変人類学序説②:「変」をめぐるイマージュ
ひょんなことから、「変」や「変人」というキーワードをもとに、教育や社会、ひいては世界について考えることになった。
2017年、人類学者として国立の教育大学で教鞭を取ることになってから2年目の冬。「変人」と「教育」を掛け合わせる研究所が立ち上がるのだが、その所長になってくれませんか、という依頼が突然飛び込んできたのである。なんのことやらさっぱりわからない。聞くところによると、以前に吉本興業とのコラボレーションで、小学校の先生方が「お笑い」の話術や発想力などを活かして授業開発をするという、芸人さんたちとの共同研究があって、その継続事業として芸人さんのようなクリエイティブな発想を生み出す「変人」そのものを育てていくような教育プログラムを作る企画が立ち上がったという。
この話を持ちかけてきたのは同僚のM先生で、大学ではアートやデザイン(つまり美術教育)を教えている敏腕の教員で、ぼくが立ち寄った美術科の飲み会で30秒ほど立ち話をしたことがある人物。この30秒で何があったのかはわからない。M先生のなかには「変人教育の構想をどう進めよう」という思惑が常に脳裏に焼き付いていて、そこにノコノコと現れたぼくを見つけだし、脳内で不思議な化学反応が起きたのだろう。「こいつにやらせてみよう」。M先生のしたり顔が目に浮かぶ。
思えば、「変」というワードが、閉塞感が限界に達し、既存のシステムがさまざまな場面で瓦解しはじめている現代社会を再構築していく突破口となりうる可能性について、薄々感じていた。実際に世間では、「変人」をキーワードに、さまざまな活動が萌芽的に構成され始めた時だった。2016年には中央大学において学生有志の活動団体である「変人学部」が設立され(現在ではNPO化されている)、2017年3月に大阪大学人間科学部が「人科≒変人!?」のキャッチフレーズを用い、同年5月には京都大学で「京大変人講座」がスタートした[1]。ぼくが所長をつとめることになった東京学芸大学の「変人類学研究所」は、正式には2017年の2月にプレスリリースがなされている(構想はその半年前くらいから)。この時期を、大学という教育機関における「変人元年」と名付けてもいいかもしれない。
一方で、広く社会の流れのなかでは、すでに「変人」というワードが折々に理念として掲げられてきたことを忘れてはいけない。たとえば、日立中央研究所(1942年設立)の初代所長であった馬場粂夫(くめお)氏は、研究者たちの開拓精神として「変人」を掲げていた。この研究所の領域に踏み込むために渡る橋は「辺仁橋」と呼ばれているが、以前は「変人橋」と表記されていたことはあまり知られていない。また、居酒屋「世界の山ちゃん」で有名な株式会社エスワイフード(1985年設立)は、創業者である山本重雄氏の「立派な変人たれ」という言葉を理念として掲げ、「<変>宣言」を提示している。「変で世界を変えていきます」という。さらに、コンサルティングサービスを主軸とするパクテラグループの日本法人でも、3つの「変」を理念として掲げている。①変化を恐れない、②変革を起こす、③変人であれ、の3つだ。2021年度から始まった長崎県の肝入りの開発計画は「長崎の変」だ。「長崎の魅力に、新たな変化を!」と掲げられている。「変」に寄せられた期待感は、多様な実践を生み出してきたのだ。
それにしても、「変」という字には、なんとも言えない難い魅力が備わっている。どの社訓にも教育理念にも、人間としての個別の異質性(「変さ」)を重視する感覚とともに、社会の「変」革につながるような希望が込められている。変化を恐れず、新たなイノベーションを生み出していく人間像としての変人。鬱屈した現代社会で、現状を憂うだけでなく、次世代の社会空間やビジネス市場を構成するためには、それぞれ個別の人間の「変」が発揮されることで生まれる創造性と、その積み重ねが生み出す変革のうねりが必要とされているのだ!という想いが伝わってくる。
でも、「変人」を忌避するような、否定的に捉えるような手合いも少なくない。インターネットを回遊すると、「変人」に対する嫌悪感が溢れんばかりにでてくる。「協調性がない」「行動・言動が自己中心的」「他人に迷惑をかけ、かえりみない」などなど。どうやら「変人」には他人が依拠する秩序に対する破壊的な特徴があるようで、「正しさ」や「常識」「まともさ」に対する反逆児のような扱われ方がされている。他には、「陰キャ」「アスペ」「コミュ障」などのような人格否定的な悪口とも並べられることが少なくなく、他人とのコミュニケーションを不得意とする「独りよがり」な存在としても語られやすいようだ。「変人」に見いだされる「自律性」への否定的表現としてみることができそうだ。
このように、現代社会における「変人」をめぐる言葉たちには、愛憎関係のような両極端に振れる対照的な感情が渦巻いている。このことは、「あなたは変(人)だね」と人からいわれた際に生じる、2つの感情の振れ幅と対応しているだろう。「変人」と言われて嬉しくなる人と、言われて苛立ちを覚える人。変人になりたい人、変人としていたい人、変人になりたくない人、変人を毛嫌いする人。「変人」に期待をする人、「変人」を排除し、これまでのあり方を肯定し守りたい人。「変人」は、期待と嫌悪、憧れと忌避といった相反する心象(イマージュ)をそれぞれに想起させる、「両義性」を持つマジカルワードなのだ。「変」「変人」は、その人の内面的な指向性があぶり出される試験紙のような働きをしている。
[1] この辺りの、大学における「変人」教育の流れに関しては、Forbes Japanの谷村一成氏によるニュース記事に詳しい。[https://forbesjapan.com/articles/detail/38842(2020年12月23日)]
次の記事:変人類学序説③:「変人」の現象学
前の記事:変人類学序説①:はじめに
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?