ガリレオと法則
高校1年生の時、つまずきました。それは物理です。
物体が動くルール的なものがあり、それを物理法則として学ぶのですが、感覚が全然つかめない。アルファベットを使った式で法則が表されていて、庶民感覚には程遠い。
案の定、テストは赤点で、追試を受ける羽目に。そんな物理が苦手だった私が、文系科目がもっと苦手だからと理系に行き、大学は工学部に。最終的に自分の感覚に合わなくて、理系はやめてアナログな人間系に進むことになり今に至ります。第一印象ってやっぱり大事ですね。
ところで、我々の生活の土台になっている建物、機械、エネルギー、電気、通信といった工業製品は全て「物理法則」にもとづいて設計し、作られています。毎日みなさんが手にしているスマホは物理法則のオンパレード。
こうして数多くの物理法則の恩恵を受けて豊かに暮らしていますが、どんな法則があるか知らなくても商品やサービスを消費者として享受できます。
法則の知らない消費者でも幸せなのですが、ときに罠にはまります。それはお金を払っても恩恵が受けられなくなった、つまり問題が起こった時です。問題の原因がさっぱりわからないので無力でちっぽけな自分をそこに感じ、無力では困るので抵抗するための「被害者意識」が芽生えます。さらには原因をでっちあげた「迷信」の世界に入ってしまうのです。
たとえば、昔の人は、干ばつや洪水といった天変地異があると天候の法則を知らないので、「これは天罰だ!龍神様の怒りを鎮めるために、生贄を差し出さなければならぬぞい」となりました。人智を超える偉大で恐ろしい自然におののき、被害者意識と迷信の世界に生きることになりました。
その迷信は宗教となって、多くの人間の創造性に縛りをかけることにもなったのです。「それでも地球は回っている」カトリック教会の異端審問で有罪となったガリレオ・ガリレイ(1564生-1642没)の発したこの言葉がそれを物語っています。
「被害者意識」と「迷信」の世界にいる人はその自覚がありません。迷信を逸脱した存在があらわれると、土台を崩されたような「不安」が沸き起こり「異端」として排除したくなります。仮に迷信の世界にいない人も、異端として排除された人を見て、迷信を信じるフリをします。こうして迷信は皆が信じる立派な宗教になっていくのです。
現代は、高度なサービス社会となってしまい、法則の知らない消費者になりました。たとえ生産側の企業に勤務しても、労働という対価を払ってお金をもらうという消費者的な働き方ができてしまうようになったのです。
そしてコロナ禍になり、人智を超えたコロナの被害者となったことで、迷信の世界に入りました。マスクやワクチンへの盲信です。すでに世界中では次々とマスクは外しているのに、外せない、いや外さない理由はここにあります。
実は迷信から抜け出している人も、異端扱いされるのは怖いので、信じているフリをするのですが、そんなフリはもうやめたいと思う人は、続きを読んでみましょう。
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それはちょうどいい!いきあたりバッチリ!が場活の合言葉。 日常を楽しく生きるために必要なメソッドを数千人との対話の中から導きました。いまも…
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