中世武士「ひろゆき」の生態
1.西村巴里守博之
「ひろゆき」こと西村博之氏とは、皆様ご存知の通り、日本最大級の匿名掲示板「2ちゃんねる」の創設者であり、「論破王」として一部界隈に名を馳せる人物である。
その一方で、民事訴訟における累計30億以上の賠償金を踏み倒し、国家権力からの追及を逃れるためにパリに移住するその姿。
まるで、鈎の陣において室町将軍足利義尚の征討を甲賀の山中に逃れて生き延びた六角行高のようではないか。
そう、彼は現代に生きる中世武士なのだ。
本稿では、西村博之氏のメンタリティを中世武士になぞらえて分析する。
2.逃げるし恥じぬし役に立たぬ
西村博之氏といえばその「論破力」が注目されており、自身もその方法について語っている。
https://youtu.be/6Ylz7OUYDho
上記動画によれば、彼は基本的に自分が「質問」しているだけであり、相手の回答の矛盾を指摘している、と考えているようだ。
しかし、失礼ながら、彼が「論破」したとされる状況の多くは、テレビ討論のような時間制限の中でしつこく質問を繰り返すことによって相手を呆れさせている、という状況のように見受けられる。
結果的に、討論相手が呆れる或いは怒りに駆られるその姿に、「ひろゆきが場を制している」と感じる人もいるのだろう。(そしてそういう人が「ひろゆき信者」を構成しているのだろう)
これら西村博之氏の手法は、質問するだけで議論を深める効果は全く無い「役に立たない」ものであり、それを公言して憚らない「恥じぬ」心を持つ西村博之氏は、議論から本質的に「逃げている」といえる。
3.武士の「面子」
一方で、こういった手法での議論(未満ではあるが)に持ち込めないTwitterでは、西村博之氏はお得意の「論破」の状況に持ち込めないようだ。
いわゆる「putain論争」や「位置エネルギー論争」において、西村博之氏は論理の矛盾や不十分さが指摘されている。
上記動画0:20〜0:27において、「頭の良い人のちゃんとした答えが返ってくれば納得する」と彼自身が語っているにも関わらず、Twitter上の論争では「納得して訂正する」という選択肢は無いようだ。
彼はなぜ議論上の過ちを認めることをしないのか。
しないのではない、出来ないのだ。
忘れてはならない、彼は中世武士である。
中世武士こと西村博之氏は多くの郎党(ファン)を抱えており、そこからの信頼が収入と名誉の根幹である。
中世武士の郎党たちは、自分の主君が「弱い」と思ったら、すぐに別の主君に乗り換える。
この状況を避けるために、中世武士は常に「強い」主君を演じることが求められる。
そしてそれが自身の「主君」たるアイデンティティでもある。
この場合の「強い」とは、戦いで「勝つ」というよりも、「戦う姿勢」を提示し続けることである。
戦う気のない者に郎党はついてこないのだ。
そのために、どれだけ劣勢に立たされようとも、中世武士はファイティングポーズを崩さない。
討ち取られるその日まで。