オススメがありふれてしまった
こんばんは。
以前、「好き」そのものについて考えて見ました。
結論は出なかったのですが、どうやら自分にとっての好き、というものは形あるものではなさそうだ、ということだったらしい!!
元々好きなものはないから、たくさん好きを感じられるように感性を磨かなければならないという戒めにも感じる。
そんななか、オススメというものをよく見かける。
そういった場合には、似たような〜系で、といった文句が多いように感じる。
ただまぁ、その役割はもう検索エンジンや、他の人はこういったものも見ています、というもので達成されてしまった。
だから人伝いに似た形でオススメされると、冗長だなと感じる。
そう、なんなら人でなくでも、できることだからだ。
人が人にオススメするならもう少し違った形の方が効果的かもしれない。
機械がおすすめはもうしてくれるので、あえてオススメしたくないことをオススメしてはどうか?
〜したくない人は見ないでください、みたいな煽り文句はありますね。
ということは、ドントケアなものをあえて出した方が良いかもしれない。
値に関わらず結果が決まる。
つまり何もしなくても良いことをオススメする。
ようは、無駄。
いいね、人らしくなってきた。
ここで一旦、好きなものとオススメに話を戻すと、私は前述のように好きという考えがひん曲がっているので、誰かのオススメだからといって手に取ったり、見たり、聞いたりすることはない。
別に見たり聞いたりしないから嫌いだというわけでもないが、というよりは、前に書いた通り、傾向として誰かが好きだというだけで好きにならないだけ。
お願いされたら少し考えるかもしれない。
オススメされたものは見ない方、とも言える。
ほかの誰かが好きならもうそれでいいかな、とさえ思う。
それだったら、その人からこういったものが好きで、という話を聞く方が自分は好きかもしれない。
ただまぁ、自分の好きなものと同じものが好きな人がたまたまいたら嬉しいかなという感じはなんとなく理解はできる。
ありもしなくても、これを望んでしまうのは、その人のことが好きだからなのかもしれない。
おわり。
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