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スタジオベイカー短編小説「ディレクターズチェア」第6話
第6話「映画業界の過去と因縁」
光田浩一は、佐伯監督と『月夜の囁き』の謎を追い求める中で、彼が置かれていた状況を深く調べるようになった。映画館の管理人や、過去に佐伯監督と関わりのあった数少ない関係者の証言を集めるうち、彼が辿っていた映画業界での過酷な運命が次第に浮き彫りになってきた。
佐伯謙一郎は、かつて日本映画の黄金期を支えた監督の一人だった。その作風は大胆で革新的であり、物語の中に込められた深いテーマ性は観客を魅了した。特に『影の回廊』や『赤い月の静寂』といった作品は映画史に残る名作として称賛され、彼は日本映画の未来を担う存在とまで言われた。
しかし、その栄光の裏には、映画業界独特の厳しい競争と、表には出せない陰があった。業界内の権力争い、スポンサーとの軋轢、そして自分の表現を貫こうとする佐伯監督の姿勢が、次第に彼を孤立させていった。
「佐伯監督は、決して妥協しない人だった。スポンサーがもっと商業的な作品を要求しても、自分が本当に撮りたいものしか撮らなかった。そのせいで多くのプロデューサーや配給会社と衝突し、最後には業界から干されるような形になったんだ」と、映画館の管理人は静かに語った。
その結果、佐伯監督は低予算の独立系作品に移行し、そこで『月夜の囁き』の制作に挑んだ。しかし、独立系での映画制作は容易ではなく、資金難やスタッフの不足に悩まされる日々が続いたという。特に、作品が進むにつれて、彼の周囲から人が次々と離れていったという話が印象的だった。
「佐伯さんは変わっていったんだ」と、かつての助監督だった人物が語る。「撮影が進むにつれて、彼は妙なことを口走るようになった。『影が近づいてきている』とか、『この映画には俺の全てが宿る』とか…。誰も彼の言葉を理解できなかったけれど、彼はどこか追い詰められているように見えた」
光田は、その言葉に不安を覚えた。佐伯監督が追い求めた「全てを宿す映画」とは一体何だったのか。なぜ彼はそこまでしてこの作品を完成させようとし、そして姿を消してしまったのか。
さらに調査を続ける中で、光田は『月夜の囁き』が業界内で一種のタブーとなっていることを知った。この映画に関わった多くのスタッフが、その後次々と業界を去り、一部は謎の病に倒れたという噂が囁かれていた。映画の制作過程で一体何が起きたのかは誰も語らず、関係者たちは「語らない方がいい」と暗に忠告するばかりだった。
「佐伯監督は、この映画に“何か”を込めていた。それが普通の映画ではないと分かっていたから、皆怖くなって逃げたんだ」と、助監督の言葉が耳に残る。
その一方で、光田は佐伯監督が強くこだわっていたテーマに共感を覚えていた。過去の記憶、心の闇、そして人間が向き合うべき真実。それらは、光田自身が映画を作る中で常に考え続けていたテーマでもあった。佐伯監督の足跡を辿ることで、自分自身の抱える悩みや未完成の部分が、次第に浮き彫りになってくる感覚があった。
「佐伯監督が伝えたかったことを、俺が完成させるべきなのかもしれない」
そう思う一方で、彼の中には不安と恐怖も渦巻いていた。佐伯監督が何を追い求め、どのような結末を迎えたのか。それを追い求めることで、自分自身も同じ道を辿るのではないかという予感だ。
光田は再び映画館の椅子に目を向けた。あのディレクターズチェアは、佐伯監督がこの映画に取り組んでいた最後の日々を共に過ごした証人のように、今も静かにそこにある。あの椅子に座れば、彼が見たもの、感じたものをより深く理解できる気がする。だが、そこに触れることは、もう一歩佐伯監督の闇に踏み込むことを意味していた。
「俺にこの映画を完成させる資格があるのか?」
光田は椅子の前で立ち止まり、深く息を吐いた。佐伯監督が遺した映画と業界の因縁、その闇の深さを知れば知るほど、彼はその境界線に立たされている自分を実感していた。進むべきか、引き返すべきか――迷いながらも、彼の心には次第に答えが芽生え始めていた。
そして、光田は椅子を見つめながら呟いた。
「やるしかない。この映画には、まだ続きがあるんだ」
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(第7話へつづく)
(文・七味)