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”30歳年下と対等の関係を作りたい!”というチャレンジ

 まぁ、当たり前にやってる人にとっては”何を今さら…”だし、そうじゃない人にとっては”おっさんが若者に媚びるなんてみっともない…”という感想を抱かれかねないタイトルの”30歳年下と対等の関係を作りたい!”というテーマ。
 ぼくにとっては結構切実なテーマであって奇を衒っている訳でも、逆張りをしている訳でもない。そもそも、媚びてくる50代ほど気持ち悪いものはないし、対等どころか馬鹿にされて終わるのがオチというのがぼくの感想。
 キッカケは2つあって、1つは長年コンサル契約してもらっている岐阜のクライアントに20代の才能豊かな、大げさに言えば”天才か?”という女性スタッフが複数現れたこと。もう1つは、フリーランスになったお蔭でルーティーンの上下関係がなくなって全ての人たちとの関係がフラットになったこと。つまり、ぼくのことを”岸本取締役”と呼ぶ人もいなければ、先輩・上司として扱う人もいない。目の前にいる人は敬語でこそ話してくれるけど、”ぼくに、わたしにとってこの人はプラスなのか?”を常に問いかけられている。
 何でもかんでもルール化するのはコンサルタントの習慣だけど、やはり今回のテーマでもぼくなりにこのあたりに答がありそうだと思うことについて述べてみます。

1.年が離れていればいるほど100%を超えて伝えようとすることが大切

 その昔テレビで見た小澤征爾さんの言葉が今でも頭から離れない。”若い人に教える時は120%とか130%の力を振り絞るんです。そして100%を超えた20%とか30%の部分だけが伝わるんです。”
 単に手を抜くとか、抜かないということじゃなくて、感受性に訴えられるかどうか?ということだと思う。ぼくたちだって高校の先生で好きだったのはマニュアルに定められた授業じゃなくて、その先生なりの工夫だった。
 知識が”教わる人<教える人”である限り、教えて貰っている知識・技能に価値があるかどうか?なんて分からないのが当たり前。だったら教える人の中に”こんなことオレは30年前に知ってたけどね…”っていう気持ちが少しでもあることは大変によろしくないことだと思うのです。ぼくだったらそんな先生からは習いたくない。
 大切なのは教える側の人が”ぼくが今話していることは、とても凄いことで…ぼく自身が伝えたくってしょうがないことなんだよ!”と全力で伝えること、もう少し言うと、教える側の人にとってもチャレンジ要素があることだと思うのです。

2.目の前の年の離れた人の才能と向かい合い、見つけ、共有するというスタンス

 顕在化している能力だったらまだ見つけやすい。でも才能って端的に言い切ってしまえば、潜在しているもの。隠れた才能っていうもんね。特に20代やこれからチャレンジしようと考えている10代とかになると殆ど才能は隠れている。
 人の感情を読み取る才能、言葉の才能、俯瞰でものを見る才能、絵とか写真のビジュアルの才能==========
 ぼくにはその全てを見極める知識もなければ、経験もないのだけど===一つだけ重要視しているのが、感じ方の会話。
 お客さんとの会話を通じて何を感じ、どう考えたのか。会社で起こっている問題を通じて何を感じたのか?ディズニーランドで?旅行先の沖縄で?韓国人の友達に?ウクライナ戦争には?
 決して仕事上のアドバイスやコンサルティングからは生まれない価値観の会話。

 ”ひょっとするとこの人と真剣に向き合うと世界一になれるかも”と勘違いでも、少しでも思ってもらうことが大切なんだと今のところ思ってます。

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