背筋が凍った話
TwitterとかPinterestとかにはよく子育て中のママが描いてるマンガをよく見かける。私は未婚で独身なので子育てとは無縁に生きているのだけど、『あ、子育て中のお母さんってこんななんだな』と思いながら読んでいる。可愛いと和んだり、お母さんは大変だなぁと思ったりしながら読んでいるうちに、ふと“うちの母はどうだったのだろう?”と思い出したら何だかゾッとしてしまった話です。
私は両親が結婚した次の年に産まれた初めての子供です。私を産んだ時の母は未だ26歳。現在の私よりずいぶん若い。この新婚家庭には認知症の症状のある私の曾祖母が同居していたらしい。曾祖母は私が1歳とかの時に亡くなっており、私に曾祖母の記憶はありません。しかし、私の彼女へのイメージはあまり良くないです。というのは父から笑い話のようにして次のように聞かされていたから。
私が産まれたばかりの時の母は父に言わせると異常だったそうです。毛を逆立てる猫のようにピリピリし、当時住んでいた日本家屋の私が寝ている部屋に心張り棒を噛ましていたそうです。
そんな冬のある日、私を置いて買い物に出掛けて帰ってきたら曾祖母が私を抱っこしており、私はその日40度近くの高熱を出したらしい。曾祖母が抱っこしていたから高熱を出した、とも言わんばかりの言い方で話されるのでした。
子供の頃に何度も繰り返し聞かされていた私の脳内イメージは心張り棒を噛ました入口によって隔離された部屋にベビーベッドに寝ている赤ん坊が取り残されているものでした。もし何かあったら取り残された赤ん坊はどうなるのでしょう?守る為であったとしても心張り棒は取り去られて認知症の老人が抱っこした結果、高熱を出している訳ですし。心張り棒を噛まし、全身の毛を逆立てるような殺気を纏う母のイメージは子供に愛情を掛ける所謂優しい母のイメージとは程遠いです。母は非常に躾のキツい母だったので余計にそう思った訳です。
その後、妻も母も経験することなく年を重ね、冒頭のようなマンガを読んでほんの少しだけ子供が産まれたばかりの母親の気持ちというか本能的な何かとかを想像出来るようになりました。後、次の3つの事実を母から知らされました。先ず、その日私の体調はすぐれず、寝返りも打てない月齢だったので布団に寝かせて1時間程買い物に行ったこと、次に曾祖母は認知症といっても所謂まだら呆けでしっかりしている時間もそこそこあり、その日も通常とは違う泣き方をしたであろう赤ん坊を毛布にくるみ風邪をひかせないようにきちんと配慮していたこと、最後に認知症の曾祖母に赤ん坊を抱かせることを嫌がったのは母よりも父であること(この曾祖母は母方であったことも影響しているかもしれない)。
さて。こうなると話は色々変わってきます。先ず、初めて子育てする母親は子供を守る為に非常に神経を尖らせるのは最早本能レベルだということです。そこにまだら症状とはいえ認知症の老人が同居していたら子供を守る為に最早殺気だつレベルに神経を尖らせたというのは当たり前の話でした。その上で父が認知症の老人と赤ん坊の接触を問題視するとなれば接触させないために赤ん坊を守る為にも心張り棒を噛ますのはある意味当然なのです。また、まだら症状なら正気に戻る場面もあり、毛布にくるむ等の対処をして赤ん坊を抱っこすることもあり得ます。更に、赤ん坊は熱を出しやすい。この時も熱は直ぐに下がったそうな。
こうなると、素朴な疑問が出てきます。
父親、お前は何をしていたんだ?
赤ん坊が産まれたばかりの家庭にまだら症状とはいえ、認知症の老人を同居させた母方の親戚もおかしいといえばおかしい。しかし、しかしですよ。認知症の老人から子供を守ろうとする母親をサポートするのが夫であり父親である男の役目ではないのか?後に自営業者となってから私の教育には過干渉だったのですが、最初は基本的に赤ん坊をお風呂に入れるだけしかしない母親によるワンオペ育児だったそうな。何の協力もサポートもしないくせに、妻を異常だと何年も子供自身の前で笑い者にするその神経の方がよっぽど異常なんではないか。そして、ですよ。子供ながらその父親のその神経の異常さに気づくことなく、般若のようなイメージのみを母親に持っていたことに心からゾッと背筋が凍る思いがするのです。
父が亡くなってから、父がモラハラくそ男であることが明るみになりました。そのモラハラの中で頑張って育ててくれた母に心から感謝します。