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「それでもどこかで生きている」(2023/03/25の日記)

 今日は「まりなす4周年記念ムービーライブ『SIGNAL』」をオンラインで見ました。僕はこれまでまりなすをバーチャルアーティストの音楽イベントでしか見たことがなかったのですが、メンバーの1人である奏天まひろさんがこのライブをもって活動を引退するということ。それからLiLYPSEとアイデスがゲスト出演するということで見てました。

 感想としてはめっっっっっちゃめちゃ良かったです。4月8日までアーカイブが視聴可能なので内容についてはあまり触れませんが、パフォーマンスもシナリオもとても満足度の高いものでした。上述しましたが、僕はまりなすの活動は音楽イベントに出演した際のものくらいしか知りません。それでもかなり楽しめたのでぜひ見てほしい!必見です。

 さて、ライブの中で奏天まひろさんよりこのような挨拶がありました。

「私は、まりなすとしての活動は引退しちゃうけれど、いなくなるわけじゃないから!この世界のどこかでこれからも、生きていくから。」

まりなす4周年記念ムービーライブ「SIGNAL」 - Z-aN (zan-live.com)

 僕もこれまで、何度かバーチャルYoutuberの活動が終わる瞬間を見届けました。その中で、まひろさんと同じ旨の言葉も聞いた記憶があります。「バーチャルYoutuberとして目に見える形での活動はなくなるけど、同じ空の下(あるいは電脳世界など任意のどこか)、自分は元気でやっている」という言葉。これって希望のある言葉だなぁ、と今日改めて思った次第です。

 普通の芸能人が引退するとなっても件のような言葉は出ないわけです。同じ人間である以上「出す必要がない」という方が正しいかも。
 しかして、バーチャルに生を受け、バーチャルYoutuberなりバーチャルアーティストなり活動を始めた以上、その活動を終えるというのはほとんど「死」と同義であると考えています。強い表現を使ってしまいますが、電脳の肉体をもってして共通概念のもとに生まれた存在が活動を停止するというのは、畢竟そういうことになるのではないか、と思います。

 ですが、例の文言をひとこと言うだけで「活動が表に出ないだけでこの存在はこれ以降もどこかで生きているのだな」と再認識することができると思うんですよね。
 めちゃくちゃ最低な例えをすると、催眠音声(オブラート)の最後にちゃんと解除音声を聞くみたいな感じ。夢から覚める、リアリティを取り戻す。どんな表現が適当なのか判断に迷いますが、そんな感じです。

 バーチャルを追うということは適度に脳を麻痺させるということ。ただ麻痺させたままだと不都合もあるから、適度に醒ます。この辺の調節をうまいことやっていきたいなぁと日々考えています。難しいね。


 柄にもない話をしちゃったので昼に食べたタコライスの画像を載せます。マックの近くに移動販売車が来てたから買っちゃった。高校の修学旅行で沖縄行ったときにタコライス初めて食べてめちゃめちゃ美味しかったからそれ以来ずっと好き。

 辛(つら)さを凝縮したソースみたいだね。

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