印鑑(ハンコ)文化はアリ? ナシ?
読者の方から、非常に難しい問題を投げかけられました。「ハンコ(印鑑)文化」についてです。
自民党の「ハンコ議連」会長でもある竹本直一IT相ですが、4月24日、「ハンコのために会社に行くと公共交通機関の中で密の状態が発生する。できるだけ省いた方がいい」と述べ、押印のための「やむなく出社」はやめるべきだとの認識を示しました。彼はそれまでハンコ業界を擁護する姿勢でしたが、「脱ハンコ」へとかじを切ったようです。
たしかにハンコ文化には論争があります。今回のコロナ禍の影響で、押印をするためだけに出社せざるをえないなど、リモートワークの障害になったり、そもそも事務処理のスピードを遅くしている、という批判があったりします。一方で、ハンコ業界で働く人々は少なくないですし、長年培ってきた文化の側面もあり、ハンコを守るべきという声をあります。
私の個人的な意見としては「ハンコはハンコで優れた面はある、けれども時と場合によって、ハンコ以外の証明手段を使うことが今後は増えていくだろう」という、あまり歯切れのいいものではありません。
どうしてそういった結論になるのか、少し書いてみたいと思います。
印鑑は一体、何時ごろから、何のために、使われはじめたのでしょうか。
インターネットの「ハンコヤドットコム」の「印鑑の歴史」に次のように掲載されています。
印鑑の起源について
印鑑は、今から5000年以上前のメソポタミア地方に、その起源があるとされています。当時使われていた印鑑は、円筒形の外周部分に絵や文字を刻み、これを粘土板の上に転がした。押印するというものでした。
有力者たちしか持てなかったもの 印鑑を持っていたのは有力者たちで、それぞれが、自分独自の印鑑に紐を通して、首に掛け、必要に応じて使用していたようです。材質は石や宝石でできていました。
起源から世界への影響 古代メソポタミアで生まれた印鑑は、その後、世界各地に広まり、東は中国経て、日本へ西はギリシア、エジプト、ローマを経て欧州各地に影響を与えました。しかし、欧州各国では、印鑑を押すという制度も習慣もほとんど残されていません。
日本最古の印鑑 日本で最古の印鑑は北九州で発見された「漢倭奴国王」と刻まれた金印です。印鑑は、まず、政府や地方の支配者の公の印として使われ始め、平安・鎌倉時代になって、個人の印として印鑑を押す習慣が定着したようです。明治になって、公の印はすべて、法律の規定に従って、管理・使用されることになり、個人の印は印鑑登録制度が導入され現在に至っています。
他国の状況と日本の捺印文化
ちなみに、欧米諸国では今日、印鑑を押す習慣はありません。他の国々も、中国などごく一部の例外を除き、印鑑の習慣・制度はないようです。そこで、日本に住む外国人が不動産を所有したりする場合には印鑑証明に代わってサイン証明の制度がとられています。
上記のとおり、5000年以上前のメソポタミア地方を期限とする印鑑は、現在では日本しか使われていません。また、印鑑の歴史からすれば、支配者、有力者が使用していたものを時代の経過とともに庶民も使うようになったということです。これがいわゆる日本の「ハンコ(印鑑)文化」です。
さて印鑑を使う長所はどんなところにあるのか考えてみました。現代では、宅配等を受け取る場合、署名もしくは印鑑を押して受け取ります。決裁文書にも責任者として印鑑を押します。
その一方で、字が書けなかった人が多かった昔には、庶民は印鑑を使っていなかったと思います。何故かと考えますと印鑑を押す必要がほとんどなかった、相互の信用で社会が成り立っていたのではなかったかと考えられます。
そうした時代に、印鑑に変わるものがあったのでしょうか。時代劇等にはよく犯罪者を仕立てるために「爪印」を押させている場面があります。事実かどうかわかりませんが、「指紋」(個々人が違うという認識があったかどうかわかりませんが)を押すということは、朱肉、もしくは墨を付けて押印したはずです。そうだとすれば、手が汚れ、拭き取らなければなりません。国民の数が大きく増え、一地方、村落等に固まっていたのに活動地域が広くなり、何らかの対応を迫られ、上流階級の印鑑を真似、同じように庶民が使いだしたのでしょう。そして現在のように印鑑、ハンコがどこでも使われるようになったと考えられます。
重要な書類を作成する場合に印鑑を使用することは、本人がその内容を承認した、という証明になります。さらに、印鑑証明書を受け取るのであれば印鑑が偽造される頻度が少なくなり、さらに安全になります。そう考えれば、重要書類の作成に当たっては、それなりの意味があると考えられます。これが日本以外の国においては署名(サイン)が使用されていますが、署名の模写される頻度は如何なものでしょうか。すなわち、簡単に証拠として使うお手軽さが、ハンコ文化が根付いた理由であり、ハンコの長所だった、ということではないでしょうか。
一方で、印鑑を使うことにともなって発生する短所は何でしょうか。それは、各人がいくつもの印鑑を持ち、ある者が他の者の印鑑を使うことが極めて容易であるということです。また、同じものが何時でも買えるあるいは作られるということです。押印があったとしても印鑑の名字の者が押印したかどうかの保証は何もありません。
そして、もうひとつの問題は、日本における印鑑の押印が時として押印する者のステータスとして考えられることです。決裁文書において、その者の印鑑が不在等を原因として欠落していた場合には、その者はえらく不機嫌になり、あるいは不適切な事由が発生した場合には、責任逃れに使用されます。
ここまで、ハンコの良いところと悪いところを整理してきたのですが、やはり私は迷ってしまいます。決済の簡略化には明らかに効果的ですが、デメリットもあるわけです。そこでもう一歩踏み込んで、印鑑(ハンコ)とサインとの証明力・証拠力を比較する必要があると考えられます。どっちが安全なのでしょう。
結論からいえば、どちらもリスクがある、ということになります。
印鑑(ハンコ)を単純な構造ですから偽造は極めて容易です。しかし印鑑証明の制度があるため、この点が補われている。とはいえ、他人の机上の印鑑(ハンコ)を押印してしまうことは簡単なことです。
また、署名(サイン)を偽造することも可能です。書類に署名(サイン)する際、本人がいれば難しいでしょうが、本人の代理人が署名(サイン)すれば可能でしょう。家族による代理行為は極めて不便になります。古文書にかかる調査においても署名(サイン)の真贋が調査されています。
この印鑑(ハンコ)、署名(サイン)の使用に関しては、その基本には人間を信用するか否かにかかっていると考えています。その書類、品物等を受け取る者が、後日これを渡してくれた者、作成者等をどう証明するかという点にかかってきます。私は証拠力の点からいえば、印鑑(ハンコ)の方がより有効だと考えています。しかしながら、単に受け取ったか否か、あるいは閲覧したかどうかという点に関しては署名(サイン)でなく「レ点チェック」でもいいし、三文判、ゴム印でもいいと考えています。
この考え方は、私の年齢(76歳)が影響しているのだと思います。が、現在、パソコンで書類を作成し、メールで書類を送る場合が多くなってきたことを考えれば、印鑑(ハンコ)・署名(サイン)は不要となり、登録番号・記号・パスワードが使われることとなり、印鑑(ハンコ)、署名(サイン)は不要となってくるでしょう。
要は、その書類にどの程度の証拠力を必要としているのか、担保力を有しているのかを考え、印鑑(ハンコ)にするのか署名(サイン)にするのかを考えればよいことだと思います。
日本の「印鑑文化」を考えれば、これが無くなることはありえないでしょうし、かといって何が何でも印鑑(ハンコ)というのもなくなるでしょう。宅急便の受け取り等は印鑑(ハンコ)の方が手軽です。本人の証明書として、運転免許証が使われていますが、高齢者は免許返上があります。先年「個人番号」が全国民に割り振られました。これを活用すれば、印鑑(ハンコ)、署名(サイン)、ゴム印等によるものでもよくなってくるでしょうね。
結論らしき結論が出なくて申し訳ありません。馬鹿な奴の意見ですから、そのあたりはご容赦を。