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満タン⛽

車を運転しなくなってからもう、何年も経つ。子供も大きくなったし、出かけることも少なくなったからだ。最後の方は下手すると月に1~2回しか車を動かさない時もあった。その車を売ったときなんか、7年間乗ったにも関わらず走行距離は約1万㎞だった。


この間、たまたまガソリンスタンドの前を通りかかって、思い出したことがある。私は大学生になったと同時に運転免許を取って、すぐさま車(中古のトヨタ・セリカ)を買った。学生だったのでお金が無い。なので、ガソリンスタンドで給油する時もできるだけ少なく入れたいのだ。

今と違ってセルフのガソリンスタンドなんか無いから、いちいちバイトのお兄ちゃん、お姉ちゃんに入れるガソリンの量を告げなければならないのである。同世代の相手ということもあり、さすがに「1,000円分入れて」とは言えなかったので、つまらない見栄(?)を張って「2,000円分入れて」と言っていった。

当時、レギュラー・ガソリンは大体100円/㍑、安い時には90円/㍑くらいだった。だから、2,000円≒20㍑なので、2000ccの車ならば結構、走れたものだ。それで、夜な夜な友達や女の子とドライブに行くのである。

ドライブと言ったが私は元来、車を運転することが嫌いである。誰かが運転してくれるのであれば私は喜んで助手席に座って、運転手の話相手をするところなのだが、残念なことにそういう境遇になったことは殆どなかった。大学の友人も地方から東京に出てきたヤツばかりだったから、車はまず持っていなかった。運転免許を持っていても普段、車を運転していないから「怖い」と言うのである。私の車はMT(マニュアル・トランスミッション)だったし、ここ東京は人も車も多いからだと言うのである。

当時、私が車を持つことの一番のメリットと感じていたのは時間を気にしなくて良いところだった。何時に出かけて何時に帰って来ようが自由である。特に終電を気にしなくて良いところである。ちなみに、副次的な産物として女の子と遊びに行くのになにかと都合がよいというのもあったけど。

そんなこんなしているうちに私も就職して、それなりの給料をもらうようになったので、いつしかガソリンスタンドで「2,000円分」とは言わなくなった。


最近はめっきりガソリンスタンドの数が減ってしまった。しかもその殆どがセルフ式である。

私は当初、セルフ式のガソリンスタンドが嫌だった。窓も拭いてくれないし、空気圧も測定してくれない。いちいち、車から降りてガソリン臭の中に身を投じなければならないし。けれど家の近くの馴染みのガソリンスタンドが次々と無くなっていったため、セルフ式のスタンドに行かざるを得なくなってしまった。


そういえば、昔の有人のガソリンスタンドで「満タン」っていうと、本当にガソリンタンク満杯まで(勝手に)入れられてしまうのである。セルフしか知らない若い人は知らないかもしれないが。今も昔も給油ノズルはある程度までガソリンが入ると溢れないように自動的に止まるようにできている。私はそれで良いのだが、恐らく店側は一滴でも多くガソリンを入れてしまいたいとの思いからそうしているのだと思われるが、私はこれがどうも気に入らなかったのである。

自動的に給油がストップしてから、「チョロ、チョロ」とガソリンを手動で入れるのである。当然、その度に店の給油メーターが「チョロ、チョロ」と上がっていくのである。疑り深い私は「本当に、その分ガソリンは入っているのだろうか」といつも何とも言えない疑念が漂うのである。

しかし、店側は間違ってはいない、なぜならば私が「満タン(=ガソリンタンク満杯)」って言ったのだから。なので私はずっと考えていたのである、満タンに代わる言葉、すなはち、「給油ノズルが自動で止まるところまで」という意味の言葉を。でも、良い表現は浮かばずに数十年が経過し、時代はセルフ式のガソリンスタンドが当たり前の世の中となった。


そして最近知ったのである。セルフ式ガソリンスタンドに対して、昔ながらの、人がいて、給油を始め車内のゴミ箱のゴミを捨ててくれるようなガソリンスタンドのことは、「フルサービス・ガソリンスタンド」と呼ばれていることに。



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Gas, 1940 by Edward Hopper


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