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日本の昔ばなしを考える【桃太郎編#1】

憚りながら、私は先日53歳の誕生日を迎えた。正直に言うと誕生日が嬉しかったのは20代くらいまでで、特に40代になってからは誕生日を迎える度に心身の衰えと時代から取り残されつつあるようで何とも言えない気分になるようになった。なので「あーあ、誕生日が来てまた一つ歳をとってしまった」という言い方が相応しい。

私は健康に自信は全く無く、子供の頃から病気がちで、体力的にも同年代に比べて間違いなく劣っている。なので天寿はどんなに長く見積もっても80歳くらいが妥当だと思うので、もう人生の2/3が経過した計算になる。

そんな私ではあるが、一応、半世紀以上生きてきたので日常生活の中の事象についてそれに内在する意味や意義、生きるにあたって必要な知識や考え方はそれなりには学んできたつもりである。

ってことで今回はタイトルのとおり、日本の代表的な昔ばなしである「桃太郎」について「いちいち」私の思うところを書き記してみたい。なぜ桃太郎なのかというと、「かぐや姫」、「浦島太郎」と並ぶ、私が思う日本三大「奇天烈昔ばなし」の一つだからだ。


①なんで「桃」?
桃太郎は桃から生まれたから桃太郎だ。日本人でこれを知らない人間はいないだろうし、ごく当然と思っている人も多いと思うが、「だって、お話でしょ?」とは言わずに今一度考えて欲しい。人間が人間以外から生まれることはもちろん有り得ない。しかし「動物」ならまだしも、植物から生まれたのだ、しかもなんでよりによって桃なのだろうか。だって、桃はせいぜい大きくても直径15㎝くらい。恐らく、昔の桃はもっと小さかったに違いない。だから桃太郎の入っていた桃は大きさは不詳ながら「大きな」桃ということになっている。これは決して中に入っていた桃太郎が通常サイズの桃に入れるほど小さかったという訳ではなく、通常サイズの人間の赤ちゃんが入るだけの大きさがある桃だった、ということを意味していると考えるのが自然である。ちなみにもし私だったらそもそも大きいもの、例えばスイカやメロンやカボチャなどの瓜系(果物ではなく野菜だけども)にする。大きいし、水に浮くし。ただし、これらは私の苦手な食べ物なのだ。特にメロン。それはどうでもいっか。

②桃はなぜ川を流れてくるのか?
桃太郎入りの桃を発見するのは川へ洗濯に来たおばあさんである。そこで偶然、川上から大きな桃が流れてくるのだが、運良く桃が川岸まで流れてきたとしてもそれを拾い上げて家まで運搬するのは老齢の女性にはかなり困難な作業だと思うのである。私の勝手な推測だが、小さくとも桃の直径は80㎝、重量は3㎏はあったはずだ。そして発見するタイミングも奇跡的としか言いようがない。だって、おばあさんが出がけに面白さのあまり「あさイチ」をあと10分余計に観ていたら、桃は下流へと流れて行ってしまった訳だから。極論かもしれないが、川を流れてくる設定ではもしかしたら桃は誰にも発見されずに海まで流れて行ってしまって、サメの餌になっていたかもしれないのだ。また前述の桃の大きさについてはその流れてきた状況から推察できるのだ。それは、桃が「どんぶらこっこ(、すっこっこ)」というオノマトペで流れてくるところである。これはオノマトペの多さ世界一の日本語ですら普段使わない特殊なもの、間違いなく「シャア専用ズゴック」ならぬ、「桃太郎が入った大きな桃専用オノマトペ」なのだ(あっ!だからシャア専用機は桃色なのか!!)。
以上より、本来ならばおばあさんではなく、山へ柴刈りに行ったおじいさんに発見させるべく、桃太郎の入った桃は「桃の木」に生っていたり、もしくは熟して木の下に落下していたことにするのが作家としては常套だと思うのだ。そうすれば陸上だからお持ち帰りもしやすいし、おじいさんだからおばあさんよりは力はあるだろうし、例え昼ご飯を食べ、「らんまん(再)」を観てから柴刈りに出かけたとしてもイノシシや熊などに先を越されていない限り、きちんと桃を見つけることができるではないか。

と、桃太郎が誕生する前から既に集中力の限界が近いので続きは【桃太郎編#2】で。


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