小学生〜中学生の頃のテレビの思い出(日曜日編)
以前に続いて、僕が一番能動的にテレビを見ていた小学3年生から中学3年生くらいまで(2004〜2010年)の思い出を、Wikipediaなどを参照した正確なデータはあまり使わず、当時の記憶を掘り起こして書いてみようと思います。今回は日曜日編。
子供の頃は日曜日の朝にテレビを見る習慣があまりなかったと思う。男児たちが通る仮面ライダーや戦隊モノ、女児が通るおジャ魔女どれみ・プリキュアなどのアニメや特撮を追った経験がなく、その頃からバラエティばかり見てたので、自分の中で朝はテレビ不毛の時間だと認識している。
ただ、周りの子は普通に見ていたので情報だけは入ってきており、仮面ライダーアギトの主役が賀集利樹だったとかクウガはオダギリジョーだったとか、おジャ魔女カーニバル!!が名曲であることとか、おジャ魔女どれみとプリキュアの間に「明日のナージャ」がやってたこととか、笑っていいとも!でナージャの声をやらされた小清水亜美が爆死した事件とか、関連する知識だけはなんとなくある。
多分1回か2回しか見たことないけど、朝にやっていた「おすピー&ロンブーの起きなさいよッ!!」は、友達の家に泊まらせてもらって朝ごはん食べながら初回を見た覚えがある。確かゲストは北斗晶だったかな。それ以外のことは覚えてないけど、確かこの年(2005年)のFNS25時間テレビの日曜朝の時間帯で「スーパーこどもニュース」という、安藤優子や須田哲夫らキャスター陣に子供が質問していくコーナーがあって、ここの仕切りがなぜかロンブーだったんだけど、多分それは『起きなさいよッ!!』の繋がりだったんじゃないか、なんて思ってる。思ってたところでだから何?
何をして過ごしてたのかほとんど記憶にないが、ある程度時間が経ち午後1時半になると「たかじんのそこまで言って委員会」が始まってた。関西での人気っぷりを知らない自分は、やしきたかじんのことをこの番組だけにしか出てない偉そうなおじさんと認識していた。あと、内容は政治討論ばかりでとても小学生が見るような番組ではなく、始まってしばらく経ったらテレビ消してたな。
夕方に始まる「笑点」は、小3の頃ぐらいは前半の演芸パートが知ってる若手芸人の時だけ見てた気がする。ただ小4ぐらいになって、後半の大喜利パートもちゃんと面白いことに気付き、エンタしか見てない周囲の同級生たちに心の中で「俺もっとディープな笑い知ってるぜ」的なマウントを取っていたような気がする。キモガキ。でも同じく小4の時、友達の家に行って録画一覧を見た時、そいつが自分の意思で爆笑オンエアバトル毎週録画してるのを発見した時は「こいつ………できる……!!」と思ったな。
時系列がだいぶ前後するけど、中3(2010年)の時、日テレ系の静岡第一テレビで4月だけ日曜朝10:25枠で「内村さまぁ〜ず」が急に始まったんだよな。1ヶ月経ったら木曜深夜に移動してて意味がわからなかった。
19時になると大体「ザ!鉄腕!DASH!!」を見てた気がする。自分がかなり幼い頃は、TOKIOのメンバーが体を張る企画が多くて、電車vsTOKIOのリレー対決、時間内に鍋焼きうどんを食べ終わらないと屋台が爆発する謎の企画、海外から3000歩以内で日本に帰る企画、自転車に乗って下り坂のみで目的地を目指す企画、など色々やってた。あと当時はVTRを見るスタジオパートがあって、そこの進行は福澤朗と研ナオコがやってたかな?オープニングの5人のペプシマンみてぇな銀色人間が合体するシーンちょっとだけ怖かった。2000年を過ぎたころからDASH村が始まり、自然に対する興味がゼロの自分は次第に見なくなっていったなあ。
鉄腕DASHともう一つの選択肢は「さんまのSUPERからくりTV」だった。子供の頃に見たテレビで爆笑したツートップは、エンタの神様のアンジャッシュのピーポー君のネタと、からくりTVの長寿早押しクイズだったんじゃないかな。あとボビーオロゴンの存在を認識したのはこの番組。
からくりTVあるある一つだけあります。正解VTR見終わった後テロップで正解が表示されて「あ、そういえばクイズやってたわ」って思いがち。
からくりTVあるあるもう一つだけあります。最終問題で視聴者プレゼントの選択肢のことをさんまが「茶の間!」と呼びがち。
そこそこの頻度で見てたのはテレ朝の「これが日本のベスト100」だったかな。昭和アニメの名場面のランキングが多くて、これ系の企画が10年ぐらい経って大胆MAPでもやってた時は「テレ朝ってマジで節操ないよなぁ」と思ったな。ランキング企画が落ち目になった時は、何の前触れもなくモノマネカラオケコーナーを立ち上げてて、節操のなさが止まらない印象。でもアニメだけではなく、いろんな分野のランキングを毎週取り上げてたのは好きだった。あと「これが太田のベスト3」のコーナーが一番目当てで見てた気がする。何のランキングでもやたら江戸家猫八を取り上げるのを覚えてる。もう俺は江戸家猫八本人がテレビ出てるのは見たことがなくて、このコーナーの太田のフリップでしか認識してない。
しばらくするとランキング企画をやめて「全国一斉○○テスト」というクイズ企画に鞍替え。また節操ねぇなとは思わされたけどなんだかんだで見てたかな。スタジオには出てない芸人たちのクイズ成績もテロップで流れてたんだけど、まだ亡くなる前で入院中のカンニング中島の名前がたまに表示されると、一応元気なんだ!と思ってちょっと嬉しかった。
この一連の番組群が今でいう「○○総選挙」「雑学王」という爆笑問題MCのテレ朝定番コンテンツになっていると思うとなんだか歴史を感じる。
中3の頃の夏、テレ朝19時台のスポーツニュース番組がそりゃそうだろ!ってなぐらいに低視聴率で終わって、代わりに「シルシルミシルさんデー」が抜擢されたのはびっくりした。水曜深夜の悪意のあるナレーションや編集が好きで、割とそのテイストが活かされていたのが良かったなあ。いやまあ日曜版が始まった頃にはあまり興味を持てる番組ではなくなってしまってたんだけど。
子供の頃、日曜20時枠は「笑う犬の冒険」を見てた記憶がある。でも幼稚園生の自分にはコントをじっくり見る習慣はもちろんなくて、ホリケンサイズとかきかんしゃナーマスが楽しみで見てたな。その他家族がよく「特命リサーチ200X」を見てた。VTR以外のパートは佐野史郎とか稲垣吾郎が出るドラマ仕立てになっていて、その雰囲気が子供の頃はなんか怖かった。特命リサーチが終わったあと始まった内村光良&生瀬勝久MCの「ワールド☆レコーズ」はそこそこの頻度で見てた。この番組で湯浅弁護士とシュールストレミングの存在を知った。これが1年で終わった後始まったのは、アジアの情報を各国と中継を繋ぎながらお伝えする「A」という番組。久米宏と松浦亜弥が司会でアジアにまつわるVTRを見ていく番組なんだけど子供ながらに「つまんねぇ!!!」と思いながら見てたな。たった3ヶ月ぐらいで打ち切られたんじゃないかな。これが終わって日曜20時台が単発番組枠になり、過去の音楽番組の素材を使ったランキング特番が放送されたんだけど、その司会が徳光和夫・中山エミリ・アンガールズで、いやアンガールズ!?!音楽要素ゼロじゃん!!とびっくりした思い出はある。ようやくレギュラーで始まった「ウタワラ」もちびっこ倖田來未選手権で炎上したりして1年ちょいで終わり、完全に死に枠になった後「イッテQ!」で持ち直すんだよなあ。
他に見てた日曜20時枠の番組は、「大改造!!劇的ビフォーアフター」あたりか。うちの親は大体「リフォームしてセンス無くなってんじゃん」などとグダグダ言いながら見てた。あと2009年秋に始まったくりぃむ有田&土田晃之MCの「オレたち!クイズMAN」は最初の2ヶ月ぐらい毎週見てた気がする。特に面白くはなかったと思うけど何で見てたんだろ?時が経って2014年、藤井Pが手がけた「クイズ☆アナタの記憶」の最後に、スタジオにいたFUJIWARA・オードリー・マスパンが共演していた日曜20時枠のクイズ番組は?的な問題が出された時、みんなめちゃくちゃ悩んでたけど僕は即答できました。面白くなくても見てて役に立つことはある。
クイズMAN亡き後に始まったのは藤井P初のゴールデンレギュラー担当番組「クイズ☆タレント名鑑」。正直最初は全く注目してなかったからほとんど見ることはなく、高校に入ってTwitterを始めてお笑い好きの人たちがやたらこの番組を見てる…ということに気付いて初めて視聴。
あれは日付まで覚えてる。2011年6月12日だった。この頃は入学したばかりの商業高校で「簿記部」に入部して、日商簿記3級取得を目指して勉強しており、試験が6月12日。この日の試験はあまり手応えがないまま帰宅して、夜にテレビで見たタレント名鑑で死ぬほど笑った。
検索ワード連想クイズで「ゴリラ」というお題でPerfumeのあ〜ちゃんや秋元才加、「やぶれかぶれ」というお題で田中義剛や三又又三(潰れた店で出してた冷麺が1600円)、中島みゆきの世情に乗せて退場させられる小島よしお、オファー引き受けた引き受けなかったクイズの松島トモ子の空港VTRで死ぬほど笑う有吉、などゴールデンとは思えない無法地帯っぷりに、だいぶ衝撃を受けた。その後もガチ相撲やGO!ピロミ殺人事件など色々と夢中にさせられる回が続出。当時の自室のテレビで録画ミスが多発して見れない回も多かったのが本当に悔やまれる。
なおこの年の秋に日商簿記2級にもチャレンジ。2011年11月27日に2級を受けた日にやっていたタレント名鑑は、マツコ・デラックスらがゲストに登場した回で、「改名しましたっけ?」大喜利で腹ちぎれるぐらい笑った。なお試験は惨敗w 明けて2012年2月26日は2級に再び挑戦した日で、タレント名鑑は「芸能人禁断のガチランキング」企画。この時はギリギリ合格!日商簿記の受験とタレント名鑑の面白い回がなぜか密接に繋がってたんだよなぁ。
21時台は、子供の頃ほぼ毎週「行列のできる法律相談所」を見てた。子供ながらに紳助が回すトークが好きで、別に法律番組じゃなくてもいいじゃん、面白いんだから!とよく思ってた。ただこの頃の番組の構成は、「法律相談VTR→それにまつわるトーク→徐々に脱線していく→弁護士の見解」という流れだからこそトーク部分が際立っていたのだけど、しばらくすると「全く関係のないオススメ紹介コーナー→ラスト10分だけ法律相談」と、完全に法律とトークが分断されるようになり、メリハリがないなーと思って見るのやめた気がする。ただ、法律番組の司会とは思えない浮気肯定派の紳助、今じゃコンプラアウトなことばかりしてたから引退して正解だったと思うけど、当時の行列は間違いなく紳助の存在があってこそ面白くなってた番組だった。
21時といえば捏造問題で終わった「発掘!あるある大辞典」。うちの兄貴が小学生の頃、「あるある大事典で『風邪とうがいは関係ない』ってやってたに〜!」と頑なにうがいをしない時期があって、その1週間後に見事に風邪引いてたんですけどうちの兄貴が見た回も捏造されてたのかな?
あるある亡き後に「メントレG」が金曜23時からゴールデン進出。これは小6の頃で、クラスメイトの大橋くんがやたら「日曜9時でメントレQ始まるだに〜〜!!」と言っていて、何度も「メントレGだろ」と教えたのだが、絶対に「メントレQ」と間違えていた。ちなみに大橋くんは中学に上がったころからテストの成績が悪くなりました。まあ俺もだけど。
22時台は行列の流れで「おしゃれイズム」をよく見てて、さらにその流れでやってた「中井正広のブラックバラエティ」がめちゃくちゃ好きだった。喋り言葉全てがテロップに起こされる編集、レトロなアニメ&特撮ソングが頻繁にかかるVTR、「タンジェントくん」「クレッシェンドくん」といった謎のキャラクター群、奇妙な企業の特集やブラ技ごはんなどコアな企画、と、大スターの中居正広を囲うには異質すぎる世界観にとても惹かれた。その相方としてオセロ中島はめちゃくちゃ適任だったと思うけど、あの騒動で出なくなったの残念だったな…。あと石原良純がやたらイジられてたのも好きだった。
22時56分というキモすぎる時間から始まっていたのは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」。小学2年生の時、当時中学生だった兄と夜更かしして初めて見たガキ使ではダウンタウン2人のツーショットトークをやっていて、松本が車を運転していたら突然外から「ペッパーーーーー警部ッ!!!」と歌い叫ぶ声が聞こえた話をしてたのを覚えてる。あまりに変な話だし初めてガキ使見るし、てっきりダウンタウンが漫才をやってるんだとこの時は解釈してた。あと「ナポリタンはどこまでナポリタンなのか」の企画もこの頃初めて見た。
もちろんこの頃は幼なすぎて継続して見るなんてことはなかったし、見るとしてもゴールデンでやる笑ってはいけないSPぐらいのものだったけど、2008年、中1になったある時、Youtubeでお笑い動画を検索していて(違法アップロードダメ!絶対!でもこの頃芸能人も「YouTubeでテレビ見た」とか普通に言ってるぐらい、違法アップ視聴への意識が薄かったという時代背景を把握しといてほしい)ダウンタウンのツーショットトークに出会う。エピソードもハガキ質問への回答も何もかもが面白い空間に衝撃を受けた。PCでダウンタウンのツーショットトークをかき集めてmp3にして落とし、ウォークマンにぶち込んで何度も何度も繰り返し聴いた。何回も聴いてて話の展開わかってるのに毎回笑ってた。それまで僕は単に「テレビが好き」なだけで、お笑い自体への興味はあんまり高くなかったけど、ダウンタウンをきっかけに「お笑い」が好きになった。一番好きな芸人はダウンタウンだとハッキリ断言できる。中学の頃、松本人志に憧れすぎて、野球部でもないのに坊主に近い髪型にしたぐらい。この時は心の中でお笑い芸人を志してた。もし選択を誤って芸人デビューしてたら、センスもコミュ力もないから完全に売れずに散っていただろうなw
とまあ今回もただの思い出を羅列していきました。そんなに思い入れのある番組なかったはずだけど、思い出してたら意外と長くなった。ごっつ世代でもないのにダウンタウンが一番好きである理由をどっかで書いておきたかったから書けてよかった。書き始める前はそんなこと書くつもり1ミリもなかったが。
各曜日ごとに振り返るシリーズはこれで最後でしょうか。来月は何にしようか。好きだった特番についてでも書こうかな。
おわり。