種麴利用に関するメモ
日本の酒造に用いられる麴は、室町時代の頃から専業のもやし屋が種麴を生産し、それを用いて製麴を行ってきたと言う。
しかしながら味噌や醤油に関しては、どうにもそういうわけでは無かったようだ。
明治31年「農産製造学」
種麴の一般的説明
「糟麴」という語は書によって異なる意味で用いられるが、ここでは以前の製麴時に出たカス
おおむね友麴法と言ってよい
自然接種
大麦、種麴を使用
味噌玉への自然接種、ただし味噌自体は米麴を別で加える
家屋での自然接種
明治37年「普通醤油及溜醤油醸造論」
上の2つは醤油醸造論。
室の用意を必要とするも、種麴利用に関しての記述は無く、自然接種
種菌は器具等に付着したもので十分であり、友麴法を行うのは未熟と見做されていたという
一応この書の著者自身は肯定的に見做している
以下は溜醤油醸造論。
種麴利用に関しての記述は無く、自然接種
コウジカビが覆う→味噌玉を割砕、を繰り返して製造する
友麴法に近いが、冬場に限定か
大正2年「新編農産製造論」
米麴の項では種麴を用いたが、こちらでは必須では無いとした
またもや似たような表現
種麴に関する記述は無く、自然接種
大正3年「最新農産製造学」
醤油麴製造用を別のものとして扱っている文献は初見
明治44年に醸造試験所報告で「清酒ノ種麴中ノ麴菌ト醤油又ハ溜麴中ノ麴菌トノ比較研究」があり、麴間での機能性の差異を認知、別種の種麴生産が商業的にスタートしたのかと思われる
かつては京大阪等に限られたもやし屋だったが、この頃には地方にも拡散したのだろう
溜まりの製造に関してのみは種麴を用いないとしている
自然接種であることをはっきり書いている例
大正10年「実用味噌醸造法」
当時の状況に関して分かりやすくまとめられている
この書の著者自身はこの続きで種麴の利用を説いている
大正13年「実用醸造物新論」
この書では溜まり製造でも種麴を用いるようになってきたとしている
まとめ
文献をざっと見ただけであり、ほぼほぼ推測に頼る。
明治中頃までの時期においては、そもそも種麴の販売業者というもの自体が限られ、その利用もほぼ京阪地域に限られていたと見るべきか。
明治後期頃には地方でも、種麴の販売を手掛ける業者が増加していった(自分達の所で得られた菌を種麴の形にして販売、というくらいかと思う)ようであるが、それでも麦や大豆の製麴においては必須では無いという見方が強かった。
大正時代に入ると酒造用と醤油用で菌の能力が異なることが認知されていき、蔵における自然接種から、種麴の購入利用へとシフトした醸造者も多かったのかと思われる。
醸造企業においては徐々に種麴を利用することが当然となっていき、自然接種に頼る方式は、一部の溜まり業者や家庭レベルでの味噌玉製造などに残るのみとなったのだろう。
近年は「味噌玉」という単語が別のものに取って代わられてしまっており、検索がほとんど成り立たない。
伝統的みそ玉麹における微生物群落
このように「みそ玉麴」であるとか、「吊るし味噌」で検索をかけるのがよいのだろう。
山岳域の「吊るし味噌」に関与する菌類相の解明