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普段着の京都(11)
私自身は、競馬にはご縁がないが、かつての職場に、「社内予想屋」と呼ばれるほど、競馬に詳しい先輩がいた。多くの弟子(自称)たちが、その先輩から競馬を学んでいた。
何度か淀に(と言えば、関西の競馬ファンには京都競馬場に、だと伝わる)誘われたのだが、馬券を買う勇気が出ず、結局弟子になることはなかった。
ただ、その先輩が、馬の走る姿の美しさを力説する様子は、今もはっきり記憶に残っている。
京都市の南部(伏見区)にある藤森神社は、競馬好きの人たちにとっては、大事な神社である。勝馬守りも人気。
近くに行く機会があったので、立ち寄ってみた。
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勝馬守りを購入することもなく、境内を散策。
紫陽花苑もあるが、外から覗いてみたものの、この暑さで花に元気がない。有料区域には入らず、遠くから鑑賞した。
ふと見ると、こんな案内があった。
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境内の公園の隅に、かなり大きな碑が立っている。
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天明5年(1785)、時の伏見奉行(ぶぎょう)小堀政方(まさかた)の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた文珠(もんじゅ)久助ら7人を伏見義民という。
江戸時代(1600~1867)伏見は交通の要衝として栄え、政治・経済上重要な地であったため、幕府の直轄地として奉行所が置かれた。安永8年(1779)に奉行となった小堀政方は数々の悪政を行い、住民に対する苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)は言語に絶した。
文珠九助、丸屋九兵衛、麹屋(こうじや)伝兵衛、伏見屋清左衛門、柴屋伊兵衛、板屋市右衛門、焼塩屋權兵衛の7人は奉行の悪政に虐(しいた)げられた住民の苦難を坐視するに忍びず、苦心惨憺の末、天下の禁を破って幕府に直訴した。このため、天明5年(1785)政方は奉行を罷免されたが、久助ら7人も獄中で相ついで病死した。
この碑は明治20年(1887)に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である。毎年5月18日には伏見義民碑保存会によって慰霊祭が執行される。伏見区御香宮門前町(御香宮神社内)
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=430(2024.6.14閲覧)
伏見騒動も、慰霊祭も知らなかったが、どの地域にも、義憤に突き動かされ、行動する人々がいたのだと改めて認識した。
機会があれば、御香宮の顕彰碑も訪ねてみたい。