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11月11日
僕が小学4年生だった2005年11月11日には大変に深い思い出がある。我が家の引越しが行われた日だ。僕ら家族が住んでいたのは静岡県浜松市の南の果てにある「遠州浜」という町にある団地だった。マイホームが欲しいという希望と東海地震による津波のリスクを考えた両親の考えにより引越しが決まった。いつ頃伝えられたかは細かく覚えていないが夏休みごろだっただろうか。2学期になって、いちばんの友達だったA君に最初に伝えたが、冗談だと思われてしまった。それを伝えた時は僕自身も実感がなかった。
が、引っ越しに伴い遠州浜から離れ転校をする必要があると考えた時に、急に実感が湧き始めた。A君は同じ団地の4階に住んでいて、2階に住んでいた僕はほぼ毎日遊んでいた。遊びに行っては64のスマブラをやったりポケモンのルビサファを進めあったりしていた。時には録画したバラエティ番組を一緒に見たりもしていた。同じ団地なので台風の日であろうと一緒に遊んでいた。学校でもずっと喋っていて先生に怒られることもよくあった。お笑いブームだった当時、小学生の中で「エンタの神様」などお笑い番組の人気は凄く、それらに影響されてA君とコンビを組んでクラスのみんなの前で漫才をしたこともあった。あの時は僕がネタを書いた気がする。とてもしょうもないネタだったけどウケて嬉しかった。3年生になった頃にA君はポケモンのファイアレッドを買ってもらっており、めちゃくちゃ羨ましかったのを覚えている。当時、ゲームが買ってもらえるチャンスは誕生日とクリスマスの2回しかないので、当時他のゲームが欲しくファイアレッドはギリ選考から溢れてしまったのだ。しかし欲しいのは変わらないので羨ましかった。「でもまあ、ゲームボーイの赤バージョンのリメイクだしね」と無理矢理納得させてやり過ごした。やや話は逸れたが、とにかく仲が良かったA君とは簡単に遊ぶことができなくなると考えたらとても寂しくなった。
そして迎えた11月11日。この日は新居に引っ越す日であり、遠州浜の小学校で過ごす最後の日でもあった。A君もそうだし他の友達とも別れるのが寂しくて帰りの会で泣いてしまった。もちろん揶揄われたがしょうがない。最後に、ありがたいことにクラスの皆からの寄せ書きをもらった。温かいメッセージが並ぶ中、クラスのガキ大将みたいな奴からは「今までいじめてごめんね」と書かれていた。いじめられてたの俺???気づかなかったんですけど???
確か帰り際だったと思うが、A君からプレゼントをもらった。A君が使っていたポケモンのファイアレッドのソフトだった。ガキの頃はゲームの1本なんて大事な大事な存在だったはずなのに、貰っていいの?!と思ったが、A君は快く渡してくれた。
転校してからはやはり会う頻度は減り、半年に1回ぐらいしか遊ぶことはなくなった。転校先や中学でできた友達と遊ぶことが多くなり、A君たちとは高校生の頃に1回会って以降、連絡も取らなくなってしまった。数年前、遠州浜に住んでいた友人が事故で亡くなり、その際に久々に連絡を受けた。こんな形で連絡することになるなんて。その後飲みに行き、故人を悼むと同時に昔話に花を咲かせた。
そして本日、2024年11月11日。僕の5個上の姉が、第2子を出産した。母子共に健康らしい。めでたい。よかった。
名前は、なんとA君と全く同じ名前だった。漢字も読み方も。細かい命名の経緯は知らないが、いろんな意味を考えた結果行き着いたらしい。姉も僕の友達にA君がいるのは知っていて、もちろんA君がよぎったようだが「まあ良い子だった記憶あるしいっか」とのこと。
今日この知らせを受けて、ファイアレッドをもらったあの日のこと、もっと言えば毎日遊んでいたあの時期のことを思い出した。遊んでいたのは約3年ぐらいで、ものすごく長いわけではないような気がするが、当時の僕にとっては濃密な期間だった。子供の頃すぎて具体的にどんなこと喋っていたかは覚えていないけど、楽しかったことだけは確かだ。
最近、iPS液晶に改造済みのゲームボーイアドバンスSPを購入したので、久々にポケモンファイアレッドを探して起動してみた。
ヤマブキシティで止まってた。
人からもらったゲーム中盤でやめんなよバカ!!!!!!!
以上です。