偶然と必然のあいだ
(本文)
こんな疑問を一度は持ったことがあるでしょう。
「この宇宙はたまたまできたのか、それとも誰かの何かの意思が働いて始まったのか」
宇宙の始まりはビッグバン説が今のところ有力ですが、高温で高密の塊が爆発し、宇宙は膨張している(し続けている)という話。この爆発は“たまたま”?
たまたまだとすると、高温と高密の状態はどうやってできたのだろう。もっといえば、爆発して膨張するという仕組みは誰が作った?
宇宙の誕生は、意思のない偶然かそれとも意思が働いた計画なのか。
今の所誰にもわかりません。科学者の多くは、あまりにも宇宙が緻密で精密に設計されていることを、その仕組みを研究する途中で知ってしまうので『意思があるとしか考えられない』となりやすいのです。
どうでしょう。人生をかけて解いた宇宙の謎に「法則性」を見つけた時、そこに『人智を超えた意思と知性』を感じないでしょうか。超難問のパズルを解いたとき、そこにパズル製作者の意思と知性を感じるように。
ちなみにアインシュタインは「神は人間の弱さが生み出した概念」と晩年に喝破していますが、それは人間が作り出した「人格神」を否定しているのであって、彼は自然界=神であると感じていたようです。
なぜ宇宙の始まりをあれこれ言っているかというと、我々の意識の始まりに似ているからです。私の意識はどこで生まれたの?という疑問がないでしょうか。始まりがわからないので、私はいったいだあれ?となるのです。そして人は、自分が何者かを知ろうと探求が始まります。
自分とは何者かを知りたい、という潜在的な欲求に素直に生きると、宇宙の始まりと一緒で答えが見つからず、迷い、悩み、悶々とします。そんなことよりも、日々の仕事や生活に没頭し、忘れていた方が氣が楽。目の前にあるゲームやパチンコに夢中になると、日々の悩みやストレスをすっかり忘れさせてくれるように。
そんな氣晴らしで自分を騙すのがイヤな「素直な人」は、答えを探し求め、時に宗教的な極端な教えに心の充足、安寧を見出します。原理的な教えにハマる人ほど、素直な人であることが多いのはそういった理由です。
自分っていう存在は、偶然の産物か必然の産物か。「たまたま父親と
母親の遺伝的な条件が組み合わさって、身体(ボディ)が生まれ、そのボディの中に脳という器官があり、それが育ってふと生まれたが意識なんだよ、それがあなた!」と言われてもどうも納得できない。頭で納得できても、心は納得していません。
絶対的な神の意思であなたは誕生した、といった「必然の産物」と言われても、違和感が残ります。であれば、偶然と必然以外の別の選択肢があるのではないでしょうか。人間の思考ではとらえられない領域。考えても捉えられないのであれば、両方の可能性をもって両方を探求し続ければいいのです。
答えが永遠に見つからないというのが「答え」かも。つまり、偶然と必然の間に存在していることで、宇宙も意識も存在できているのかも。「かも」ばかりですが、この「かも」に価値があるのでしょう。であれば、偶然と必然の間を楽しく漂い、面白くさまようことから、自分の価値が生まれてくる、の「かも」。
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