているのがアパルトヘイト政策で、南アフリカのヨハネスブルグ近郊にソウェトという黒人を閉じ込めていた地区があり、それが元になっているそうです。
ツアーがあるのを発見したので、参加してこようと思ってます。
(基本的に治安が悪く、なんとなくナイロビよりやばそうなので、とても気をつけて行動していきます)