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14. 小学1年生 **小説「先」**
がっこう だいすき。
おともだち が たくさん できたから。
おともだち は 同じクラスの みーんな ぜんいん。
同じクラスの みんな が
わたしの おともだち。
だけど お昼休みは
みんな いっしょに あそばないよ。こまったな。
だから お昼休みは、
おともだち ぜんいんが、
どこであそんでいるか、
ぜんいん みつけるまで きょうしつ に 帰らない
ゲームを するよ。
だんだん じょうずに なってきて、
ゲームが バレたら
ふりだしに もどる ルールに なったよ。
でも すぐに わかるように なっちゃった。
すぐに おわっちゃうよ。こまったな。
のこった じかんで たんけん を するよ。
たんけん だいすき。
でも、たんけん しすぎて、
ときどき きょうしつに もどれなくなるよ。
3じかんめに
クラスの みんなに みつけてもらうよ。
せんせいも いっしょで たのしいよ。
ぜんいん で かくれんぼ。 たのしいよ。
かくれんぼ だいすき。
かくれんぼ を しても、
もう誰も 見つけて くれなく なったよ。
先生に怒られるようになったよ。
ゲームのことを、からかわれる ようになったよ。
遊び方がわからない。
あれ?おともだちと、
どうあそべばいいんだっけ?
**
勉強は好きだけど、学校は苦手だった。
特に休み時間が苦手だった。
そして結局、高校卒業するまで
休み時間の過ごし方の解を求められなかった。
一人で過ごすことは苦ではない。だけど常に1人でいると、クラスの子たちが気を利かせて話しかけに来てしまう。輪に入れようとして来てしまう。
先生たちも気を利かす。話しかけてくる。輪に入れようとする。
だから、いつからか覚えてないが、
4回ある休み時間のうち、2回は1人で過ごし、2回はクラスメイトと過ごすこととする、という自分ルールが可決した。
そんな小学校は生きにくかった。
結構ズル休みした。
物理的に1人でいること=悲しいこと、という価値観がどうして存在するのだろうか?
まったく、、、生きるのって大変だよ。
中学で先生に「学校は社会の縮図」と聞いて
さらに絶望した。こんなに苦しい世界なら、もう私は生きたくないと思った。
この世から消えてなくなってしまいたい。
ずーーーーっとずっと死にたかった。
拡大コピーされた社会の外なら、そう思うこともないのかな?
高校生になっても絶望していた。早く人生終わりたかった。
子供というカテゴリーでくくる社会。
世話がウザかった。早く自立したかった。
海の向こうなら自立できるかな?
同じ=安全=平和 は 本当に正しいのか?
無感情の力技を、平等という言葉で隠しているだけじゃないのだろうか?
遠くに行けば、答えは出る?
ずっと誰もいない気がしてた。
ものすごくひとりぼっちだった。
生きていることにものすごく違和感があった。
でも、大人になったら何か大事な事をやらなきゃいけない気がして、だからとりあえず死んでない。生きたくないけど生きてしまった。
(今ごろどうしてるだろう?)
架空の親友と遊んだ神社は
中学高校生活の間にすっかり朽ち果てていた。
手水舎の屋根は、水盤に覆い被さるように崩れ、ちょっとした廃材置き場みたいになっている。
その後ろに青々と生い茂っていた大きめの藪も刈り取られ、こっちは本物の廃材置き場だ。
お気に入りの場所だったブランコは、かろうじて息をしていた。社も鳥居も鉄棒も全部朽ちた灰色なのに、血の通った赤と黄色がここだけ残っている。
2台あるうち左側は、チェーンごとごっそり無くなっているが、私がよく座っていた右側は、木の座板がまだしっかりしている。
低ーい低ーい座板に、チェーンを信じて体重を乗せ、もう何色だったか覚えてない社の壁を眺めた。
座板より背の高い草を踏み倒して即席の足場を作り、前に後ろに漕いでみると、懐かしいあの頃の音がした。
来週私はアメリカに発つ。
だからその前に、一番古株の親友に会いに来た。
だけどその親友もいなかった。
社の神様より先に出たみたいだけど。
いくら呼んでもいなかった。
まあ、呼んだところで空想だから絶対見えないんだけどね。
これでお別れを言う手間が省けたよ。
帰る場所が欲しいから残ってほしいけど
心細いから一緒に来ても欲しい
そんなことできる?って聞きにきたんだよ。
安心した。
それが答えだね。
***
15.歌舞伎町最終日