これからは「エスカルゴ現象」と呼ぶことにします。少なくとも日本国内では。
長年生きていると、極たまにですが、不思議な感覚に苛まれることってありませんか?
数時間前に書いた記事を見ていただくと分かると思うのですが、私の脳内では「フランス」→「料理」→「エスカルゴ」→「炎のエスカルゴ」という思考になったのです。
でもって数十年ぶりに耳にしたのです、この「とんねるず」と「秋元康」が最高にふざけ輝いていた時代の曲を。それによって私の頭は今の今まで悩まされていたのです。この曲の歌い出しの「アイアヤヤヤイ」の部分、何か昔の曲に似ているような…
この部屋のどこかにしまってあるのは間違いないのに見つけられない何か、例えば昔々に読んだ村上春樹の「カンガルー日和」の文庫本のような。彼の作品は全部あるはずだから、納戸の文庫本コンテナの村上春樹ボックスを見れば間違いなく入っているはず。でも「中国行きのスロウ・ボート」や「螢・納屋を焼く~」などの他の短編集はあるのに探している「カンガルー日和」だけ見当たらない。そんな感じ。
なので私の脳内では、「アイアヤヤヤイ」が勝手に再生され、その後、頭の中の納戸を探し、見当たらず、そしてまた曲が再生され、本棚を探し、見当たらず…ってのを延々3時間に亘り、繰り返していたのです、たった十数分前まで。
こういった現象ってありますよね?何かの曲に似ている、けど思い出せない。どこかの風景に似ている、けど思い出せない。昔食べたものの味に似ている、でも思い出せない。絶対に過去に経験しているはずなのにそれが何だかわからない。こういった現象を今後は今回の私の体験、およびその状態が螺旋状にぐるぐると続くことから、「エスカルゴ現象」と呼ぶことにしますので、ここに宣言します。
ちなみに私は今回のエスカルゴ現象から抜け出すことに成功しました。もしかしたら残念ながら相次いで亡くなってしまった高橋幸宏さんや坂本龍一さんのお陰かもしれません。
ちなみに、エスカルゴ現象はデジャヴとは違います。「絶対に体験しているのは確か」だからです。