二十世紀旗手
私が三鷹下連雀にある禅林寺に行ったのは今から40年近く前、高校1年生の時である。担任の国語教師Y先生と一緒に学校から一駅電車に乗って。鴎外と太宰の墓がすぐ傍に揃ってあるからだ。
どちらの墓も大きくもなく、小さくもなく想像と違ってごく「普通」の墓石だった。ただ両者には決定的に異なるところがあった。供えられていた花、供物の量である。
太宰の墓にはぐるっと一周、これでもかという数の供物があったのに対し、鴎外の墓は一般人と大して変わらない量の供物しかなかった。担任曰く、太宰の墓にはいかにもという女性が「おさむちゃ~ん」と言いながら花を供えにくるのだとか。確かに私も鴎外よりは、捻くれている太宰のほうが好きである。
21世紀になった現在でも、恐らく太宰の人気は衰えていないと思う。何度読んでも良くわからない小説ではあるが、文体の流れはとても心地よい。
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それはそうと、いまだに理解できないのは太宰が心中した場所が「玉川上水」ということである。水量があまりにも少ないからだ。恐らくそれまで未遂に終わったどの自殺企図よりも完遂するのは困難なのではないだろうか。ただ、いかにも彼らしい、と思うのはその亡骸が発見された日が入水してから5日後の、自らの39歳の誕生日だったということである。
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