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あったかのこれまでの経験を集約してみた、夢の話。

札幌市にあるとある児童会館で
指導員として働いていた私。

毎日学校が終わると児童会館にただいまと
帰ってくるこどもたちとの別れを決断したのは
私のこれまでの人生23年間に深く関係がある

▶︎高校時代までの私の生活

私は8歳の頃から姉の影響で
バドミントンを始めた。
元々引っ込み思案で人見知りで、他者と関わるのが苦手だった私が唯一、緊張せずに他者と対話できたのは、バドミントンを通してだった。

そして、バドミントンの技術を通じて
仲間ややりがいを得、スポーツが健康づくりと
つながりがあると気づいた。

そんな、バドミントン漬けだった生活から
"野生動物の勉強がしたい!"と思うようになり
北海道の広い自然の中にある大学へと入学した


▶︎大学の4年間でみた " 幸せの形 "

私は大学生活の中で、人々の暮らしや幸せの形について興味を持ち、海外に住む人たちへの興味が深まっていった。
そして
人の幸せは一人一人違うけれども
必ずしもお金があることが幸せではないことを学んだ。

モンゴルでは長い間、季節の変化によって住む場所を移動する遊牧生活を続けられてきた。
しかし、経済発展に伴い、モンゴルの誇りとされている遊牧文化は環境的金銭的にも難しい現状になっていた。

その一方で、インドネシアの小さな島にあるちいさなちいさな村に住む人々は、日本人である私からみると、決して裕福ではなかったけれど、毎日を幸せに暮らし、何より心が豊かだった。

" 人々が幸せで豊かに暮らすには
環境が整っている必要がある" と学んだ

▶︎半年間の社会人経験でこどもたちから与えてもらった新しい夢

大学を卒業した私は札幌のとある
児童会館で指導員として働いた。
0歳から18歳までのきらきらした目の
こどもたちと関わる中で、
"こどもの居場所の無さ" に気づいた。
こどもの安心していられる場所が
必ずしも家庭の中に確保されていないことを知った

これまでの経験を通して
『人々の暮らし』
『やりがい』
『将来』というキーワードから

暮らしにねざしたやりがいのある将来設計

をこどもたちの自立のために手助けしていきたいという夢をこどもたちに与えてもらった

そして、それが私の人生の理念となった。

こどもたちにとって多くの居場所があれば
きっと、そこから自信をつけ大きく羽ばたける
きっかけになると信じている。

そんな居場所をバドミントンを通してつくり、
こどもたちがいろいろなことやもの、そして
人に出会い関わることで、彼らのやりがいを
見つけ、大きく羽ばたけるような活動をしていきたい

そのために今は
エチオピアという日本から離れた場所に
身を置き、エチオピアの人たちと生きることに
大きな意味があると思う。

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