私は再びスペインに渡る~フットボーラー金森彩加の挑戦~
高校時代は全国選手権に出場し、大学では膝の怪我に苦しんだ金森彩加。大学卒業後にフットサルと出会いLetizia岡山Femminileの選手として中国リーグ得点女王に輝く。その後スペインフットサルリーグ2部で1年間プレーした金森に話を聞くことが出来た。
(2019年8月27日、追加取材2020年4月11日、聞き手鈴木康夫)
スペイン・バルセロナから帰国して
鈴木:まず始めに、スペインから日本に帰ってきて今はどんな気持ちですか?
金森:向こうの環境の良さやレベルで毎週コンスタントに試合をこなしてきた中で練習環境の違い、人数が揃わなかったり、戦術練習ができなかったり、スペインでは、ほぼ毎週のように試合があったので、一気に少なくなって、もどかしさと物足らなさがありました。
鈴木:スペインに行く前と同じチームに所属していますが、留学を経て何か違いを感じる事はありますか?
金森:スペインに渡る前(※1)とはメンバーの入れ替わりも結構あり、帰ってきた当初はチームとして作り直していく状況であったり、選手の中の意識が下がっているのを感じました。
「その中で、チームのために何ができるのか?」というのと同時に、自分自身はその環境の中で何を意識してできるかだと思いました。
※1:スペイン移籍前は、山本彩可(福井丸岡RUCK)、岡本亜子(岡山作陽高校)、浅野加帆里(ウノフットDIONE)らがLetizia岡山Femminileに所属していた。また、廣田奈美は史上最年少で女子1級審判を取得しなでしこリーグ笛を吹く事があり忙しい。
高校サッカーから大学サッカーへ
鈴木:サッカーの話から振り返っていこうと思うのですが、総社高校を卒業後の吉備国際大学でのサッカー生活はどうでしたか?
金森:高校までは(全国選手権に出場したり)思う存分サッカーが出来ていたのですが、大学受験では親や先生は国公立の大学への進学を望んでいたので、それもあって吉備国際大学への進学が決まるのが遅かったんです。
私は入学後に合流したのと(※2)、当時の私は人とコミュニケーションをとるのが凄く苦手だったので、人の輪に入っていくことがうまく出来なくて、早い時期に合流した同期は仲良しグループが出来ていたり、先輩と仲良くしていてチームに乗り遅れてしまいました。
※2:入学前の2月ごろからサッカー部に合流している選手が多い。金森の同期には西川明花(伊賀FCくノ一三重)や高野紗希(ちふれASエルフェン埼玉)らがいた。
鈴木:その数ヶ月は長いですよね。
金森:はい。先輩や同期が心配して話しかけてくれたのに、自分自身がうまく心を開けなくて輪に入っていけなくて浮いてしまっていました。それに加えて、受験でサッカーをしていなかった期間が長くて体も重くなっていて、スタートが遅れて思ったようなパフォーマンスが出来なくて焦っていました。
鈴木:その状況では出だしで焦ってしまうのはわかります。
金森:大学でのサッカーの環境は高校までとは全く違い練習量は増え、高校ではペナルティーエリア程度の広さでしか練習出来なかったのですが、大学ではフルサイズです。毎日のように練習はあって時間は長くなり、朝練も入るし筋トレもする。だから、体の疲労が全然抜けない状況でした。その状況に加えて、後れを取り戻そうと自主練をしたので、案の定怪我をして思うようにできなくなって自分を追いこんでしまいました。相談できる人もいない中で、先輩たちからもきつく言われることもあり、精神的に落ち込んでいました。
鈴木:空回りしてしまったのですね。
金森:はい。1年生の終わりにはサッカーすることもままならない膝の怪我をしてしまって苦しい日々が始まりました。手術を受けて新らしいシーズンに向けてリハビリをしていく中で、医者が提示したメニューよりも早く回復してサッカーがしたいと思って焦っていました。痛みがある中でも無理にリハビリをしていったので体の様々な部位が怪我をかばってしまって、別の怪我が重なっていっていまいました。だから2年生はほぼサッカーが出来ていなかったです。その頃からサッカー部の裏方になっていきました。
鈴木:そして3年生だった2013年のなでしこリーグ入替戦第2戦、加古川運動公園陸上競技場で行われた吉備国際大学シャルム対スフィーダ世田谷の試合で私と金森さんはニアミスをしていたのですよね?(※3)
横断幕の事前搬入の時に「横断幕を搬入していいですか?」「どうぞ!」って。
※3:筆者は2011年から2014年夏までスフィーダ世田谷(現在なでしこリーグ2部)の応援をしていた。
金森:(笑い)
卒業後の進路~フットサルとの出会い~
鈴木:同期が引退するよりも早くサッカーから引退していたのですよね?
金森:はい、他にやりたいことができたので、途中で引退を決めて、起業の準備をしてました。
鈴木:どんな起業をしようとしていたのですか?
金森:ゆる体操(※4)と出会って膝の調子が良くなっていって感動していた大学3年の頃、メンタルコーチと出会って自信が持てなかった自分がどんどん自信が持てるようになっていきました。大学のゼミの先生から卒業後の進路を聞かれた時に「まだわかりません。でも人を笑顔にできるような事がしたいです」と思うようになり、起業する事を考えました。
※4:身体をゆるめて怪我防止やパフォーマンス向上に役立つ体操。
鈴木:人を笑顔にする起業とは?
金森:「人を笑顔にできるような事」を考えている中で、大学4年の夏頃だと思うのですが、サッカー部のスタッフが実施している地域の高齢者向けのスポーツレクリエーションイベントがあって「ちょっとやってみないか?」と誘われて、既に資格を持っていたゆる体操教室を担当しました。参加した皆さんが気持ち良さそうにしているのを目の当たりにして「こういう仕事をしてみたいな」と思うようになりました。そして起業してゆる体操を広めていってみたいと思うようになったので起業準備を始めて忙しくなっていったので、インカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)が始まる前11月頃に引退を決心しました。運営の手伝いはしてたのですが、卒業論文を仕上げながらゆる体操の起業の準備をしていました。
鈴木:Letizia岡山Femminileでフットサルを始めたきっかけは?
金森:大学の先輩がいたこともあり、以前にチーム練習に参加したこともあり、また、中高の時に一緒にサッカーをしていた仲間もいて、声をかけられてたり、監督からも直に電話があったりで、「あまり練習に行けないから…」と思っていた私を、それでもいいからと誘ってくださった事からフットサルをする事にしました。
鈴木:大学を卒業した2015年のフットサルのシーズンは最初から夢中になってプレーしていたのですか?
金森:もちろん勝ちたいという気持ちで最初の頃からやっていたのですが、今と比べたらそれほどでもなかったです。仕事優先だったし、練習場まで遠い(車で90分から2時間程度かかる)という理由ではなくて、なんとなく行く気がしないということがあったり、仕事が忙しかったのもあるんですけど、今だったらそういう状況でも練習にはなんとか行こうとするので、フットサルをはじめた当時はまだまだ真剣じゃなかったと思います。
ブラインドサッカーとの出会い
鈴木:ブラインドサッカーに関わるようになったのはいつ頃ですか?
金森:2015年の夏から秋にかけて起業関係のセミナーに参加している時に知り合った人がブラインドサッカーに関わっている人と知り合いでした。私がフットサルやサッカーをしているということで「ブラインドサッカー知っている?」と聞かれたのですが、ブラインドサッカーを知らなくて、初めて視覚障害者のサッカーだということを知りました。当時ゆる体操をしていたので身体意識にとっても興味があって、視覚を遮ってプレーするとどんな感覚が身に着くのだろうか気になったんです。
鈴木:意識と体がどう動くのかという身体操作はアスリートなら興味あるところですよね?
金森:そこから気になっていって、地元の岡山デビルバスターズが載った新聞を見せてもらったんです。サッカーが好きなチームキャプテンが交通事故(※5)で半身まひになってしまい、ブラインドサッカーをすることを目標にきついリハビリを乗り越えた話が載っていて、すごいなと思って見学に行ってみようと思ったんです。そう思った時に岡山デビルバスターズのLINEグループに突然放り込まれたんです。
※5:チームキャプテンは交通事故に遭い、長い意識不明の時間を経て半身付随の寝たきりの状態に。岡山デビルバスターズについての報道を観た御家族がブラインドサッカーを勧めて、選手を目指して過酷なリハビリを乗り越えた。
鈴木:それは突然ですね。
金森:はい。仕事などが忙しかったので直ぐに見学に行けなかったですが、私が主催しているイベントに安藤監督が参加してくださって、そこから実際のつながりが出来てきて見学にいけるようになって、練習に参加する様になっていきました。確か2015年の終わり頃でした。実際にブラインドサッカーを体験してみたら面白かったんです。チームキャプテンの努力や視覚障害があっても努力してサッカーをしている姿を目の当たりにしたら凄いと思ったし、私も膝の怪我があったけどその悩みなんて小さいなと思ったんです。
鈴木:「小さいな」と。
金森:膝の怪我があっても「私はまだまだできるじゃん」という希望を見せてもらえたんです。そこで、私に出来る事があったらしてみたいなと思って関わり始めました。
鈴木:選手としてやるつもりはなかったのですよね?
金森:はい。でも、いつから選手をやりたいと思ったのかが思い出せないんです。楽しかったからいつの間にか選手をやっていました。
鈴木:2016年7月のブラインドサッカー日本選手権に筆者のチームのグラオベンフロイント東京として出場しましたよね?その時には選手としてやっていましたが、気持ちの面ではどうでしたか?(※6)
※6:2016年4月のブラインドサッカー指導者講習会で筆者と岡山デビルバスターズのスタッフが出会い金森彩加選手と繋がっていった。
金森:当時は結成されたばかりの女子日本代表の練習にも呼ばれて参加していたのでブラインドサッカーを極めたいと思っていました。
鈴木:日本選手権では女子選抜対ユース選抜のエキシビジョンマッチに出場していましたね。
金森:はい(笑)あの頃は方向を認識する力が掴めていなかったのでコートの中で彷徨っていましたね。おっちーさん(元日本代表落合啓士選手)が岡山の練習に参加してくださった時に空間認知をどうやっているのか教えてもらえて、アドバイスを意識してプレーするようになってから感覚がつかめるようになりました。誰がどこにいるかわかるようになって方向感覚がつかめるようになって、相手との間合いが詰められるようになってきたら面白いって思えるようになったんです。今はブランクがあるから多分上手くいかないかもしれないです。
鈴木:その年の秋に岡山デビルバスターズが西日本リーグに初参加することになりましたよね?
金森:はい。全然点取れなかったですけど…。
鈴木:ブラインドサッカーの経験はフットサルに活きていますか?
金森:活きていると思っています。あるじゃないですか、見えないのに見えるというオーラというか存在を感じることが。それがピヴォとしてターンシュートに活きていると思います。ブラインドサッカーの空間認知力はゴールに背に向けていて目で見えていなくても、どこに何があるか把握できることにつながっている大きな要素だったと思います。
鈴木:気持ちの面ではどうでしたか?
金森:膝を怪我して逃げていた自分がいましたが、生まれつき持っていたものを人生の途中で失って出来ていたことが出来なくなった人が夢に向かって頑張っているのを目の当たりにして自分自身を「ちいせぇっ(笑)」って思いました。もっとやれるのに。
鈴木:ブラインドサッカーは2016年シーズンだけプレーしていたのですか?
金森:確かそうです。2017年の日本選手権は応援で行きました。
本格的にフットサル選手として
鈴木:フットサルに専念したその年の中国女子フットサルリーグで有言実行で得点女王になりましたよね?
金森:はい(笑)
鈴木:フットサルに専念してから選手として「こうなりたい」という姿は決まっていましたか?
金森:そうですね。日本代表とかも意識するようになりましたし、自分の可能性にもっとチャレンジしたくなって、刺激が欲しくなってました。そこに気づく…選手としてのスイッチが入るまでには色々とありました。
色んな葛藤があって、そんな時の出会いから「私は今、何に本気になっているのか?」そう思った時に、選手として諦めていた気持ちに気づくことができて、スイッチが入りました。
そこから刺激と学びを求めて、スペインに行きたいと考えるようになりました。
鈴木:そのような経緯でスペインにフットサル留学することになったのですね。
金森:スペインでプレーしたことで技術面やメンタル面を含めて自分に足りないものがはっきりわかりました。帰国した今、その足りない部分を意識してフットサルに取り組んでいます。
鈴木:今シーズン(2019-2020)はLetizia岡山Femminileに帰ってきてプレーしてましたが、2020-2021シーズンはどう考えてますか?
金森:スペインへ行こうと思ってます。今、何があってもこのチームに入る!と決めてるチームがあるんです。
この2シーズン、自分の気持ちを誤魔化したら悪循環になるというか、良くないことが起こることを身をもって知りました。例えば、膝の悪化で引退の危機にもなりましたし、帰国を決めた一つの理由だった、地元開催のトリムカップがコロナで延期?になってしまったり…。
だから、今度は本当に求めている環境で、求めているフットサルを、選手人生かけてやり切ろう!そう考えています。
鈴木:現在もスポンサーや支援者を探していると思うのですが、前回のスペイン留学のチームは自分で見つけたのですか?
金森:たまたま久しぶりに会った友達の友達がバルセロナでフットサルをしていて繋げてもらい、その人のアテンドさんを紹介していただきました。その時は、短期留学だけのつもりでしたが。
鈴木:スポンサー活動はどうやって行っていましたか?スペインに渡る前に夢を語る会という集まりで夢を語っていたのを覚えているのですが、人との縁で発掘していったのですか?
金森:地元で活発に動いている方と知り合って夢を語っていたら、その方に「新見ふるさと塾」という新見市を盛り上げるための活動をしている集まりに誘って頂いて夢について語らせていただいたのです。備北新聞の方などに応援して頂けるようになり、応援団が結成されて支援していただくことが出来たのです。
鈴木:応援団ですか。それは凄い。
金森:ただ、帰国後も色々あり、私の中でスポンサー活動に引け目を感じた時期とかもあり、動けなくなったんです。でも、周りの方のおかげで「何のために?」という部分が強く見えた時、今、私がここをやるべきだ!と思いました。本当に周りの方々、たくさんのご縁のおかげなんです。それがなければ、スペインに行くことも、フットサル選手としての人生も終えていたかもしれません。
鈴木:その「何のために?」をきいてもいいですか?
金森:熱い人間ですけどいいですか?(笑)
諦めそうになる時、人生を投げ出したくなる時、みんなあると思うんですよね。それは、自分の気持ちの問題だけじゃなくて、環境や状況によって、諦めざる得ない時とか。
私もスペインにいた時から悪化して行ってた膝が帰国して、本当に『引退』の文字がそこにあるところまできて、本当に今後どうするか真剣に悩んでたんです。でも、ようやく「こんな自分だからこその価値がある」と思えるようになって。
鈴木:「価値がある」と。
金森:「今、ここ乗り越えたら、どれだけの人に可能性や希望を届けられるかな?」って。
膝の怪我でこういう気持ちを味わってるから、怪我をした人たちの希望になれるかもしれない。大学時代、なでしこリーグの運営として活動をした経験もあるので、順風満帆でなかった人の気持ちもよく理解できます。そんな有名でも何でもない私が、ここから夢を実現させていく事に価値はあると思うんです。それは、人に可能性や希望を届けられると思うんです。
鈴木:日本で順調にいかなくても海外で上手くいく可能性はありますよね。
金森:はい。そして、スポンサー活動にも理由があって、同じように資金的な面とか家庭環境とかで夢を閉ざされる選手って少なくないと思うんです。私は子どもの頃親に言われたことがあります。
「サッカー選手になったって、女の子は稼げないんだから。」って。
でも、それでいて先に続く子どもたちの夢を奪って良いのだろうか?と。それでね、私、前に約束しちゃったんです。サッカー選手になりたいって言ってる女の子と。
鈴木:それはどんな約束を?
金森:「今は、確かに選手だけで食べていける人はほとんどいない。けど、その道、自分が作るから。」って。
鈴木:素敵な話ですね。
金森:はい。それが、スポンサー活動なのか?と言われるとそれだけじゃないと思うので、今、色々と模索してチャレンジしてるんですけど、でも、その道を作りたいって思うんですよ。それができたら、これから夢もってチャレンジする子がもっと増えて、日本のフットボール界、というかスポーツ界がもっと盛り上がるんじゃないかって思うんですよね。
鈴木:色々な方法で挑戦できる道が出来るのは良いですね。
金森:そうなんです。スポンサー活動に対しても、今、ほぼ無名の私がスポンサーの宣伝を出来ます!とは言い切れないけど、(できるための形を今作りはじめてますが)一緒に夢や希望や感動を共有できるスポンサーさんと出会って力を合わせていきたいと思っています。
私はスポンサーになってくださった方と、家族のような関係を築きたいんです。
鈴木:パートナーの様な関係ですね。
金森:私は夢を考える時にただ日本代表になりたいとか、スペインでのチャレンジを思っているわけでなくて、応援してくださってる方と夢や希望や感動を分かち合って、周りの人が笑顔になる場所を作りたい、繋がっていく場所を作りたいのです。みんな可能性があるって伝えたくて。
そうして繋がっていった先にもっと大きなものが出来あがっていくと思っています。
鈴木:その思いがある中での次の挑戦ですね。
金森:はい、次のスペインへの挑戦は私の選手人生すべてをかけて可能性に挑むので、そのスペインでの経験も、未来の日本に還元していけるくらいに大きくなって帰ってきたいと思ってます。
もし共感してくださる方や興味を持ってくださる方がおられたら、繋がっていただけたら嬉しいです。
今、やっていることとしては
オンラインサロン(有料)
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あと、最近YouTubeも始めました!
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チャンネル登録していただけたら嬉しいです。
スペインのフットサル環境
鈴木:スペインでの1日はどのように過ごしていましたか?
金森:最初の頃は、昼過ぎまでは語学学校で学び、午後は勉強、ご飯や練習の準備をして練習に行ったり、自主トレーニングをしていました。オフの日は観光したり、友達と過ごしたり、インテルカンビオ(※7)に参加して言葉を学んでいました。最初の頃は言葉が分からなかったので、ひたすら勉強をしていた時間が多かったと思います。留学後半は、アルバイト、トレーニング、アルバイト、練習というように過ごして、友達との時間も作って過ごしていました。
※7:インテルカンビオ(Intercambio)は留学生と現地の人との異文化交流や言語交換の場。
鈴木:チームメイトはプロ契約ですか? またはアマチュア契約選手の職業はどのようなものですか?
金森:私は2部のチームにいたので、プロの選手はいませんでしたが、試合などの遠征費、アウェー戦の時の食費、チームウエア類はすべてチームが提供してくれました。チームメイトの職業はバラバラでした。学校の先生、スクールコーチ、企業勤務、そして、学生が多かったです。
鈴木:言葉の壁はどう克服しましたか?
金森:言葉の壁は「ひたすら話したい」いう思いで勉強してましたが…、基本的にはジェスチャーやボードを持ち歩いてそれに書いたり、わかる単語を並べたりしてました。会話がなくても最初の頃は常に笑ってましたね(笑)
鈴木:フットサルをする環境の違いはありましたか?ハード面ソフト面それぞれどうでしたか?
金森:まず、遠征費、チームウェアなどはチームが提供してくれるのが資金的にも凄くありがたいことでした。練習は、常にフルコートで練習ができるのがありがたかったです。みんなが揃う時間の関係もあり、カテゴリーが上になるほど後になる(早い時間は子ども達優先)というところから、練習の時間はとても遅かったです(笑)
毎週試合が組まれていたので、曜日毎の大まかなプランニングもなされていました。オフィシャルは少なくてシンプルでしたね。審判が2人、タイムキーパーが1人です。チームによってはトレーナーがいましたが、私のチームには居なかったので少し残念でした。基本的に練習や試合は監督とアシスタントコーチだけでした。会場にもよるのですが、土足で入れる会場が多いので体育館が滑るのがスペインではよくあることですね。
鈴木:新たな目標に向かって頑張ってください。今日は貴重なお話をありがとうございました。
金森:ありがとうございました。
2020年4月現在、新型コロナウイルスの影響でフットサルの日程は延期となっている。地元岡山県でのトリムカップに出場に向けてリーグ戦とトレーニングを積んでいた金森彩加はこの状況ということでLetizia岡山Femminileを退団する決断をした。現在は新型コロナウイルスの終息後の動きの為の準備を行っているという。今後の金森彩加の動向に注目していきたい。
金森彩加(かなもり あやか)
1992年生まれ、岡山県出身
2008-2010 岡山県立総社高校サッカー部
2011-2014 吉備国際大学Charme岡山高梁(プレナスなでしこリーグ)
2015-2016 岡山デビルバスターズ(ブラインドサッカー)
2015-2018 Letizia岡山Femminile(中国女子フットサルリーグ)
2018-2019 FS Casteldefels(スペイン女子フットサルリーグ2部)
2019-2020 Letizia岡山Femminile(中国女子フットサルリーグ)
2020- 無所属
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ブラインドサッカーについて綴っていきます。 日本初の女子ブラインドサッカークラブが出来ていく歴史を見守ってください!がんばります!