「ポンコツ」と呼ばれる法律の中身
法律論において指摘された3つポイントとは?
「インフルエンザ等特措法」の権限、責任、役割の曖昧さ
今回、知事達の活躍が目立っているが、「国と地方自治体の役割分担」が、明確ではないという指摘がなされる事が多い。
基本的対処方針という国の関与
まず、インフルエンザ等特措法の条文にある「基本的対処方針」という文言が物議を呼んでいる。
条文上、休業要請はあくまで知事の責任においてなされるとされているが、問題はその前提として、国に伺いを立てないといけないと規定されていることだ。
例えば、4月に東京都がどの業種に休業要請を出すか国との見解の相違があり、国との協議に一悶着あり、数日要請が遅れてしまったことがあった。
基本的対処方針という前置きがある為、知事単独では決められず、迅速な施策ができない。国の指示が休業要請に関わる為、責任の所在が都道府県知事で止まらず、国の責任が問われ得るのかが曖昧な条文となっている。
緊急事態宣言と休業要請の関係
続いて国の緊急事態宣言の解除と都道府県の休業要請の緩和・解除との関係だ。大阪府知事の吉村氏は「宣言は国が出し、対策は知事が取るとなれば、誰が最終責任者か分からない」と指摘している。
また「その地域がどう危険な状態なのかは地域によって違う。その地域のことは知事のほうが国よりも適切に判断できる」と述べ、緊急事態宣言も都道府県知事の権限とすべきだと主張している。
これも国と都道府県との役割の重複が問題視されているのだ。
個人的には、国の立ち位置は自治体の休業要請には口出しするが、そのことで起こり得る損害に対しては責任は負わず、権限の裏返しである責任や補償は都道府県がすべきだという、”いいとこ取り”とも思える条文に見えてならない。
今後、秋頃に想定される第二波に向け、国と自治体の明確な区分けが明記された条文に改正されるのか、注視していかなければならない。
「感染症法」では軽症でも強制入院となり医療崩壊になる?
上のタイトルにあることは、2月あたりにメディアや一部の専門家の間で、まことしやかに叫ばれていたことだ。病院に軽症の患者が押し掛けると重症者が埋もれてしまうのではないか、といったものだ。
こういった論旨は、特にコロナ対応の担い手の間で
という”検査制限説”があたかも正論であるということにつながった。しかし、この検査制限説を詳細に見ていくと、おかしなことに気づく事も多い。
19条の規定は「都道府県知事は~入院させるべきことを勧告することができる」とされている。勧告ができるというだけで、何も強制入院させなければならないとは、どこにも書いていない。検査陽性の軽症者は自宅療養にしてもらうこともできたはずだ。
検査制限説の有効性と問題点
検査することで医療崩壊するのではなく、こまめに検査しなかった、あるいは検査できなかった潜在的な陽性者が市中を動き回り、医療や介護の施設内に知らぬうちに入り込み集団感染が広がったのだ。
特に東京都では多くの救急外来を引き受ける基幹病院で感染者が見つかり、一部機能しなくなるという重大な危機に陥ってしまった。
おそらく国側の見解としては、8割以上は無症状もしくは軽症者であるから、肺炎像が出てきた中等症以上のもののみ、ケアすればよいという、検査制限説をいまだに支持している向きもある。
たしかに、今年初旬は、不確実なことが多く検査体制整っていない状況では、「重症者のみ囲い込むことにより命を守る」という基本戦略が功を奏したとも言える。ただ、今は検査体制が整い有効な治療薬も特定されている。
「早期診断と早期治療」という基本戦略にて、重症化を防ぎ”水面化での感染拡大を捉える”あり方に変えていくべきだろう。
曖昧な統計の公表
また、「検査を求める人にすべて検査を」ということが、かねてから政府側からも叫ばれているが、実際求めてきた人のうち何人が検査を受けたかの指標が公表されていない。
東京都では5月27日、受診相談コールセンターへ908 件相談が来ているが、検査人数は53 人である。この乖離はいったい何を意味するのか判然としない。
専門家会議の提言では、検査数が伸びない理由として検査や運搬をする人材の不足があると分析している。
こういったことは、医師国家試験のように数年に渡る学習や訓練が必要とは思われない。運搬での感染を防止する手順や検査方法の習熟は、1ヶ月の訓練もあれば十分だと考えられる。
第2派までに検査数を上げるために、臨時人員の確保が求められているのではないだろうか。
公益のためとはいっても私権制限は許されない?
まず、感染者の数が膨れ上がっていくと、クラスター対策班などのマンパワーによる追跡では限界を超え、ITを活用した感染者の追跡や管理が必要になってくる。
例えば、感染経路の不明な陽性者が出てきた場合、推定される感染時期の行動履歴などを携帯の位置情報などで追跡し、それらデータを集積することで、見えていなかった多くの感染者が出ている”ホットスポット”が特定されるかもしれない。
法律論として指摘されているのは、行動履歴など個人情報というセンスティブな事項をどこまで使ってよいか、プライバシーの侵害に当たらないかが問題になっているのだ。
感染拡大防止という公共の益に共するためとはいえ、本来守られるべき私権を毀損してしまう恐れがあるとして、日本では個人情報を積極活用したIT対策が、なかなか前進していないと言える。
もう一つの論点は、欧米だけでなく日本以外の各国では、罰則付きの外出(行動)制限を行っているという点だ。これは一見行動の自由を阻害するマイナスの面はあるが、罰則がある以上経済的補填もセットで施行されている。
一方、日本は要請にとどまるため、表向き自由を阻害していないように思えるが、あくまで自主性に任せるというこということから、本来セットであるべき経済的補填が十分に約束されていない。こういった補償なき休業要請が、多くの非難の的となっているのだ。
個人的には私権の尊重をあまりに偏重しすぎるのは、ナンセンスだと考える。今回は、たまたまヨーロッパやアメリカのような状況にならなかった、ということは肝に銘じるべきだ。
もし、ものの1ヶ月も経たないうちに感染が急速に広がった場合、どうやって感染者を制御しようというのか。数人のクラスター対策班で数百を超える濃厚接触者を追うことなどできるはずがない。
「個人の権利が・・・」云々と議論が収まらないうちに、膨れ上がる多数の感染者の特定や管理もままならず、自粛を我慢できない人々が市中に溢れかえり、爆発的感染が起こったとすると、あまりにも本末転倒のように思われる。
極端な私権制限を述べているわけではなく、諸々の緊急事態において「個人情報の保護」や「個人の行動の自由」と「公益を守る」こととをどうバランスを取るか、しっかり法律解釈を整理しておかなければならない。