がん告知について
さて、何でこんな話を書こうと思ったのか…
ついに「医療倫理」をやり始めたからです。
多分、福祉に関わる職種は誰でも必要になる医療倫理。
私は、仕事柄「人の死」が身近にあります。自分の担当していた患者さんが、亡くなってしまうなんて珍しくないことです。うちに入院して次の日には亡くなってしまう、来院する予定だったのに亡くなってしまうや、他の人が担当していた人が亡くなる…日常生活の一コマになってます。「御逝去」の文字は何回見たか…死亡診断書も見てきました。
だから、亡くなった患者さんのカルテは一度じっくり読むことにしてます。どんな経過を辿ったのか…どんな人生を歩まれたのか…死亡カルテとは言われてしまいますが、亡くなった患者さんは「医療倫理」を教えてくれる最高の教授だと思っています。
その中で「がん告知」をするか、しないかというのは、世間では随分と収まった問題かもしれませんが、今だに出会う問題かもしれません。
私は、がん告知がまだ進んでない時代を知っています。親族の一人はがんを知らずに死んだそうです。家族が告知を嫌がったのだと聞いています。でも、多分本人は知っていたと思います。だって、病名を知らせず弱っていく体を見れば気づきませんかぇ?例え、違う病名を知らせたとしても、私がその立場になれば、多分気づきます。というか、社会がその風潮なら…尚更気づいたでしょう。最後、どんな気持ちで亡くなったのかは知りません。だけど、私の中には元気な時、入院している時、お葬式の時とちゃんと一つ一つの思い出は残っています。
と、まぁ少しズレましたが、稀にみます「ガン見告知」の文字。個人的な意見ですが、未告知はエゴだと思っています。それは、本人が「知らせないでくれ」と希望したのでしょうか。周りが「可哀想だから…」と思って判断してるのではないでしょうか。私の話に戻すと、もしがんだと知っていたら、私の親族はきっとやりたいことをやったでしょう。親戚回り、家のこと、家族のこと…葬式のことや、お墓のことも決めたかもしれません。未告知とは、その機会を奪うことになりかねないと思います。もし「明日死にます」と言われたら、残したい言葉ややりたいこと、きっとあるんじゃないでしょうか。
だから、がんの告知というのは、必ず本人にするべきものだと思うのです。本人の体のことを本人が決めるというのは、それこそ権利だと思うのです。