48&46
「48」という数字から連想するのは、1994年(平成6年)に新卒の社会人となった私には、「相撲の決まり手」か「男女の夜の営みの体勢」くらいである。
とはいうものの、相撲に関しては、上手投げ、下手投げに始まり、押し出し、突き出し、寄り切り、小手投げ、掬い投げ、浴びせ倒しくらいしかわかってないし、夜の営みのポジションに関しては、ノーマル、ドギー、カウガール、シッティング、そしてそれぞれのバリエーション程度の知識しか持ち合わせていない。あっ、あとシックスティ・ナインもね❤。
48という数字を素因数分解すると2×2×2×2×3なので、昔から何かと数字合わせをするのに都合がよかったのではないかと考えている。仏教にも48という数字は現れるし。例えば「四十八願」とか。余談ではあるが、アメリカのNFLには「San Francisco 49ers」という名門チームがある。私が学生の頃に在籍していたのが、あの史上最高のQB「Joe Montana」である。もし、ゴールドラッシュが1年早ければ「San Francisco 48ers」だったに違いない。
ところが、21世紀になると日本での48のイメージはガラリと変わるのである。アニメやフィギュアなど、オタクの聖地と化した秋葉原に「AKB48劇場」を本拠地とする「AKB48」なるアイドルユニットが誕生したのである。その後、続々と「SKE48」だの「NMB48」だの、『なんでもかんでも地方の地名をアルファベット3文字にすればいいってもんじゃねーぞ!』的な派生アイドルユニットが登場するのである。
この頃、既に結婚10年を迎えようとしていた私は当然の如く、アイドルには興味がなく(というか、学生時代からその手のジャンルには全く持って興味はなかったので)、殆ど隅に追いやられてしまった、電子部品やパソコンパーツなどを物色しに秋葉原に足繁く通っていたのである。
そんな私でもかろうじて「モーニング娘。」の初期メンバーくらいは顔と名前が一致するし、彼女たちの曲も歌詞を見ればカラオケで歌えたりはするのである。ちょうど「ミキティ~~」が加入した頃までだろうか。
話が横道に逸れるが、その数年前から秋葉原には「メイド喫茶」なるものが誕生した。誕生当初、今は無きラオックスのコンピュータ館やヒロセパーツセンターのあたりには客引きのメイドがいたのだが、日に日にその数を増し、それに反比例するかのようにメイドのクオリティは下降の一途を辿ったのであった。
ところがである。気が付くと48より2少ない46が巷を席巻しているではないか。「乃木坂46」の登場である。当然、オヤジである私には「AKB48」と「乃木坂46」の区別すらつくはずもなく、何故、48-2=46にしたのかもわからず、秋元康のやることはようわからん!となっていた、というのが実情である。
私にとっての乃木坂といえば現在、国立新美術館が建っているところにあった、東京大学生産技術研究所である。まだ会社に入りたての頃、研究、勉強のためにイヤイヤ週一通っていたからである。古いドーナツ状の建物で毎回、建物の中で迷子になった記憶がある。地下鉄サリン事件当日も事件発生直後に乃木坂駅に向かうため、東京メトロ千代田線に乗っていたのだった。さすがの乃木大将も100年後に自らの名を冠したアイドルユニットが誕生するとは思ってもみなかったであろう。
さらに「乃木坂」にとどまらず、「欅坂」、「櫻坂」、「日向坂」など、これまた『港区にある坂道の名前を片っ端からつけりゃいいってもんじゃねーぞ!』的な「坂道シリーズ」と呼ばれる派生アイドルユニットが登場して、オヤジにはもう理解不能。所属メンバーの顔と名前を覚えるくらいだったら、もう一度「ベルヌーイの定理」から流体力学を勉強しなおした方がまだマシって感じである。ところで冬眠しちゃった「吉本坂」ってのはやっぱり、吉本興業の圧力が関係しているユニットだったのだろうか?だって、そんな坂道は港区はおろか大阪にだってないんじゃない?ちなみに「ベルヌーイの定理」には流体の圧力が大いに関係しているのだ。
今回はそんな私のお気に入りの曲を紹介することとしよう。
お気に入りではないけど、しょうがないからこれも。
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