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初めて生で見たお笑い芸人(どーよ)の思い出

子供の頃からテレビでお笑いを見るのは好きだったが、僕が生まれ育った静岡県の西部にはお笑いの劇場などないので、テレビで見る以外に生でお笑い芸人を見る機会は極めて少なかった。

西部の中でも、僕ら家族が住んでいた「遠州浜」という街は特に過疎化が進んでおり、街灯も少ないので夜7時を回ると漆黒の闇が辺りを覆い尽くし、暴走族のバイクの音以外何も響かない静かな街だった。周囲の団地にはブラジル人や中国人がたくさん住んでいた。ペルー人のリアウヒンケンジくんという子もいた。リアウヒンケンジくんはみんなに「ケンジくん」と呼ばれていたが呼ぶとしたら絶対リアウヒンの方だろ。


そんな街に住みながら、お笑い芸人を生で見る機会に恵まれた。あれは僕が小学校3年生の頃の夏休み。2004年8月上旬、浜松駅近くにある商業ビル「アクトシティ浜松」の屋外イベントスペースに、ロバートデニーロのモノマネで人気急上昇中だったボケのテルと、浜松市出身でツッコミのケンキによるお笑いコンビ『どーよ』の2人が営業に来ることを知った。

正直、洋画をろくに見たことがなく、ロバートデニーロのモノマネが似てるかどうかすらわからない小学生の自分は、どーよの事はめちゃくちゃ好きだったわけではないのだが、それでも当時「笑いの金メダル」などで見たことがあったので、初めて芸人が生で見れることになりテンションが上がった。


当日、母親と2人で会場に行った。うろ覚えだが椅子などはなく、敷物が敷かれた屋外スペースに体育座りで見たような記憶がある。時間を迎えてどーよの2人が登場。8月の暑い日なのでケンキは半袖だったが、テルはアウターをしっかり着込んだ極寒仕様で登場。あえて厚着をしてくるというツカミではあったのだが、本当に暑そうだった。最前に座した僕とどーよは文字通り手が届きそうな距離。少年だった当時は本心から涼しくしてあげたいという一心だったので、うちわでテルを扇ぎまくっていた。トークが始まり、僕に対し「大丈夫だからね〜」「気遣わなくていいからね〜」と言ってくれていたが、それでも暑そうだったので扇ぎ続けていたら、「本当に大丈夫だから!!」と焦りすら見せる表情でこちらに伝えてきたので扇ぐのをやめた。でも今考えると、厚着ボケってなんだよ!!と思う。

芸人が営業でよくやる定番のくだりとして「○○って番組で見たことある人手挙げてもらっていいですか〜?」「じゃあ△△で見たことある人〜?」「それじゃ××で見たことある人〜?」「まあ僕ら××には出たことないんですけどね〜」というものがある。どーよの2人も例に漏れずこれをやっていた。「エンタの神様で見たことある人〜?」間違いなく見たことがあったので僕は手を挙げた。「笑いの金メダルで見たことある人〜?」これも手を挙げた。「めちゃイケで見たことある人〜?」ちゃんと記憶にはないがそうやって言うということは出ているんだろう……と手を挙げた。「僕らめちゃイケは出たことないんですけどね〜」これを聞いて、ピュアだった当時の僕は「おいなんだよぉ!!」「引っ掛けかよぉ!!!」「何にでも手を挙げるバカなガキだと周りに思われるだろもう〜〜!!!」と、笑うことはなく内心キレていたw

ネタの内容はトークとショートコントなどで、時間にして約20分くらいだっただろうか?詳細は覚えてないけど、ロバートデニーロのモノマネだけでなく、2人の掛け合いによるトークやコントはテレビで見たことがなかったので、「目の前で普段見れない特別なことを、自分たちだけにやってくれている」という興奮は間違いなくそこにあった。


子供というのは残酷なもので、生で芸人を見ようと「結局エンタで見る陣内とかアンジャッシュには敵わんなあ」などと思ってしまっていたw だが、その後テレビでどーよを見かける度に「小3の夏休みに見たなあ」とあの日のことを思い出すのであった。そして初めて見た芸人がどーよであるという揺るがない事実は強いインパクトで残っている。



なおこの文章に特にオチなどはありません。以上です。

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