見出し画像

僕はなぜ麻雀を選んだのか【麻雀】

ぼんやりとしているけれども面白い記事を読んだ。タイトルと書きだしが優勝している。(2024年現在この記事は削除されている。残念なことだがこのまま残す)

ゲーム投資という言葉を僕は初めて耳にした。これは著者の方の造語で、おそらく時間投資に似た類の何かを示す言葉だ。「人生は有限でゲームは無限なのに、わざわざ麻雀を選ぶのはなんでだろう?」という素朴な問いから至極真面目に、堅苦しい程真面目に論を展開している。その内容をまとめると「麻雀は、年代が経ってもルールはそうも変わらないし加齢して年寄りになっても遊べるからアドだよ」という話だ。以下に記事終盤の名調子を抜粋した。これを面白いと思った方は是非原典もご一読戴きたい。

麻雀はおじさんであることを否定しないので、麻雀には多くおじさんが存在します。麻雀はおじさんのゲームです。

note記事より引用

さて、殊ゲームにおいて僕たちには無限の選択肢が提示されている。終戦直後の復興期でもあるまいし、ガチャガチャ積み木を掻き回すよりも有益な余興はいくらでも用意されている。僕たちの余暇をあの手この手で換金する為に様々な企業が画策し、文字通り溢れかえっている。それでも未だ僕が麻雀を続けているのはある意味で「時間投資の元を取りにいっている」からなのかもしれない。

初めて麻雀牌に触れたのは10歳、実に小学4年生の時の事だ。そして、とある麻雀漫画のワンシーンが当時の僕の心を惹きつけそして麻雀観を決定付けることとなった。

神田たけ志先生の名著『伝説の雀鬼ショーイチ』1巻冒頭である。とにかく痺れた。若干10歳のハッケヨイ少年は完全にその虜となった。AKIRAなんか目じゃなかった(これも父の書斎にあった)。「脈々と受け継がれている伝統賭博の一端に触れる」如き力強さを麻雀から受け取り、その一員となることに憧れた。ちなみに2022年現在kindle版はなんとセール中で一冊22円にて購入できる。必読だ。

手積みの家庭麻雀で習い、井出先生の『東大式強くなる麻雀』で符計算を覚えた。僕の生まれた名古屋の端っこ、片田舎の書店にはそれっきりしか麻雀の書籍がなかったのだから仕方ない。ジジババ母と僕、父は参加せずにたまに口を挟むのみだった。ノーレートのドンジャラもどきの中にも、僕はその多感さで以てたっぷりと「賭博の匂い」を吸い込んでいた。そしてそれはまた、今は亡き父の匂いでもあった。

僕の父は愛知県の西尾という所で生まれ育った。人口は父が20代の頃で15万人。内海に面して小さな漁港があり、名産は抹茶。ざっくり言えば鄙びた田舎町に過ぎない。

こんなのどかな町に生まれてどう間違ったかガチガチの文学青年として育った父は、大学卒業後の20代を地元で世捨て人として過ごした。豊橋の真剣道場(賭け将棋をメインとする将棋道場)で師範代をする傍ら、一色の漁港で漁師と麻雀をして得た日銭で暮らしていたらしい。時は1970年代後半、ほぼほぼ『むこうぶち+ハチワンダイバー』の世界だ。父はその頃の面白おかしい暮らしを何度もハッケヨイ少年に語って聞かせた。夜中にふらっと訪れて朝まで勝ち続けて帰っていく元奨の話。麻雀の勝ちで漁船をカタに取ったがそいつの漁師仲間に囲まれて泣く泣く捨て値で譲った話。少年はふたたびバチクソ痺れた。手元に並べられた石ころの向こう側には、明朗でイカれた退廃的な世界が広大に広がっているのだ。兎に角熱心に僕は覚えた。

*将棋は全く物にならなかった。幼児期に将棋大観をひたすら並べる稽古をつけられて心が折れた。本榧の足付盤を前にして泣く僕を見て向かい合って座った父はとても残念そうにしていた。

家庭麻雀のこの後直ぐに更なる麻雀ブームが訪れる。小学6年生の時だ。哲也が爆裂に流行ったのである。

学校中の、果ては他校のやんちゃなガキ共は皆して麻雀に夢中になった。放課後にはよくメンツ集めの声が掛かった。当然出向いて打つ。共働きの多い地域だったから夕方の家には誰もいない。目をかっぴらいて「牌が…透けて見えるんだよ」と印南の物真似をするとひたすらウケた。こうして勢いそのままに中学に突入して三年に上がると共にフリーデビュー。メンタンピンドラ1を出和了って「な、7700です」と申告すると切り上げ満貫で8000だとバカにされた。ちなみにその当時の雀荘で店長をしていたのが日本プロ麻雀連盟静岡支部の支部長代行を務める中寿文プロだ。

麻雀熱は冷めやらず高校は朝から晩まで(比喩ではなく文字通り)部室に籠もりきりで卓を囲む毎日を送った。このように順調に麻雀の道を歩む事となる。ここまでが僕のごく個人的な「なぜ麻雀を始めたのか」である。

僕が言いたいのはこうだ。人が麻雀を選ぶ理由は結局のところ「これからも続くから」ではなく「今まで続いてきたから」なのではないだろうか。麻雀の持つ『勝負事』かつ『遊興』としての壮大なナラティブの厚みたるや、他のゲームの追随を許さない。麻雀をするということはつまり「麻雀をすることで紡がれてきた名も無き物語の一端に触れ、そしてその一部となる」ことに等しい。言い換えればこうだ。「麻雀はゲームではなく文化であるから」僕は麻雀を選び、そして続けている。

だから、選択してしまった僕たちには「ゲームとしての麻雀」を存続させるゆるやかな責務がある。これまで続いてきたという事実は、これからも続く事を担保してはくれない。21世紀のレジャーの多様化の影響たるや夥しく、麻雀と同じ昭和の新伝統賭博であるぱちんこを滅ぼしてしまうかもしれないほどの勢いがある。そして今、麻雀はオンラインという新たなプラットフォームを得てハード面で生き残りの道を探っている。では、紡がれてきた物語はどうか?伝統小博奕としての麻雀はどうなるのか?

四方山話が長くなった。ただ僕は、雀荘というハードを動かさずにソフト面で麻雀をリワークしていく事に執心している。これは父の愛した世界を守るためであり、そして僕個人の自己満足のためであり、次世代に伝統小博奕を継承していくためである。アタマだろうが少牌だろうが銀河だろうが136枚の石ころはその全てを受け入れてくれるだろう。なぜなら麻雀は文化なのだから


いいなと思ったら応援しよう!

僕のアタマの裏側
投げ銭いただいた質問には凡そお答え致します。何か気になる事があればチャリンと小銭をお願いします。