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【転出エントリー】日本一人気のある流山市からコンビニもスーパーもない人口1500人の西粟倉村に引っ越します。

2010年11月、第一子の妊娠を機に新宿区から千葉県流山市に引っ越した。2022年3月末、約12年お世話になった流山市から転出する。

企業の退職エントリーはよく見るが、自治体からの転出エントリーは見たことがないので、書いてみようと思う。

12年前「トトロがいるベンチャー感」に一目ぼれ

私は香川県の自然いっぱいの場所で幼少期を過ごした。本気でトトロに会えると思って家の床下に潜ってまで探したのになぜか出会えなかった。我が子には絶対にトトロに出会って欲しい。だから、どうしてもは子育てに欠かせない。
しかし、バリバリ東京で仕事もしたい。
その両方を叶えてくれる場所が流山市だった。

「都心に一番近い森の街」住宅情報紙に書かれていたこのキャッチコピーに惹かれて、人生で初めてつくばエクスプレスに乗った。
その日は晴天で、流山おおたかの森駅前はマルシェで賑わっていた。
しかし、駅前以外は何もなかった。とても不思議な空間だった。「静かな森」と「にぎわう人」と「ガランと感」と「おしゃれ感」
「なんやここ。トトロもおりそうやし、ベンチャー企業的な勢いもあるやん。ワクワクする余白もある!」
一目でこの街を気に入り、すぐに物件を決めた。
裏がキャンプ場で木漏れ日がさす小道のような場所が好きだった。トトロの寝床がありそうな神社も好きだった。

子育てが苦しくて、街の魅力が欠点に変わってしまった。

子育てがこんなに大変だと思わなかった。縁もゆかりもない場所で頼れる友達も家族もいない。
夜泣きがひどい子どもを自転車に乗せて夜な夜な木漏れ日の差さない小道を走った。あまりに苦しくて神社の裏にある石のベンチでうずくまって泣いた日もあった。
「なんでみんなが笑ってできている普通の子育てができなんだろう。なんで寝てくれないんだろう。誰に助けを求めたらいいんだろう」
今思うと産後鬱だったのだと思う。
私が魅力を感じたこの街の「ワクワクする余白がある場所」は、「繋がりも情報もない空っぽの場所」に形を変えてしまった。
このままではいけない。空っぽを埋めていかなければ。

ベンチャー企業が急成長するようなスピードで空っぽを埋めまくった12年。

■まず、近所のおばあちゃんたちを頼った。「預かってもらいたい。寝たい。辛い」というと「いつでも頼りなさい」と笑顔で預かってくれた。ご飯を作ってくれた。乳母友がいっぱいできた。

■ママ友を作りたくて、乳幼児が集まる場所に行ってみた。他のママさんの楽しそうな子育て話を聞いていると楽しめない自分と比較して苦しくなった。

■ママ友作りは一旦諦めて、街の情報を集めるべく、当時流山市議会議員の松野さんにメッセージを送って会いに行った。そこで「友だちがいません」と伝えると1人のママさんを紹介してくれた。「この人と気が合うと思うよ」と。それが近藤美保さんだった。

■近藤さんに会って早々、流山の教育長と市長を呼んで流山の教育を語る会を一緒に主催した。

■松野議員から「マッピングパーティというイベントをソフトバンクとやるが、実行委員長をしないか?」とお誘いを受け、長男をおんぶしながら運営をした。

■第二子妊娠中に偶然参加した市外のイベントで流山市のマーケティング課の筒井さんと出会い、名刺交換をした。その繋がりで「母になるなら流山市」のモデルのお話を頂いた。

■撮影の時にマーケティング課の河尻さんと出会い、「ママがママとして生きるだけでなく、1人の人間として楽しめるような取り組みをしましょう」と盛り上がり、そのままプロジェクトを始めた。

■第二子出産した病院で子ども子育て審議委員の応募論文を書き、生後2か月の子どもと一緒に面接を受けて合格した。4年間審議委員を務めた。

■育休中、Googleとライフイズテックと流山市で街の課題を解決するイベントをライフイズテックにいた同期と一緒に企画して実行した。

■育休から復帰するか迷っていた時、河尻さんにも背中を押してもらい、独立しようと決断した。

■会社を辞めて、とりあえずお金を稼ぐためにアルバイトしようと思ったがコンビニもファストフードも落ちた。個人名で仕事をしても、まともにビジネスの話をしてもらえなかった。仕方なく株式会社を作ることにした。

■ 市進ホールディングスの関口さんが「流山のおおたかの森に新しく民間学童を創ろうと思ってる。一緒に作っていきませんか?」とラブレターのように熱いメッセージを頂いた。民間学童ナナカラの立ち上げと同時に株式会社新閃力を立ち上げた。

そのままプロジェクトの一環でママの夢をプレゼンするイベントに流山市の商工振興課の金子さんと稲村さんが来てくれた。流山市で女性に特化した創業スクールを立ち上げる話を受け、一緒に新しい事業を立ち上げることに。

■近藤さんが市議会議員に立候補することになり、mama`s選挙ラボを立ち上げた。応援団長として3か月活動。

■近藤さんから「流山市でシェアオフィスを探している企業さんがいる」とアイスタイルの山田メユミさんを紹介していただく。市内を探しても良い場所がなかったので、「私が作ります!」とシェアオフィスを作ることを決める。自分の貯金では足りないし、銀行から借りる担保がないので、クラウドファンディングをすることに。100人の方から200万を集める。シェアオフィスTristの1拠点目ができる。

■同時にテレワーク教育も行うオフィスとするため営業をしていたところ、日本マイクロソフトの宮崎さんと出会う。宮崎さんのご協力でウーマンテレワークプログラムの前身となる研修ができる。そこから数年で全国の自治体で展開されるプログラムに成長。

■1拠点目が半年でいっぱいになったので、次のオフィスを見つけるべく動く。二拠点目となるシェアオフィスTrist Airportを開設。


■女性向け創業スクールが流山の人気コンテンツに。「これを受けたくて引っ越してきました」と言ってくれる人まで現れ始める。

■創業スクールとTristが流山市の働き方改革の取組として多くのメディアに取り上げられる。テレワーク推進賞やワークストーリーアワードなどを受賞。

■お笑い養成所に1年間通い、その時に閃いた「お笑い芸人をシェアオフィスの管理人をしてもらう」という事業を実証実験。Trist芸人のオーディションを行い、たくさんのイベントを実施。

■コロナ禍、シェアオフィスで休校中の小学生にプログラムを実施。夏はオンライン修学旅行「空飛ぶ教室」を日本で初めて行い、キー局を始め多くのメディアに取り上げられる。

■流山市のまちづくり顧問を経て、ICT教育推進顧問になる。

ざっとターニングポイントだけ書いてもこのくらい。
我ながら走り切った12年だった。

気がついたら、どこでも通用する力がついていた。

2年前、奈良県生駒市の教育改革担当としてテレワーク&兼業公務員になった。
「流山市の外に出たら人脈もないし実績も通用しない。何もできないだろうな」と思っていた。しかし、生駒市でも幸運なことに楽しく新しい取り組みがたくさんできた。
流山市で活動した10年間でどこに行っても通用する力がついていた。

コロナの影響で東京に行く機会が極端に減り、実家の香川に帰れなくない残念な状況が続いていた時、ふと、思ったのだ。
「私はどこでも生きていける。テレワークでどこでも仕事ができる。じゃ、今流山にいる理由は何だろうか?」と。
12年前に流山市に感じたベンチャー企業のようなワクワク感を今感じているだろうか?
埋めたいと思える余白があるだろうか?
仕事も家族も全部持って行けるとしたら、どこにいきたい?

私の移住先探しが始まった。

「教育移住で日本を変える」と言ってる自分が、まず教育移住をしてみる。

移住先の優先順位一番は教育。私は2030年にアメリカのタイムズ紙「世界で影響を与える100人」に選ばれるのだが、その手段は教育移住だ。テレワークが当たり前になった日本では子どもの教育で住む場所を選ぶようになる。地域の特色を押し出した教育を各地で行い、世界中から教育を受けに人が集まる。日本は教育大国になるのだ、と2019年に書いている。
まずはその第一歩を自分がやってみなきゃ。

優先順位の2番目は生駒市までの通いやすさ、両親が住む香川の実家への行きやすさ。つまりエリアは「西の方」であること。

教育移住で探したら、魅力的な学校の多くは長野県にあった。公立でもイエナプラン教育をしている学校があったり、特色があふれでている。ここも長野か。。。と何度も悔しい思いをした。
広島県も魅力的な公立が多い。親戚の子が広島県立広島叡智学園の中学校に通っていて「めちゃくちゃ楽しい!!」と言っているので、学校がある島も候補にしていた。国際バカロレア認定校の授業の様子を聞いていると私が生徒になりたいくらいだ。しかし、ここは受験がある。住めば入れるわけじゃない。

公立でイエナプランや国際バカロレアに認定されている学校は少ない。公立である以上、文科省のルールに沿った形で授業を実施するし、先生は異動する。
そうすると、教育移住で選ぶべきは「日常の余白」。生徒数が少ないこと、思いっきり外で遊べる自然環境があること。そして不便さの中で「どうしたらいいかなー」と考える余白があること。

全て揃った流山市から移住するなら、真逆の世界に行きたい。

移住先を探し始めた当初、最有力候補は淡路島だった。海に囲まれた少人数クラスなんて素敵。香川県も生駒市も近い。
しかし、1年間毎日住宅情報を見続けたが、良い物件が見つからなかった。直接、現地の不動産屋に行って聞いてみたが無かった。
淡路島洲本町の素敵な街並みやショッピングモールを歩いている時、「ここだったら今まで通りの生活ができる」と思った。この時初めて「今まで通りの生活」にワクワクしない自分がいることに気が付いた。

せっかく移住するのなら「今までと全然違うやん!!!どーする!!!」と言いたい。
今まで通りならわざわざ大好きな流山市から出ていく必要はない。

情報を集めるため、フェイスブックに「移住先のおススメありますか?」と条件を書いて投稿した。そしたら、徳島の神山町とか大阪の三島などたくさんの情報を寄せてくれた。その中に「西粟倉村はどう?」と書いてくれた人がいた。

村の名前は聞いたことはあったが、全く候補に上がっていなかった。
「教育移住」で検索すると上から5番目に出てくる。
HPを調べてみるに、なんか面白そうな場所っぽい。

1500人中150人が移住者で、起業家が多い。
オンラインで村の教育に携わっている団体の方の話を聞いてみたら「1学年6人から15人くらいで運動会は保育園小学校中学校合同でやります」と。
なにそれ!!!!思春期の中二の男の子が保育園児に「頑張ろうな。俺たちのチーム勝とうな」とか言うの!!えーーー!!めっちゃいいやん!!!!
私の中の妄想が止まらない。

スーパーはない。コンビニもない。病院はないが、週に何日か先生が交代で診療所に来てくれる。プラスチックは2週間に1回の回収。
ふむふむ。毎日スーパーでプラ入りのお惣菜を買うのが日課の私たちがここで暮らすのか。全然今と違うやん!!!生活丸ごと変えないかんやん!ワクワクする!!!!

早速、村のことを子どもたちに伝え、冬休みに家族で旅行がてら行ってみた。

雪で村の様子は全く分からない。

が、村営住宅の物件が素敵すぎて「ここに住めるなら移住を決めよう」と家族全員の意見が一致した。

すでに先約がいて、その方がキャンセルすれば私たちに決定権が周ってくるとのことで、ドキドキしながら2022年を迎えた。
12年前に流山市に初めて降り立った時の感覚を思い出した。「余白だらけやん!ないなら、私が作りたい!」とワクワクした。ワクワクしすぎて、正月休みの4日間で村でやりたい新しい事業計画書とプレゼン資料を作り上げていた。まだ自分達が住めるとも決まっていないのに。

やっぱり、やっぱり流山市は成長ベンチャー企業だった。

2022年1月28日。私たちが村の移住住宅に住めることが決定した。
2022年2月6日に流山市の家を売るために不動産会社さんと打ち合わせをした。12年前に築10年以上の中古物件を購入したのだが、買った金額と同じ金額で売りに出してみた。驚くことに、一週間経たずに買い手がついた。

【非常にお世話になった不動産屋さん】

家って株だったのか。
私は新卒で入ったベンチャー企業で持株会に入り、一生懸命働き、上場を経験し、非常に良い資産形成をさせてもらった。

住んでいる街を楽しい場所にしようと活動してきた。たくさんの経験と人脈と実績得た。街の市場価値がものすごく上がったことで転出する際に思わぬ報酬が舞い込んだ。

12年間、流山市に投資した自分の時間やエネルギー、お金以上に、リターンの方が圧倒的に多い。

やっぱり流山市は成長ベンチャーだった。

段ボール一つとリュックとキャンピングカーで生きていく。

私の荷物をまとめたら段ボール1個分の荷物しかなかった。中学生から書き続けた日記だけ。
あとはリュックにパソコンを詰め、バッグに服を5着入れておしまい。

10万キロ走った中古のキャンピングカーを買った。
当面はオフィスとして使用するが、村ではもっとバカバカしくて面白い事業に使う予定。

移住の理由は人それぞれだ。
全部揃っていることが魅力になる人もいれば、何もないことが魅力に感じる人もいる。 
流山市はすごい成長をしている素敵な街だ。ただ、今の流山市のステージと私がワクワクするステージが変わった。

私の仕事は新しいアイディアを生み出すことだから、まだ自分がやったことないこと、見てないもの、感じてない感情をインプットし続けないといけない。

便利さや当たり前からは何も生まれない。
「困ったなぁー。。どーしよーかなー。」と言う状況で私はどんな面白い閃きを生み出すのか?自分で自分に期待してる。楽しみで仕方がない。

もう家を買うことはないと思う。
永住もない。
段ボール一個とリュックとキャンピングカーで私は死ぬまで余白を探し続ける旅をしていたい。
バカバカしすぎて笑っちゃうような、でも未来にワクワクするような面白い教育を作り続けたい。

流山市に愛を込めて。
最高の12年間をありがとうございました。

追伸:人生は伏線でできている。

私たちが新しく住む場所は息子がバズった「海のゴミをリサイクルして出品したアクセサリー」を買ってくれた人が住んでいた家だ。


あの時、ドキドキしながらアクセサリーを入れ、息子と一緒にワクワクしながら封筒に書いた住所にこれから住むなんて。

人生は伏線だらけだ。
だから、めちゃくちゃ面白い。

※株式会社新閃力の法人は流山市に登記したままにします。西粟倉村には営業所をつくります。
シェアオフィスTristも物件の賃貸契約が切れるまでは続ける予定です。(経営が悪化したら早まる可能性はありますが。。)
一年かけて様々なお仕事をゆっくり引き継ぎをしていくので、2・3ヶ月に一度は流山に行く予定です。これからもよろしくお願いします。


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