かねちといっしょに100km走って気づいた「むき出し」の世界 ~なぜ相手の背景を想像することが大事なのか。やさしさとは何か。〜
皆様お久しぶりです。エマです。
今、ホットなうちにどうしても書き留めておきたかった、私の気づき。
今回の考察は何かというと、小説「むき出し」の著者である兼近大樹先生が24時間テレビで100kmマラソンを走っている間、
「かねちがマラソンで感じることを私も感じたい」という理由で、私も(場所は違いますが)リアルタイムで100kmいっしょに走りました。リモート並走ってやつです。
ランナーが発表された6月2日から当日までの特訓の過程とその日記は、Instagramのストーリーの方にあげていましたが、今回の並走報告書は、もはやインスタストーリーには収まりきれない(笑)超大作になってしまったのと、「むき出し」と核の部分と強烈にリンクした内容なので、むしろこっちの(むき出し考察の)読者の方にこそ届けたいと思い、このたび出張して参りましたん🤘笑
インスタアカウントを見たい人↓
要点だけ知りたい人は以下にまとめました
🏃♀️これまでの経緯
・6月2日にかねちといっしょに走ると決意
・6月8日に10km達成
・6月25日に21km達成
・7月17日 企画第一弾「両国国技館にEXITロゴを描くオールナイトウォーク」(国技館がXのかねちで、国技館に始まり国技館に終わる一筆書き)
※ちなみに超大雨でしたww 念じて歩きすぎて当日ラジエーターの雨を降らしたのはこの私だと自負していますwww✌️
・姿勢矯正器具を3つつけてウォーキング約1週間
・メトロノーム練習 約1週間
⇒現在のフォーム「上半身冒険専用最高級VIPシート&下半身リスリスの実ニホンリス型」走法が完成🐿
・8月5日〜8月21日
企画第三弾「GPSアート」
・8月22日 ファイナルミッション「鷺ノ宮〜海〜空〜鷺ノ宮」62km
ファイナルミッション報告書ハイライト
・8月27日19:30 100kmリモート並走スタート
並走報告書ハイライト
マラソンだけに超長文になっていますが、どうぞお付き合いください。
本日もよろしくお願いします☀️
**********
≪並走報告書5ページ目≫
6月2日のランナー発表の夜。「こんなに楽しそうでワクワクするようなこと1人でやるなんてズルい、私もいっしょに走りたい」と思った。
かねちが練習過程で感じることを私も感じたい。
応援したい!そして自分もワクワクしたい!
いっしょに成長したい!絶対並走する!!と心に決めた。
とはいえマラソン経験どころか
ちゃんとした運動経験もなかった。
最初は、5kmが遠かった。
10km走れたらすごいと思ったし、
20kmが憧れだったし、
フルマラソンなんて、そんな急にできるものじゃないと思ってた。
でもそれが出来なきゃかねちと並走できない。
だから絶対できなくちゃいけない。
かねちは今どんな感じだろう?
かねちと同じことが出来なきゃ。
かねちと並走できない。
かねちは今どんな感じだろう?
早く出来るようにならなくちゃ。
向こうはプロ集団だ。
かねちは今どんな感じだろう?
かねちは今どんな感じだろう?
焦れば焦るほど
自分にないものが多すぎて絶望した。
≪並走報告書6ページ目≫
だって環境が違う。私にはプロがいない。
背負ってるものが違う。私には期待がない。
体格も体力も違う。私はかねちじゃない。
サポートするスタッフの数
応援する人の数
何もかもこれでもかというほど明らかに違う。
無いものを数えるたび、
私なんかがという思考に潰されそうになる。
でもさ、考えてみ?誰が気にするよ?
元々そんな存在お前にゃ居ねぇじゃないか。
なんも無ぇのがお前の強みなんじゃねぇの?
勝手に並走すりゃあいいだろ。
8月中旬の「待」のGPSアートの登り坂。
できない自分もちゃんと待つと決めた。
そして待った結果、いま並走できている。
かねちと並走する夢を、いま叶えている。
これこそ「むき出し」の世界ではないのか。
≪ここからNEW≫
今でこそ、このピンクボーイの背景を私は知ってしまっているし、テレビの企画としてやっていることも知っているので、もちろん皆と同じように頑張って!と画面越しに思う。
休憩所でたくさんのスタッフに囲まれ、アイシングやらマッサージやらを施され、たくさんの人に応援され、それに応えることでさらに労われているキラキラピンクのなんとかボーイを、
小さな外灯の下で一人、スマホ画面から眺める。
(同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていて、この差は一体なんだ?)
ポケットの小銭で無計画に買った水を飲み、自分でルートを確認し、痛む膝をかばうように自分でマッサージをし、分厚い雲を眺めた。
もちろん、もう大人だからわかる。
でも、もし私が子どもだったら、
相手の背景を考える余裕のない状況だったら、
相手に背景があることすら知らない人生だったとしたら、、、
(同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていて、この差は一体なんだ?)
(いや、だめだ、気づいちゃだめだ。)
インスタの通知が鳴る。さっきあげたストーリーにいいね❤がついた。
素人が100km走るなんて言ったら絶対止められると思ったから、実社会では誰にも言わずにここまで来た。だから、いまの私の冒険を支えているのは、3カ月間、毎日欠かさず私の日記を見てくれているストーリーウォッチャーの4人様。
石山くんで言うところの、ママ、ねーちゃん、いもーと、斉藤、か。なるほど、これは、相当、、、相当家族が、友達が大事だ。
石山くんにとって、家族や友達の存在がこんなにも支えになっていたのだと、体感できたのは大きな収穫だ。だけど、この支えが無い人も、現実社会には当然いるってことだよな、、、。
、、、。
私はもうガッツリ兼近ファンだ。だからもちろんガッツリ応援している。でも、もし何も知らないで、兼近が走るこの映像をいきなり見せられて、
「あなたもこうなれるっ!だから頑張って」と知らねぇやつに言われたとして、
その時私は、一体何を思うだろう?
そもそもスタートが違う。
向こうは最初から仲間に囲まれ、カメラにぬかれ、あたたかい声援を背に、キラキラのゴールに向かって走り出していた。
休憩所では、たくさんのプロが処置を施す。
そもそも休憩所があるだけいいじゃないか。
向こうはプロに囲まれ英才教育。
おれはセルフ。
向こうには大勢仲間がいる。
おれには4人。
そしてこれは、きっと連鎖する。
スタートも。ゴールも。なるほどそうか。
これは、交通ルールを破りたくなる。破っても構わないと思ってしまう。
静まり返った普通の道路。
誰もいない。
くそっ、誰か通れよ。手ぇ振らしてくれよ。信号無視しちまうぞ、しねぇけどよ。くそっ、褒めろ誰か!笑
落とし物のハンカチ、踏まれないようにベンチによけといたぞ。転がったペットボトル、拾ってゴミ箱入れといたぞ。オイもっとオモロいもん落としとけよ!笑
くそっ、これじゃボケ足りねぇ。誰もいねぇ。踊るぞ?踊っていいんだな?カメラがないと痛い奴だぞ?いいんだな?
くそっ、踊ってもなんもなしかよ!くそっ。
誰か笑え!!!!!!!
相手の背景を知ることが、想像することが
どうして大切なのか?それは、
同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていても、
彼を羨むどころか一緒に走れたことを生涯誇りに思う理由に等しい。
相手の背景を知らないことが、想像しないことが
どれほど恐ろしいことなのか?それは、
同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていても、
同じでないことに腹を立て、周囲を憎み、環境を恨み、
どうしてお前だけ何のストレスもなく大事そうに扱われているんだと
自分のランをあきらめて、彼を傷つけに行く行為に等しい。
さっきの話に戻る。
もし私が、テレビの世界も兼近大樹のことも、全く何も知らないで、今まさに同じ100kmを走っている映像を見せられて、
「あなたもこうなれるっ!だから頑張って」と知らねぇやつに言われたとしたら、私はどうして?と思う、とおもう。
「私も、同じ距離走ってきましたし、何ならこのまま走れますし、なんなら今自由ですし、どうしてこうならなきゃいけないのですか?あなたが私にこうなってほしいと思うのはどうしてです?」
と、半ギレで理詰めすると思う。
なぜか?
「テレビの世界も兼近大樹のことも、全く何も知らない」からだ。
じゃあ石山くんはどうやった?
といったらやはり、相手に背景があると知ったからだと私は思う。
明るく生きるためには、相手の背景を知ることを自分に許可するしかない。
知る手掛かりがなくとも、なんとか想像するしかない。
でも、それを持ってない側に求めるのは、酷だ。
今回の100km並走で、めちゃくちゃ気づいた。
すげー気づいた。気づいちゃった気づいちゃった、わーいわいだ。
ニュース番組とかでよく兼近先生の言う、
(ニュアンス違うかもしれないけど)
「持ってる側が持ってない側に歩み寄らないと」
「弱者は余裕がない」
「気づいてない」
「この野郎って思ってる」などなど、
これらすべてが、全部つながった。全部。
そっかぁ、、、、こんなに余裕がないんだ。
私たちの想像する、はるか何百、何千倍も。
同じ期間準備して、同時刻にスタートして、同じ距離を走っていて、
それでもなお、画面の向こうの大人たちは
何も持っていない私の方に
「がんばれ君もこうなれる」「相手の背景を知ろ」「相手のことを考えよ」「勉強しろ」「助けを乞え」「情報を集めろ」 と言うだろうか?
やさしさとは何か?
沿道で「大丈夫?」と声がけすることか?
「とりあえず1キロ先まで乗っていきます?」と助手席に乗せることか?
無料の給水所を増やすことか?
セグウェイ支給か?
動く歩道か?
それともいっしょに歩いてあげることか?
SNSで話し相手になってあげることか?
私は嬉しかった。
いま私は石山くんだ。
この感覚を絶対忘れないでおこう。
そして、忘れたときは、また100km走ろう。
《並走報告書に続く》
完走1週間後の続編はこちら↓↓↓
【2】なぜ共感が階層をつなぐ階段になるのか
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