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2 鷺ノ宮 **小説「先」**
鷺ノ宮の改札を通って階段を降り、自宅の方向ではないけれど、ハートの水溜りだけを見にわざわざ踏切を渡る。
そして、水溜りだけを確認しにきた乙女なやつと周りに悟られないよう、わざと横目に通り過ぎて、近くの古びた自動販売機の前であたかも目当てのコーラが今日も売ってないかのような小芝居をし、引き返す。
今日は晴れだからできていなかった。
ハートの水溜りは雨が降らないと現れない。晴れの日でもなんとか分かる方法はないかと、水たまりの真ん中に色の違う石を三角形に3つ置いて目印をつけてみたけれど、晴れたら輪郭が見事に消え、その三角形の石すらすぐに見つけ出せなかった。
だったら写真を撮っておこうとスマホを向けても、ちっともハートに撮れない。何度撮ってもただの水溜り。画面に収まらない。
ある時、車道の真ん中で撮ったら距離的にちょうどいいんじゃないかと思って、終電も始発も動いていない深夜三時に、雨の中、スマホだけ持って見に行ったこともある。それでも撮れなかった。
ぶっちゃけ看板に登ったこともある。棒上りはアメリカのストリッパー時代に習得した。それでも撮れなかった。日本の看板は低いなと改めて思った。ルールを破ってごめんなさい。
だからこの水溜りは、すごく特別だった。
晴れの日でも水がハート型にきれいに溜まっていることもあったし、雨の日でも雨量が少なくて水溜りが出来ていないこともあった。
そして、見事なハートができていた時は、その水溜りに願い事を唱えてウインクをする。願い事は覚えていない。毎回違っていたと思う。
鷺ノ宮を選んだのは、なんだか懐かしい感じがしたからだ。とはいえ、こんな都会で育ってはない。
あたり一面田んぼが果てしなく続く、田舎の静かな平野で育った。だけど、今まで住んできた歴代の場所とカテゴリーが一緒だと五感で感じて、すぐ決めた。
明日はハートの水溜りに巡り会えますように。
子どもが職業体験するところで働き始めて、ずいぶん経った。今までの仕事の中で一番長く続いている。
救急隊がAEDを使って人命救助をしているときは、我々のお仕事が一旦待機になるので、お仕事を始めるときは向こうのスケジュールも把握しないといけなかった。万が一鉢合わせてしまったときは、横をすり抜け、邪魔にならないように任務に励んだ。
あとは、アパレルと老人ホームと塾講師とカラオケ屋。幼児からお年寄り、ギャルからガリ勉まで、誰とでもどんな世界にも入っていけるスーパー優しいヒーローになりたかった。
駅前のラーメン屋さんを我慢し、おなかを鳴らしながら坂を上る。
21時ピッタリ。お店からワンギリがきた。
風俗は通知も文字も残さない。2回以上コールしない。だからワンギリ。
優しいお店ほど徹底している。そっこーで掛け直す。
「やっぱ早ぇ、みにちゃん。明日来れる?」
店長からの電話に、来ない理由あります?と運動部の後輩のように勢いよく答える。
ちょうど別の店から「ひなちゃんへ、明日の早番は足りてるからキャンセルさせてください。ごめんなさい」とメールをもらったところだった。あそこは店自体の客足は途絶えないのに私は1円も稼げない。
1回6時間程の待機を求められ、お客が1本もつかないままその日を終える。出来高性だから収入はゼロだ。交通費もない。世間がイメージしているほどこの商売は甘くない。
とはいえ、今は特に生活に困っているわけでもない。
昼のバイトで収入は十分足りている。
なのになんで働いているのか?
アメリカ行きの資金を貯めていた10代の頃の名残りだ。
見た目で落とされたソープとキャバクラ以外、全部やった。
この世界では急に飛ぶ女の子が多い。
身バレ、ストーカー、病気、何やらかんやら。
だから、その子たちの力に私はなりたかったし、お店にとっても、いつでも空いてていつでも力になれる私みたいな子が1人くらいいた方が絶対いい。
実際、過去に何度かそういうピンチを救ってきた。
お客さんも喜んで、女の子も救えて、お店も安心する。そしてお金はついてくる。誰もやりたがらない役回りを引き受けて誰かに喜んでもらう、そういう生き方をしたかった。
でもそろそろ辞め時かなぁ。
年齢が市場に合わなくなってきたしなぁ。
あーあ。10代のころは、
あんなにヒーローになれたのになぁ。
クリーニング屋の角を曲がり、スーパーの裏の道を歩く。こんなに都会なのにこの辺りはいつも静かだ。
夜空を見上げ、太陽に照らされた月を愛でる。
相手の光を全て受け入れ、
その光を中継してはじめて知られる、美しい星。
自在に変化するその星は、今日は半分光ってる。
アパートの入り口でアイツからのLINEを開く。
「明日、置チケ了解しました!無限大ホールで新ネタおろします!」
新ネタじゃ笑い屋もいい仕事ができないぞと思いながら、階段をゆっくり上った。
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3.無限大ホール