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「学校がつまらない」という我が子と1年半、自由を求め、村に移住し、夏にサバイバル野宿に行き、たどり着いた先は「いつもの教室」だった。

小学校4年生の頃からだろうか。
息子が「学校がつまらない」と毎日言いながら帰ってきていた。
良い友達に恵まれ、勉強もうまくいっているのに、なぜ?
これは「どうしたら学校が楽しくなるのか?」について、私と息子との自由を求めた人生の旅行記である。

自己決定権のなさを息子は「自由ではない」と感じていた。

最初、息子はよく「自由がない」と言っていた。
それをもう少し要素分解してみたくて、色々質問をしてみた。
習い事もしていないし、放課後は自由に時間を使える。自分でお金を稼ぐことも、何に使うかも、基本あなたに全てをゆだねている。
一体何が不自由だというのか?

「それがわかったら、僕だってこんなに苦しんでいない。」
おおおおおう。
そっか、そりゃそうだ。わかってりゃ苦労しないわ。
なんか、すまないね。

彼はあだ名の禁止についてポロっと話し始めた。
「僕はワカメが苦手でしょ。みんなそれを知っているから、僕のことをワカメって呼ぶ。僕は嬉しいのよ。みんなが給食でワカメが出たら、僕のことを気を使ってくれるし、覚えてくれる。なのに、それも傷つくから禁止なんて。傷つくかどうかは僕が決めることだよね。嫌な子には言わない、をルールにすればいい。なぜ、僕のあだ名までダメになるのか。」

そうか。そうだったのか。

またある時、「発表をするかしないかは自分で判断してもいいよね。なぜ全員が発表をすることが良いことなんだろうか。僕は少しどもるから発表が苦手なのに」

そうか、そうだったのか。

具体的な出来事があった時に二人でよく話しあった。
そのうち、彼が「自由ではない」と感じる瞬間は「自己決定権がない状態」なのだと気が付いた。
ゆるやかな対話を始めて、半年くらいたった頃、もっと息子には良い環境があるのではないか、と思い始めた。

時間的・空間的・精神的な余白を求めて、村に移住。

「教育移住」で移住先を探し始めた。当初は国際バカロレアやイエナプランなど独自の教育プログラムを進めている学校ばかり探していた。
しかし、日本にそんな学校は多くはない。
少しだけ変わったプログラムを入れている公立もあったが、先生や校長や教育長が変わったら継続される保証はない。

子どもに自己決定権を渡すには大人側に余白が必要だ。
待つ時間、好きな学び方ができる空間、ミスっても大丈夫という安心感。
キツキツの教室で、多くの生徒を抱える学校では難しい。

私は1学年の生徒数が少ない村への移住を決めた。
人数の少なさは先生や校長、教育長が変わっても、短期的に変わることはないからだ。

2022年4月に岡山県の西粟倉村に移住した。

息子も娘も15人程度のクラスで学んでいる。
夏の懇談会の時に「発表をよくする子ですね」と言われ、耳を疑った。
あんなに発表が苦手だったのに。。
息子に聞くと「人数少ないから、緊張しないし、全員必ずしゃべる感じになる。だって、少ないからね。前の学校では僕がしゃべらなくても授業は進んでいたから」と。

それでも、やっぱり学校はつまらないようだった。以前と同じく、めちゃくちゃ素敵な友達と先生に恵まれ、受け入れてもらえて、学校環境も良く、勉強も問題ない。
「結局、どこに行っても学校って一緒なんやね」と「どうしたらいいんやろうねー」と二人でぼんやり話をしていた。

夏休み、5日間のサバイバル野宿に参加して得た、自由とは?

夏休み、初対面の小学4年生~中学3年生が15名集結して、五日間のサバイバル合宿をする企画があった。
息子に「どうする?参加する?」と聞いた。
「大人が作ったルールがどのくらいあるかを聞いてほしい」というので、主催者に聞いたら「なんもないから、自分たちで作って」と返信がきた。
すぐに参加を決め、当日を迎えた。

河で魚をつり、自分たちで寝床をつくり、ご飯も寝る時間も全部自分たちでやる。
1日目、楽しすぎて時間忘れて河で遊びまくって、絶望し、夜10時くらいにペコペコな状態で作って食べて、そのまま河原の石の上に引いた寝袋で寝た。

2日目は昨日の失敗を繰り返さないように、早々に遊びを切り上げて夜ご飯の用意を始めたとのこと。

いつ、何をするかも自分たちで好きに選べる。
迎えに行った時、最高の笑顔で「めちゃくちゃ楽しい!!!!」と言ってきた。間髪入れず「自由とは何か?」と問うと「夢中になること!!!」と息子が答えた。
さらに「やらなければならないことはあったのに、自由を感じれたの?」と聞くと「みんなで生きるためには最低限ルールは必要だった。1人だったらルールはいらないけど、みんなでやるならいる。みんなでいるからご飯が作れたり、楽しかったりするから。やっぱりルールはいる。」

終了後、主催者の方に教えていただいたのだが、息子はチームメンバーに「それぞれの自由について話し合いたい」と議題を出したらしい。
自分の自由と他者の自由が違うけど、ある程度合わせなきゃいけないということを思ったとのこと。

めっちゃいい経験。大きくなったな。
でも、日常に戻ったら、また「つまらない毎日」を過ごすのだろうか。。夢中になるものは私が見つけるものではなく、息子が見つけるものだから、私は待つしかできないかな。

自由は自分で手に入れてこそ、誇りになり、愛着を持ち、大切にする。

とはいえ、何かしたい気持ちがあった。
たぶん、ずっと罪悪感があった。
子どもの人生を良くしようと思った移住の決断が良くなかったのではないか、と。

私は千葉にいる時から我が子の学校側に何か要望を言うことは極力避けてきた。先生や教育委員会の苦労も背景もわかるし、子どもたちの自力解決のチャンスを失うのも嫌だし、息子だけの問題かもしれんし。

しかし、今回「何か一緒に面白いことしようよ!って先生に言いにいこうか?」と初めて息子に相談した。
そしたら息子が「ママに頼みたいときは言うから、今はまだ大丈夫」と断ってきた。

そうなん。わかった。じゃ、とりあえず、いつでも面白い授業できるようにブルペンで投げときます。

そんなある日、息子がガッツポーズをしながら学校から帰ってきた。
「今日な、学校をもっとよくするためのアンケートがあったんよ。で、俺『授業を子どもたちがやる』っていう提案を出したんよ。そしたら、それが多数決で選ばれて!できることになったんよ!!俺、やったよ!あ!!嬉しいわ!!」

実際、道徳の時間を子どもたちが授業をすることになったらしい。

「自分たちで授業をしたい」という意見から始まった授業の実践。早速道徳の授業に挑戦しました。授業者のグループは、事前に題材を読み込み、「この題材で伝えたいのはどのようなことか。」「みんなに考えてもらいたい部分はどこか。」を話し合い、問いや板書計画を立てました。-中略‐授業者は「難しかった」「意見を簡単にして黒板に書くのが大変」と言っていました。
学級通信より

さらに、算数の授業ではこんな出来事も

※用事で先生が5分ほど授業に遅れてしまった時のこと。
教室に近づくと話し声が聞こえます。雑談かな。と教室に入ると電子黒板に今日の問題を提示し、授業を始めようとする5年生の姿が見られました。驚きました。そして「自分たちでやってみる?」ときくと「する!」という返答が来ました。自分の考えを電子黒板に書き込んで説明をし、板書を書き、まとめも自分たちで行いました。立派で頼りになる5年生だとおもいました。
学級通信より

息子に「誰が、授業しようって言い始めたん?」って聞いたら「誰が、とかじゃなくて、ヒョンなことからみんなで授業しようぜってなっただけ」と。
すんごい良いじゃないか。
ものすごいことやないか。
先生、めっちゃありがとう。教室に入ってから、子どもたちの主体性のバトンを教師側に戻さず、そのままやらせてくれて、ありがとう。ほんまに、ありがとう。先生にもお電話で感謝を伝えた。

そういえば、いつの間にか、もう息子から「つまらない」という言葉を聞かなくなっていた。毎日楽しそうに学校に行っている。

自由の作り方を知っているって強い。

ここに記載した以外にも、中高一貫校のオープンスクール言ったり、旅に行きまくったり、子どもたちと一緒に「自由」を求めて色んな所に行った。

でも、自由は目の前にあった。
自由は「用意されたもの」ではなく、仲間と一緒につくるものだった。
自由をつくるには少し時間がかかるから、焦ってはいけなかった。
そして、私にできることは特になかった。

キャリア教育の実践者である私が試行錯誤右往左往四苦八苦するなんて滑稽かもしれないが、我が子のことはマジでわからん。
それで良いと思ってる。一緒に悩んで、歩いて、泳いで、話して。
楽しかった。

また、いつかつまらなくなっても、「自由のつくりかた」を息子はもう知っているから、大丈夫だ。

※あくまでも、私と息子のプライベートなやりとりであり、学校の在り方を批判や議論するつもりは全くありませんし、学校にも先生にも感謝してます!

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