我々は本当に『坊主』を咎められるのか

 君は『坊主』というTwitterアカウントを知っているか。大喜利のお題を発表し、回答を集める活動を主としている。
 私のような、インターネットクンから「滑ってる人間」の代名詞として使われるようなアカウントだ。

 そんな坊主が本を出した。内容は『大喜利でウケるには』みたいなモンらしいが、今その本がひたすらに叩かれている。

 主に、「お前が回答してる訳ではないだろ」や、「お前が面白い訳ではないだろ」といった方向性で批判されている。感情論的には、概ね同意見だ。

 だが何年も日課として、大喜利のお題を発表し、その回答を精査してる人間はそう多くはないと思うので、集合知の発表としては悪くないんじゃないのとも思う。「アタシがスーパーおもろ人間代表でござい!!!!」って自伝でもない限りは、まあいいんじゃないか。叩いてる人間は(私を含めて)買ってないから、詳しい内容を知らないワケだが。


 ところで坊主批判意見の中に、こんなものがあった。アカウント名などは伏せるが、要約すると、


お笑い芸人の粗品が、「坊主と実際に会った時、”私Twitterで有名なんですよ“みたいなこと言われてキモかった。」って言ってた!

みたいな内容であった。


 私も時々やってしまうが、改めてこういうの、嫌だなあと思う。『嫌い』といった自分自身のネガティブ感情を正当化するために、他人の発言使うんじゃないよ。


 粗品は勿論スーパー面白売れっ子芸人であり、名実共にめちゃくちゃ面白いワケだが、その言葉の傘の下にいる我々は、なにも面白くない。


 他人の大喜利で本出してる坊主と、他人の言葉で他者を批判する我々は、根っこの部分では同じなのではないだろうか。

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