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『LOVE TRANSIT シーズン2』で思ったこと

Amazonプライムで配信されている『LOVE TRANSIT シーズン2』が最終回を迎えた。本作に出会うまで、いわゆる恋愛リアリティーショーを観たことはほとんどなかった。それは人様の恋愛がコンテンツになっていることに忌避感を覚えていたことが大きい。しかしシーズン1を彼女と恐る恐る鑑賞し始めたところ、まんまと制作サイドの術中にはまり、残りのエピソードも貪るように観てしまった。

シーズン1終了後、他の恋愛リアリティーショーにも手を出したが、それほどはまることはなかった。
なぜかというと、それはおそらく"新たな恋を求めてホカンスに元カレ・元カノ(作中ではXと呼ばれる)たちが集う"という本作の絶妙な設定が際立っているからだと思う。他作品を深く知らないもののあえて言わせてもらうとすると、それは関係性ゼロの他人たちが集まって生活(および恋愛)する作品のような生々しいノンフィクション性はない。かと言って一人の女性(男性)のハートを複数の異性が勝ち取ろうとする作品のようなフィクション性もない。
ちょうどその間くらいにある本作は、参加者である彼らと程よい距離感を保ったまま鑑賞させてくれるものだと個人的に考えている。

そうしていよいよ待望のシーズン2が配信されたわけだが、参加者一人ひとりへの感想はX(これは旧ツイッターのこと)に溢れていることと思うので省略したい。
ここに私がわざわざ書きたいのは、とある男女を通じて思った"過去の人"という存在についてだ。
それは元カップルの2人で、女性はE、男性はTとする。
ホカンス滞在中、TがEの食べたいと言っていたお菓子を全部食べちゃったり、なぜか最後のX同士のデートでペアルックをしたりといろいろなことが繰り広げられ、その言動にはかなりやきもさせられた(楽しませてもらった)。
そんな日々の中で様々な気持ちの揺れ動きがあったと思うけれど、最終的には以下のような心境に至っていたと思う。

・自分は未練があるが相手はきっと振り向かないだろうと思っているE
・Eに傷つけられた過去が若干トラウマになっており復縁は考えていないT

そして彼らを含め、男性がX→思いを寄せる女性(同一のパターンもある)の順にバスで迎えに行き、思いが実った2人は一緒にトランジットする、というのがラストパートになる。その一連のシーンのける、EとTの様子が特に私の印象に残った。

彼ら以外の出演者たちは、男女ともに互いへの思いを語っていたのだが、2人の場合、Eが自分の気持ちを言葉にする時間が続き、Tが明確に発した言葉はなかった。
もちろん編集が入っているし、それ以前の機会ですでに伝えたいことは伝えた、という経緯もあると思う。ただEの話を聞いている間、虚空を見つめほとんど表情を変えないTを見て、ああこの人にとってEはもう"過去の人"、目の前にいるけれどもういない人なんだと思えてしまった。
一方はまだ相手がいる未来を想像し、他方は相手がいない未来をすでに見ている(この後Tは別の参加者に思いを伝えた)。そういう人と人が隣り合わせでいるというあまりに超現実的な事実が、私にはインパクトをもって届いた。
これはなにも彼らに限らず、普段意識する場面が多くないだけ、私と人との間にも同じような断絶が横たわっているのではないだろうか。そして一度交わってしまったことで、自分にとって相手が、また相手にとって自分がもういない人となったことがあるのだろうなと人との関係性が希薄になっていく今、身に沁みて思う。

参加者たちが私の理解できない言動をとる場面も多くあって、なんでそんなことになるんだ!?とずいぶん勝手なツッコミを入れながら鑑賞させていただいた。どこまでいっても他人の気持ちはブラックボックスだから完全に理解することはできない。けれども復縁のために奮闘する姿や、感情を揺さぶられて涙する人の姿にはどうしたって共感を覚えてしまう。そしてそれは断絶がすべてではないということで、自分にとって嬉しいことだと思った。

人間をむき出しにして本作品を届けてくれた参加者の皆さんには、僭越ながら心からありがとうございましたとお疲れ様でしたを伝えたい。そして勝手な感想をどうかお許しください。誰よりもみんなに優しかったスンギがさらに幸せになりますように。

2024/9/8


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