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19.アメリカ生活③ **小説「先」**


昼は寿司屋で働き、夜はショーに出るという目まぐるしい日々が続いた。
そんなある日、やっぱりあきらめきれないブロードウェイの学校のオーディションが隣町に来るというので、受けに行った。
奨学金がつかないなら受かっても入学を辞退しようと思った。そしたら留学生が取れる最高金額の奨学金が出たので、すべてを捨てて、スーツケース1つで翌月ニューヨーク・マンハッタンに飛んだ。


アメリカのミュージカルのことなんてあまり知らなかったので、学校に入った時、歌や作品を既に知っている同期たちに驚愕した。面白い人になりたい。そう意気込んでいたが、ブスキャラしか武器がなかった私。日本じゃいじられまくっていたし、絶対ウケる自信があったのに、一切ウケなかった。それどころか、「あなたは美しいのよ?それで私たちが笑うと思っているなんてひどい」と逆に怒られ、価値観が崩壊した。


歌手、俳優、コメディアン、ダンサー、あらゆるジャンルの猛者たちがその学校には集まっていた。しかも、世界各国から生徒が集まっており、一時期は同じクラスに14か国いた。
作曲や振り付け、衣装、脚本など、あらゆる授業が最高に面白かった。精神と時の部屋といっても過言ではないほど、人生で一番しんどかったし、一番課題に追われたが、最も充実した学校生活だった。

特にコメディの授業が面白かった。邪念がなく一生懸命何かに夢中になっている人に人は興味を持つと知った。おもちゃにしか目がいかない犬や小さいことに必死になる赤ん坊から目が離せないのと一緒だ。俳優の演じる役が、まさか自分がコメディ番組に出ているとはつゆ知らず、殺人ミステリーの主人公だと思い込んで、どうでもいいことに命がけになるリアル社会の皮肉を見せるからこそ、外から見ている観客は笑うのだ。
悪役もそれと同じ理屈だ。真の悪役は自分が悪役とは一切思っていない。むしろ正義と思ってコメディ番組の司会者のようなテンションで生きている。だからサスペンスなのだ。

一番向いていたのは、ミュージカルの授業だった。歌ならどもる心配はなかったし、なにより、曲を自分で解釈できて、自分で起承転結を作り、自分でパフォーマンスを組み立てられるところが向いていた。どんな課題曲も今までにないコメディ的解釈で、みんなを楽しませられて嬉しかった。
講堂での席は、いつもきまって一番左。日本でいう上手側客席。俳優と観客との温度差を常に観察した。

作曲者のメロディラインや作詞家の言葉の旋律、それを俳優はどう解釈し、どう自身の経験とリンクさせて、どういうテクニックで観客に届けるのか、その全てが楽譜とエクセルと温度計になって全部見えるのがたまらなく楽しかった。


人生で一番ウケた曲がある。
1つは売春婦が警察に惚れてしまうコメディ曲。ニューヨークで最も国際色豊かなクラスが揺れた。生徒たちや先生が、腹を抱えて、飛び跳ね、うずくまり、苦しそうに涙を流していた。窓の向こうのタイムズスクエアの窓も揺れたと思った。
あの3分は強烈に覚えている。

もう1つは、「チョーダイ」というオリジナルの替え歌。白人の女の子が真実の愛を求めて上京する歌を、永住権を求めて米国入国するという歌詞に書き換えた。ワールドカップで優勝したくらいウケた。


でもこの夢が続くこともなかった。
そう現実は甘くない。

ニューヨークの小劇場で、衣装チームの下っ端も1年やった。
公演の日に、もしものために舞台袖で待機するドレッサー。出番のたびにパンツが破ける役者さんがいて袖中で待機して、暗転中に着衣のままお尻やホックを縫ったこともある。

経験を積むと、早替えのお手伝いや、1着丸々作製を任され、リーダー級になると1作品全ての衣装案を出すようになるが、
当時は一番下だったので、リストに書かれた衣装を点在した倉庫から見つけ出しては作業場へ運び、ショッピングカートに押し込まれた要らなくなった衣装の山を、全て元の保管場所に戻すという運び屋を主にやっていた。リストを持って、カートに乗って、借り物競走。超楽しかったな。

私の苦手な歴史物は、アメリカ出身者に付いてきてもらって、そこでアメリカの歴史をいっぱい学んだ。平安+江戸+明治+平成の違いを教えてもらう、みたいに。
日本の作品に当たったことがあって、着物の説明ができなかった。そこで初めて、中学高校の歴史の授業がいかに大事かを知った。

私が一番得意だったのは、靴だった。靴の在庫は全部、屋根裏に置いてあったので、体の小さい私しか入れない場所があった。私が来る前は棒を使って落としてたと聞いて、私がかって出た。

半年過ぎるころには、衣装探しが朝飯前になっており、なんなら在庫整理しながらやっていた。そうして余計な仕事まで見つけてくるから同僚からは「ネズミ」と言われた。
ストリッパー時代のステージネームはKEY。
ここでもSQUEAKYのKEY。

あー楽しかったなぁ。




みんながありのまま、自分を表現できるように。
助けてほしいときに「助けてください」と言えるように。
自分から「だいじょうぶ?」と話しかけられるように。

そんな社会に日本もなればいいのに、と思った。

人それぞれ得意不得意が違うからこそ、
苦手を補うのではなく、得意なことを伸ばし、
それで人を助けられると覚えれば、
社会はどんどんよくなっていくと思うんだよ。

飛び級、レベル別、興味別、の教育で
好きなことや得意なことをどんどん伸ばしていく。
だって、社会って、自分ができることを誰かにしてあげることで
対価をもらって、それで人は食っていくもんじゃない?

みんな一緒のことができたって、それじゃ食えないよ。

苦手なことは、「苦手なんだ」と自他ともに認識できたら捨てていい。
苦手なことは、大人になったとき、
お金やコネや人望で、周りに助けてもらえばいいんだから。



帰国しよう。
私がアメリカでやりたいことは、やり切った。


ニューヨーク発東京成田行き。

久しぶりの日本は、醤油のにおいがした。


*****

20.8月28日(日) ロマンスカー


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