かねちといっしょに100km走って気づいた「むき出し」の世界【2】〜なぜ共感が階層をつなぐ階段になるのか。〜
前回の記事、読んでくださった方々本当にありがとうございました!!本当に、ジッターの皆様がいなかったら私は完走できなかった。そして、私と皆さんとを常に共通の話題で繋いでくれているチームEXITの皆様にも感謝です。本当にありがとうございます!
さて、24時間テレビの100kmマラソンから1週間以上経ちました。もう前回の記事ほどの気づきはないだろう、続きはないだろうと思いながら、ななにー(2022年9月4日放送)のレギュラートークを観ていたら、これまた小説「むき出し」の核とリンクしたような強烈な続きがあったので、これも今、ホットなうちに書き留めたいと思いました。
本日もよろしくお願いします☀️
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インスタのラン日記(6月27日分)でもふれましたが、私は、ランニングを始めるまで、ランナーがマイノリティだと知りませんでした。
私が参照した記事↓
100km走った人なんて周りに1人もいなかった。だから6月の私は「100km走る=止められる」と反射的に思ってしまったのかなと今なら思います。
さて本題へ。
ななにーのレギュラートークで、かねちの100kmマラソンの話題になりました。(兼近さん、本当にお疲れさまでした!!)
同じ100kmとはいえ、私の100kmとEXIT兼近の100kmとでは、生きている世界の全く違う異種競技。道のりも違うし、そのスタートラインに立つまでも違うし、道中起こったこと、出会った人々、食べたもの、触れた空気、聞こえた風、足音、すべて違ったことでしょう。
そして、あのすごい人達全員で手作りしたゴールテープにたくさんの歓声と眩しくてキラキラの紙吹雪!!✨
これはきっとものすごい世界だったに違いない!
一体どんな裏話を聞かせてくれるんだろうか?
ダイニングの灯りの下で一人、ドキドキしながら
スマホ画面を見つめました。
「めちゃくちゃカッコよかった」
「最後までずっと笑顔で」
「しかも余裕だったし」
うん、本当にかねちらしい素敵なランだった!
草彅さん
「意味のないところで涙ぐんでたよね?」
「盛り上がるべきじゃないところで」
、、んっ?
「僕も走った事あるんですよ。だからすごい気持ちわかった。
急に押し寄せてくることあるんだよね」
ええっ!
今なんて言った?なんで分かるんだ?
なんでこの人が知ってるんだ?
こんなにすごい国民的大スターが
あんなに泥臭い100kmを走ったというのか!?
スマホ画面を指が食い込むくらい握りしめ
あの時の俺が、雄叫びをあげていた。
「ゴールしてないけど」
「安心感で」「もう終わりなんだって」
そうなんだよ!聞いてくれよ!
俺なんか、72km地点だったんだよ!!!笑
なんの意味もない普通の道路の
なんの思い入れもない曲がり角で
とくに何か思い出したり何か考えてたりするわけじゃないのに、急にグォってきて、
おい何してんだよ!クソ早ぇーよ!!
あと30kmはあんだぞ!!絶対ここじゃねェ!
今すぐ涙を止めろ!!
しかもこんな意味ないところで!!
勿体ねェことしてんじゃねェ!!
せめてかねちのこと考えてから泣けよ!!って、
大爆笑する自分と
空気読めよと怒り通り越して呆れる自分と
コントロールできなくてずっと謝り続ける自分と
そんな自分たちを必死で肯定したい自分達が大集合して、
思考はぐちゃぐちゃで
それでも体は機械的動作で前に進んでて
そのうえ軽快なおならまで出続けて
おいおい止めるべきは涙じゃねェおならだろって
誰だよ「70km過ぎたら人間性が出る」って言ったやつって、(失礼!ww)
一体どれだよ?カオス過ぎるだろ!って、、、
あの時の景色が、一気に全部蘇った。
「一人になったときに、急に『あれ』って、泣いてる!って」
そうそうっ!!!
「『自分にこんな感情あったんだ』みたいな」
そうそうそうっ!!!
「あと、今までの事とか思い返しながら」
「ボディブローで効いてきて」
そうそうそうそう!!!
頼む!もっと聞きたい!もっと言ってくれ!
あんなにひとりぼっちだったからこそ
この共感はエグい!!!
なるほど。
石山くんはこれを又吉さんに感じたってことか!又吉さん、なんちゅうヒーローや!!
まさに私は大コーフンしていた。今まで誰とも共有できなかった100km分の、24時間分の溜まりに溜まった小さな感動達を、今まさに画面の向こうの兄ちゃん達が当たり前のことのように語っている。
そして、その共感は
あのとき眺めた画面の向こう側の世界と
あのとき走った誰もいない道路とをつないだ。
大きな大きな大階段だ。
ダイニングの灯りの下
気づいたらスマホ画面に顔が埋まっていた。
そっか、「俺」は共有したかったんだな。
数百メートル走っては空を見上げ、
空だけが俺を楽しませてくれるんだ
こんなの絶対自分だけに違いない、と思っていたあのときの「俺」が、2人のトークに夢中になった。
共感がこんなに大きな階段になり得るなんて。
24時間分でこんなに感動するんだから、
石山くんの場合20年分だとしたら、相当だ。
こりゃすげーや。
香取さん「走った者にしか分からない」
一同「うん!」「はい!」
なんだこの美しい相槌!なんだここは!!
100km走った者達をこんなに肯定的に受け入れるのか?
こんなに優しい発言が出てくるなんて!しかもこんなに優しい発言にあたたかく相槌をうつ世界があるなんて!!
なんだここは!天国か?!
稲垣さん「りんたろーがすごくよかった。見守り方とか距離感とか」
うぉーーーーーー!!この人スゲェ!!!
そうそうそうなの!距離感が神なの!!見守り方がマジ天才なの!!ってか走ってないのになんで分かるの?スゲェ!なんでそこに気づけるの?!
なんだこの人は!
なんだこの世界は!!!
こんな世界があんのかよ!!!
この世界に行きたいぞ!!
どこだあそこは、そして俺は今どこだ?
そうか!!隔たれてるんだ!!
世界は隔たれているんだーーーーっ!!!!!
この一文は、留置所の中の読書期を経て、回想に入り、最後にたどり着いた石山くんの答え。
私には、この一文だけが、何回読んでも何回想像しても、どうしてもどうしてもずーーーーーっと読み解けずに引っかかっていました。
「むしろ逆じゃない?『世界はつながっている』じゃない?」と。
でも、分かれていると知らないと
向こう側があることにも気づけない。
だから「同じ世界で互いが影響し合って生きている」と気づくためには「あらゆる隔てが存在していること」に気づかなければならない。
(同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていて、この差は一体なんだ?)
あの時は走っても走っても、
走りきっても走った後も、結局ずっと分からなかった。
やっと解った。
才能がなかったわけじゃない。
劣っていたわけじゃない。
ただ、世界が隔たれていただけだ。
もし、世界が隔たれていると知らずに
真っ暗で誰もいない道路にたった一人、
次の一歩を踏み出す事だけで精一杯の人達を救う手段があるとすれば、
それは一流のアスリートではなく、プロのランナーではなく、
美談でも感動秘話でも成功体験でもなく、
「ランナーじゃないけど100km走ってみた」あるあるを世間話のように普通に話せる心優しい兄ちゃん達だ。
階段ってすげーな。
「共感」が、ほんとうに階層をつなぐんだな。
たぶんきっかけは何だっていい。
なにかその人にとっての、特別な出来事と、強烈にリンクさえできれば。
マイノリティ同士、そして誰もいなかった世界に居る同士ほど
1つの小さな「共感」が、とんでもなくゴージャスな大階段になって、
その大階段とご対面したとき、はじめて自分が、隔ての向こうにいたのだと気づく。
これで全部つながった。ファイナルアンサー。
*****
スマホを切り、ゆっくりとベッドに体を沈める。
天井のほこり、窓のよごれ、コップのしみ。
私は今まで一体何をやっていたんだろう。
分断を知らない状態で、一生懸命つなげようとしていたなんて。
あの時は、画面の向こう側の大人たちだって、私がどこを走っているかなんてわかる術はなかった。まして走っていることすら夢にも思わないだろう。
私だって、今回の100kmで、
このむき出しジャーニーを体験できていなかったら、
隔ての向こうの、次の一歩で精一杯の石山くん達に多分一生気づけなかった。
想像だけで何も見えてないくせに、でも純粋にだれかを助けたくて、すげー的外れでとんでもなく鋭利なものをなんでやねんな方向に暴投し続け、おのれの肩は負傷しかけている。そんな風に見えていたのかな。そしてきっと、これからもそう。こんな情けない感じでもいいのだろうか?
ただ、あきらめないことだけしかできない。
隔ての向こうの石山くんたちは、
私と階段になってくれるだろうか?
夜空のうろこ、遠くの信号、ガーミンの針。
あの時見ていた画面の向こうの世界から、
同時に同じ100kmを走り続ける「おれ」に
同時に同じ100kmを走る私は今なら何と伝える?
きっと、「それを書いたのが、たまたまピースの又吉さんだった」じゃないけれど、
きっと、「それを言ったのが、たまたま新しい地図の3人だった」と言うと思う。
《完》
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