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『伝えることの熱意は必要!?無意味!?』🦉の受験イロハ🌳

伝えることの熱意は必要!?無意味!?

🦉🌳は10代の感受性高い時期には有効と考えております
🌟🌟🌟🌟🌟🌟

「熱意はいらない」
「がんばっては、いらない」
「君ならできる、は可能性のはなしだから嘘つきだ」
こういった全か無かやら、可能性トークについていろいろ言ってくる人は、議論があさいと言わざるを得ません。
もしくは、個人攻撃のための材料なだけ、そんな可能性もおおいにあるかと思います。


応援が響くときもあれ響かないこともあるというところかと思われます。
響かない例としては..

「母親父親の応援です」
と声が聞こえてきそうではありますw
親の応援は、諸刃の剣ですね。このテーマは別の機会としまして・・・


響く例としては、

サッカーやらラクビーのサポーターの例はわかりやすいかもしれません。

観客の声援がチーム全体の士気を高めることはよくあることではないでしょうか。

教育の現場においては応援はどのように機能するのでしょうか?

確かに、
たとえば大学院生に
・「やればできる」
・「進め」
と教授がコメントするよりも、
もっと具体的な指示やアドバイスのほうが大いに有効です。


 勿論あくまで一般論であり、ときに教授の応援の一言が研究心を再燃させることにもつながることもあるのでしょう。

具体的なアドバイスが有効なのは、どの年齢の人にとっても等しく大切ではありのでしょう。
しかし、
特に10代において感化されやすく感受性が豊な時期においては、
鼓舞系の言葉も功を奏することが多々あるものだと考えています。

 「君ならできる」、「きっとやれる」「確実に目の前の課題をこなし、改善を繰り返せば一歩歩を進めばたどり着く」そんな抽象度の高い鼓舞系のメッセージが
彼らの内側に眠らせている向上心を刺激することもあり、
それがために脳内の神経成長が促進されることは大いにあることではないでしょうか?

ですから、🦉は10代の教育の現場では鼓舞系の言葉も適度にOKなのではないかと考えるに至っています。

そして、
言葉によって喚起されることがある人は、
言葉によって活きるというメリットもありつつ、同時に
言葉によってつぶれる、
そんなデメリットもあることを認識することがとても大切なように思われます。

10代という時期は並べて感化を受けやすく、
かつ感受性の程度は個人差が甚だしくその程度は数値にすることは今のところできません。

ご自身がどの程度の言語感受性を持っているのかを知り、
もし大きいのであれば、
環境を活用しつつかつ、目標達成の追い風としていく、

また、

誰によらず、
他ならない自分自身が鼓舞者となっていくために、
己を動かす言葉を見つけて、声掛けしていくことが

きっと一生涯の世界にたったひとつの智慧になるのかもしれませんねんねんころりねんころり・・グーzzzってねてるやん!(🦉は夜型🌳🌟)

受験生サポーター🦉🌳🌟より

とはいいっつも『余計な一言』になりがちなので、
言わずもがなで、
基本参ります~

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