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7. 高校時代 **小説「先」**
高校なんて行きたくなかった。
そもそも行く予定じゃなかった。
中学卒業したら、清掃会社に就職して家政婦になる予定だった。
そして家を出て、一人暮らしをする予定だった。
私は、物心ついた時からずーーっと一人暮らしがしたかった。
自分のお金やスケジュール、自分の人生を自分でコントロールできないことに就学前から常に違和感を感じていて、
子供というだけで社会から一人の人間扱いされないことに毎日絶望していた。
なんだこの気持ち悪い奴隷社会は?
どうして大人は
子供が一生懸命やることなすこと全てに対して
「可愛い=不十分」「可愛い=半人前」だと
頑張る本人を目の前にして堂々と笑えるんだ?
ありえねぇ。
まさか気づいていないのか?
それが馬鹿にして見下している行為だということに。
うそだろ。ありえねぇ。優しくねぇ。終わりだ。
そうやって、絶望していた。
あまりに酷すぎて、周りの大人に真剣に訴えた時がある。
だけど大人達は、聞く耳を持たないどころか
そんなこと言うなんてエマちゃん可愛いと笑った。
終わった。
子供の意見を、1人の人間の意見として受け止めない社会に未来はない。
だから、「この扱いは、一人暮らしをするまで、きっと無くならないのだ」と小学校低学年の頃から思っていた。
それに、早く扶養から外れて、仕事が忙しそうな両親に楽をさせてあげたかった。
娘の私が早く自立して家を出れば、そのぶん金銭的にも余裕が生まれるし、お父さんはお父さんらしく、お母さんはお母さんらしく、ゆっくり人生を満喫できる。
だから早く子育てから卒業させてあげたかった。
中2の春、就職したいと母に言ったら猛反対された。
ショックだった。また絶望した。
だったら内緒でやってやろうと思った。
こういうのは先手必勝だと思い、会社のパンフレットも数社取り寄せて比較検討をし始めた。
新居もいくつか外観を見に行ったし、最寄りの駅の下見にも行った。
そして、中3の夏に、入りたい会社に履歴書を送り、住みたい新居に内見の電話をした。
バレた。
三者面談になった。
そしてあっという間に私の高校進学が決まった。
というか他の選択肢が与えられなかった。
「高校に行かないと後悔するぞ」と先生に言われ、じゃあせめて一人暮らしだけでも叶えようと、
わざと飛行機でしか行けないような遠くの都道府県の私立高校を、第五希望までびっしり書いた。
そしたら、「私立に行くお金はない」と母に言われた。
お金がないのに就職させないってどゆこと?
行って欲しい公立高校があるってこと?
自分で選んでいいって言ったじゃん。
大人はすぐ矛盾する。
愛情に、吐き気がする。
私はそれでも一人暮らしがしたくて、わざと学区外の県立高校を第一希望に書いた。でも、教育委員会か知らんけど、公的機関が私の特例の進学を認めてくれなかった。まぁそうだろう。
そうして母は、「高校には行っておきなさい。後悔するから」という励ましの言葉で、忙しく仕事をしながらも最後まで私の受験シーズンを支えてくれた。
いつもは「人と違うことをしなさい」と言う父も、今回は母と同意見みたいだった。
高校は行かないと後悔する。
高校は行かないと後悔する。
周りの大人達、先生達、親戚一同に、あまりにもこの言葉を言われすぎて、だったら本当に行かないと後悔するのか確かめてやろうじゃねーかと、私もついに諦めた。
そして、ごく一般の生徒が進学を希望する、ごく一般の公立高校を受験して、ノー勉で合格した。
合格発表会場で、みんなが喜んでキャッキャと飛び跳ねている中、自分の番号が白い大きな紙に印字されていたのを見つけた瞬間、
視界とハートがギューーンと閉じる音がして
体から何か大事なものが抜けたのがわかった。
あれは一体何だったんだろう?
あの感覚は、人生で今のところあの時だけだ。
そして、あんなに無限にあった未来が、とうとう1つに決まってしまった、
逆らえない巨大な力で子供の世界に一気に引き戻された、という感じがした。
そこからは死んだような高校生活だった。
友達は、うすーくしゃべれる子が何人かクラスにいるくらいで、
人生観をどっぷり語って共有できる同年代なんて1人もいなかった。
休み時間は校内を散歩して時間をつぶし、弁当は一番遠い校舎にあるトイレの個室か、体育倉庫と部室棟の間の側溝まで持っていって食べた。
料理自慢の母が作った多品目のきれいな彩弁当は、雑草と虫と架空の親友と私以外、誰にも見られることはなかった。
最初は入試成績上位の子が集まるクラスに入れられていたが、学年が上がるにつれて、出席日数も成績もぐんぐん減らした。
それでもギリギリ卒業できるくらいはキープした。英語は学年で下から4番目だったし理数系は補講受けて挽回した。
唯一熱中したのは、書くことだった。
授業中や休み時間、テスト期間中の休みを使って
小説、コント、舞台劇、エッセイ、ジャンルを問わずに書き上げた。
そして卒業式の日、演劇部の部室に勝手に入ってそれらを隠し、
「探せ!」とだけ書き残して去った。
高校に行かないと後悔する、は本当だったか。
ぶっちゃけいうと、ぶっちゃけどちらでもない。
家政婦として働きながら、あいちゃんみたいに通信制で卒業も全然アリだったなと思う。
ただ、行ったおかげで、アメリカの学校に入学という次の目標は最短で叶った。いかなかった場合、まずは高卒の資格を取るところからになってしまうから。
ときどき思う。今でも思う。
なんならずーっと思ってる。
もしもあの時、家出でも何でもして、
強引に就職していたら。
もしもあの時、受験票に名前を書かずに、
テストもすべて白紙で提出していたら。
もしもあの時、合格発表に番号がなかったら。
試験会場から脱走していたら。
入学式に行かなかったら。
すぐに中退していたら。
家出していたら。
自分らしく生きようと、最後まであがきもがき、
「あんたがそこまで言うなら、しょうがないわね。頑張りなさい。」と、母を説得できていたら。
ときどき思う。今でも思う。
なんならずーーーーーーーーーーっと思ってる。
どちらが私らしい生き方だったのだろうか、と。
これを後悔と言わずに何と言うのだろうか、と。
(精神的自立は、駄菓子屋で欲しいものを自分で決めて自分で選んで、
自分で交渉して意見交換して妥協して、それで得たお菓子が何であれ、
それが今の自分の実力なんだと受け入れるところから始まっているように思う。)
私はまだ、あのときの自分のお菓子を
受け入れられないでいる。
私は、石山大樹のように、強く在れなかった。
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8.中学時代