尊いお方
ここ1月あまり投稿せず、期待にそむき、誠に申し訳ありませんでした。
所得税の確定申告にたずさわっている関係で・・・・(言い訳は無しよ)
今日は、先日開催された浄土真宗の仏教勉強会のことを書いてみたいと思います。この勉強会は、中央仏教学院の卒業生及び生徒によって毎月1回土曜日の午前10時から開催されているものです。今回の勉強会はテレワークによって開催され、関東地区はもとより広島、京都、石川からの参加もありました。
今回は、この勉強会に参加された者(仮に「Aさん」と呼ばせていただきます。)を紹介したく思います。
勉強会は、コロナウイルスの関係からテレワークで行われました。パソコンで参加者と話をするので、Aさんと直接話をしたわけではありません。司会者が勉強会の開始に先立ちAさんを紹介されました。
紹介されたのは、Aさんは、青年になってから目を患い、現在は目が見えないこと、そして目が見えなくなって浄土真宗を勉強され「得度」され「僧侶」になられたこと、さらに、その上の位である「教師」の資格とられたことでした。さらにさらにその上の「布教使」の資格を取られた方であると紹介されました。
そうです、仏教典をいかにして読まれたのでしょうか。目がお見えにならない以上点字でしか読むことができません。仏教典には日常は使われない漢字が多いし、また漢字一字一字、一語一語に固有の意味があります。そして、経典の一部は暗記しておかなければなりません。筆舌を尽かせないようなご苦労をされたことが推察できます。
そして、パソコンを通して拝見するお顔は大変穏やかで、優しいお顔でしたし、お声も優しい声でした。
勉強会でのAさんの発言も適切であり、わかりやすく有難いものでした。
パソコンを通してAさんにお会いして、自分の不勉強、努力のなさを実感として感じたものでした。Aさんにお会いしたことを大変うれしく、有難く感じました。
信心が第一であることを再確認させていただきました。ありがとうございました。
親鸞聖人が書かれた「一念多念文意」には
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
の言葉があります。煩悩から解脱することはいくら努力しても絶対にできないことは承知していますが、だからといって何もしないことは許されるものではありません。
矢張り、聞法に努めなければなりませんね。