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知らないこととか、新しいことに対しての姿勢で、”もう引退した方がいいよね”って思うこと

 今となっては信じられないことだけど、2000年代頃までは”インターネットで調べた知識なんか使えるものはない!”と断言する人が結構の確率で存在した。それも、見識も知見も一定持ち合わせた社会的に地位もある人の中にも…
 それが現在、ネットリテラシーが低い人を総称して”情報弱者”と呼ぶ。
 いつの時代も高齢者は好奇心が希薄になり新しいことに取り組むことが億劫になり、そして==============
新しいことを否定する。
 実はこれだけが問題と感じております。取り組まないのはまだ良い。それを否定して新しい時代、新しい潮流を見て見ぬふりをする、これが平成の30年間でこの国がし続けてきたことではないか?といった思いを自戒を込めて考え直すといった投稿です。

1.新しい出来事に柔軟である意志

 正直、ぼく自身TikTokやらPinterestなんか、一応は見るし興味がないわけじゃないけど、アカウント作って自分から主体的に動いているわけでもない。要は、自分自身が好奇心が衰えているという自覚があるということ。
 ぼくも57歳を超えてなんでもかんでも自分が出しゃばって、”オレがやるわ”というより、もっと得意な人が担当する方がいいよね!と思うようになった。
 でもここで大切なのは、誰が得意なのかが分かること。そのための興味とか、或いは”動画サイトなんてすぐダメになる媒体だから意味ねーじゃん”なんてことを言わないで済むような、そんな柔軟性が大切だと思うのです。

決して引退とまでは言わないけど、自分が主役から降りる

、そんな感覚。


2.プロデューサー感覚で世の中を見る

 これからできるだけ長いこと働こう、とは思っているけど、もう一方でチャレンジ出来なくなったらリタイヤしよう、とも思っている。イグジットポイント探しながら働いている感覚。
 そして、現場感覚必要なマーケティングとか、ITリテラシー必要なシステム構築とか…要は進歩や変化が激しくって、自分自身の消費者感覚や時代共有感覚が必要なものって、ぼくが主役になってはいけない======と最近強く感じる。
 でも、どんなプロジェクトも成果を出すために大切なのはフロー作り。ここだったらぼくが役立てる。映画でいうプロデューサーの役割。これだったら、必要なのはキャスティング能力とか人脈とか、課題発見能力とか、いわば経験が役に立つ。
 

ものの見方をディレクターとかアクターじゃなくて、プロデューサーとして見る

。そんな感覚が大切だと思うのです。

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