『つくば』の街づくりに関わって40年、クリエイティブ・ディレクター"佐山 剛勇"さん
佐山さんは、デザイン会社『株式会社ツクバ・インフォメーション・ラボ』の代表。個性を見つけ出し強みに変える戦略的な表現手法で、モノだけでなく、コトもデザインし産業や地域の活性に役立つデザインを提供しています。
【佐山 剛勇さんプロフィール】
出身地 茨城県古河市
活動地域 つくば
経歴 株式会社ツクバ・インフォメーション・ラボ代表取締役クリエイティブディレクター1980年、つくば市(当時の桜村)に辿り着き、筑波研究学園都市の街かどに佇み、コミュニティの必要性を強く感じる。やがて筑波大学の有志らと、出会いと交流をテーマに「まつりTsukuba」を立ち上げる。まちづくりデザインをテーマとするラボ(研究室)を拠点にやがて株式会社ツクバ・インフォメーション・ラボを設立する。情報の活用とデザイン表現による事業を始める。「つくば食事典」、「パンの街つくば」をはじめ、地域の公益性をテーマとした事業、また企業の広報戦略等に携わる。以来40年間、プロデュース及びブランディングを続ける。日本デザインコンサルタント協会(JDCA)会員、つくばスタイル縁日 実行委員、茨城デザイン振興協議会 第3代会長(現在は顧問)。
座右の銘 『近説遠来(キンセツエンライ)』
Q:今のお仕事(デザイナー、クリエイティブディレクター)をされるきっかけはなんだったのですか?
子供の頃から絵を描くことが好きだったのですが、今から57年前、僕が小学4年の時に『デザイン』という世界があるということを、美術の先生が教えてくれたのです。見えるものをそのまま描くのではなくて、頭の中に浮かんだイメージを形にしたり、全体のバランスや絵と文字を組み合わせてレイアウトすることができるデザインと制作手法があることを知りました。その後、学校の統計図表やポスターなどを頼まれて作ってました。
その後、中学生になってから、アンダーグラウンド、ヒッピーカルチャー、インド哲学といった世界に興味を持ち、アンリ・ルソー、横尾忠則、唐十郎、寺山修司、エリック・クラプトンのようなアーティストに憧れました。
また、エレキギターにはまってバンドを組み、後に大きなオーディションで準優勝したことでスカウトもされたんです。ですが僕にとってはデザインが仕事としてやりたいことであり、音楽は趣味だったので断りました。
それから、シュラフ1つを担いで旅する旅人でした。そして27歳のときにたまたま『つくば』に来ました。当時ここには街がなくて、人も見かけなくて、あるのは松林だけという印象でした。デザインの仕事があるなし以前の問題でした。マーケット自体がない状態だったので、まずは街づくりから始めることにしたんです。街とは、人と人とが声をかけあえるコミュニティのことです。あれから40年間ずっと、ここの街づくりに関わってます。
Q:デザイナーが街づくりをするに至る背景をもう少し聞かせていただけますか?
街づくりは、つくば大学の近くにあったジャズ喫茶、そこで出会った仲間たちと始めました。
研究機関が集まった世界的な科学技術拠点『筑波研究学園都市』とは言っても、僻地手当がでてたくらいですから、東京からみたら未開地ですよ。だから、家族を持つ父親たちは単身で赴任することになり、家と研究所の往復だけで孤独になりやすかった。孤独が理由で心を病み自殺してしまう人もいたんです。これが日本が世界に誇る研究学園都市?こんな街が最先端のモデル都市だなんてとんでもない!って思ったんです。
人と人との出会いがあれば、拠り所や楽しみが生まれ、そうしたら寂しさから心を病む人も減り、楽しい私生活ができるのではないか?という思いで始めたのです。
いろいろなことをやりましたよ。インターネットが普及していない時代はSNSなんてありませんから、例えば、道に机を並べて自己紹介ノートを置く『県人通り』というイベントを、転入者が多い時期の4月にやりました。同郷出身の人たちがお互いを見つけ合うことで、出会いのきっかけを生み出すのです。これはデザインとは一見関係のないことのようですが、新しい発想を持って、出会い・関係・交流の種を撒くというデザインをしたわけです。
Q:当時どんな夢を描いていましたか?
夢というより、現実的な野望計画でしたが、仲間3人で1週間に1回、朝の6時半に集まって、街づくりのためのアイディアを1人30個ずつ持ち寄って会議していました。
その中から、これは県に持ち掛けようとか、これは誰々に話をしてみよう、と決めていきました。当時、東京まで直通でいける電車がなかったので、直通バス運行のアイデアが出まして、研究所や大学の専門家とチームを作り、費用対効果などを検討しました。それを国鉄や関東鉄道に提案したら採用されまして『特急つくば号』(現つくば号)という新しいバス路線を誕生させました。
僕たちがやってきたのは、縦ではなくて横のつながりによる情報疎通の場を創ること。あくまでも市民の立場からの発想によるコミュニティー創りです。
Q:佐山さんは、どんな美しい時代を作っていきたいですか?
快適とか安全とか安心とか、そういうのが増えたらいいですね。子供が育つまでの経費と、年取ったら収入等に差別なく、高度な医療を受けられる保証がある社会になったらいいですね。『孤独』の意味って知ってますか?『孤』は、生まれた時に親がいないこと。『独』は老人になってから家族がいないこと。つれあいのない者、ひとり者ってことです。こんな意味を持つ、これ以上寂しい状態がないっていうのが『孤独』なのです。孤独になるのではないかという不安を抱えなくて済むために、一生懸命働きやすい世の中を願っています。そして、やりたいことが生業になれたらどんなに幸せでしょう。
Q:将来・未来に対する目標や計画はありますか?
26年前に、クリエイター同士が様々な交流を通して、自己を啓発・研鑽し、デザイン力で広く地域社会に貢献するという目的で『茨城デザイン振興協議会』を立ち上げました。これは県と連動してまして、僕は3代目の会長を務めました。個人の声だけでは、社会はなかなか耳を傾けてくれないのですが、社会的に活動している団体の声だと一目おいてくれます。
さらに、3年前から僕は『TSUKURI-BAR(ツクリバー 創り場)』というつくば近辺のクリエイターが集まるイベントを定期的に企画してます。動画、イラスト、WEB、カメラなど、様々なジャンルの若いクリエーターたちが出会う飲み会です。なぜこういうことをやっているかというと、後輩たちが社会に認知され、適正な料金をいただけて、プロとして食べていける道を作っていきたいんです。この場にくる人はフリーランスが多いです。新しい仕事の受注が発生したり、一人じゃできなかったことも実行可能になったりするきっかけになれば、と考えての企画なのです。
私みたいな年齢・立場になると、少しは人とのつながりもあるので、その人脈も生かし、若い世代の人たちの将来・未来につながる、このような交流の場を作ることができますよね。今後は、クリエイターと未知のクライアント、資金を投資してくれる人とが出会う場も作っていこうと考えています。
Q:どんな心の在り方や認識の変化が、今の活動に繋がっているのですか?
明確な経験があります。16歳の時、エリック・クラプトンの存在を知ります。彼は、それまでのギターとは全く違った音の出し方だったのです。かっこいいなと思ったんですよね。だから、毎日がむしゃらに働いて、52年前ですが、クランプトンと同じ27万円するギターを買ったんですよ。嬉しい反面、新しいギターを持つのが恥ずかしくて、届いた晩にドライバーや紙やすりでこすったり、タバコの火を押し付けたり。さも昔から持ってますっていう風にしたかったんです。結局、ただのみすぼらしい傷だらけのギターになってしまったのですけれどね。笑。
そして、その彼と同じギターで弾いたのですけど、クランプトンとは音が違うんですよ。歪んでいるのに音が伸びて、なめらかさと力強さを併せ持ったあのサウンドは、一体どこから出るんだろう?といろいろ試しました。でも、どうやってもあの音が出ないんですよ。
そこで、気がついたのです。
あの音が出ないのは、俺はクランプトンじゃないからだ、ってね。俺はクランプトンじゃない、じゃあ待てよ、逆にクランプトンは俺にはなれないのだ、と。じゃあ俺は俺の音を出して、自分のサウンドで堂々と音楽をやったらいいんだって。それで、やっと自分の音が作れたのです。
自分を磨いて自分らしくあれば、そこにはオリジナリティやアイデンティティが自ずと形作るんだな、と気づいたんです。
Q:座右の銘はなんですか?
孔子の論語『近説遠来(キンセツエンライ)』です。身近な人(地域とか家族とか)が楽しんでいる様子を見て、遠くからでも人が来る、という意味です。街の中でいがみあっていたら誰も来ませんよ。地元の人が仲良くしなければ地域の活性も実現しません。
そして、もう一つ、地域活性のキーワードが『来る寄るの法則』です。『来る』というのは街に来ること、『寄る』というのは、街に来てから店に寄ることです。『来る』は社会的活動で『寄る』は経済的活動。『来る』はみんなで協力してやる活動です。街ぐるみでやるとメディアが取り上げてくれますので、どんどん有名になります。そうなると今までなら月に千人しか来なかったお客さんが、もしかすると1万人来ることになるかもしれないんですね。
千人のお客さんを分ける戦いと、1万人を分ける戦いではそれぞれの店の利益の分配がちがいますよね?だから、分母を増やす作業を共同でやりましょうよ、と呼びかけます。これをやらないと、例えば、ある観光地のホテルが「うちの露天風呂は隣のホテルよりいいよ」みたいなプロモーションになってしまい、うちに来るという発想に陥ります。このやり方だと、収益の向上はたかが知れてますし、争うことしかできないことになります。その争いが街の衰退に繋がってしまいます。観光地に来る人を増やすプロモーションを協同でやることが社会活動。自分の店によってもらえるよう努力するのが経済活動。この2つの活動がバランスよく両立することが公益性につながり、大きなプロモーションに育つのです。
この40年間の街づくりの体験・経験を通して、これはいいな、これはやめた方がいいな、順番はこの方がいいな、ということが分かるようになりました。うまくいってない街は、この『近説遠来』ができてないですね。
AI社会が具現化されたりするのと同時に、人間らしさのクオリティが高まっていくことが大事だろうと思います。このクオリティというのは、高みを極めるというのではなくて、より『らしさ』を極めるという意味です。上に上がるのではなくて、自分らしさや、自分の周りを見極める力をつけるとか、人間はこの方向に行ったらいいな、と思っています。
佐山さん今日はどうもありがとうございました。
佐山剛勇さんの詳細情報はこちらです↓↓↓
http://www.tilab.co.jp/about/
https://www.facebook.com/takeo.sayama
【編集後記】
インタビューを担当した飯塚です。田んぼと筑波山の見える、眺めの良い事務所に伺ってお話しを聞かせていただきました。『デザインする』とは造形物だけでなく、街づくり、人間関係づくりにも応用可能であることを、40年に渡り実績を積み上げてこられた佐山さんの実績から教えていただきました。街づくりの成功体験が体系化され説明可能になっていくことで、市や県や大企業からも賛同を得る結果に繋がっているのだな、と思いました。そして、デザインはもちろん、場や街づくりに、人と人との関係性を大切にする佐山さんの優しさと熱さが反映されていると感じました。
佐山さんの今後のご活躍を期待しています。
この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。