「むき出し」考察29:むき出しの太陽を裸眼で直接見続ける方法!〜 なぜ、あの自由律俳句が「階段」になれたのか?〜 ☀️
こんにちは、エマです。
前回の考察で、「共感が階段になる」というファイナルアンサーまでたどり着き、もーーぉこれ以上の気づきは無いだろうと思っていましたw
ところが昨日の朝ランで偶然、
太陽を裸眼で直接ジーーーーっと見続けられたことに大大大感動してですね、
「そうか!この条件ならずっと見続けられるぞ!
てことは、石山くんが見た太陽も同じ条件下だったんじゃないか?」と思いながら、家に帰って小説「むき出し」開いたら、
驚くことに、その条件が、そのまんま書いてあるんですよ!!
しかも、その最大のヒントを著者・兼近大樹は
本が出る前からずーーーっと言っているんですよ!!!!
もぉーーーーーーーー💦
わたしのばかばかばかばかぁぁぁぁぁ💦
うわーくやしい!あぁ、、、もう、、、
なんでもっと早く気づかなかったんだろう。涙
考察第二章、なんなら今までの考察をもう一回全部やり直すべき程、どでかい発見と衝撃を受けました!!シェアします!!
本日もよろしくお願いします💛
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太陽を裸眼で見る条件1:冬の朝日
【証拠1】5歳で見た太陽は冬である
早起きして外に出て見た太陽ですから、そりゃ朝日に決まっています。
でも、どうして私は
今までそれに気づけなかったのか?
じつは、以前の考察で季節を読み間違えていたんです。
(ヘンタイ考察「上空とのラブシーン」)https://note.com/preview/n7ef4fbbcd5d2?prev_access_key=ae9250b2215e0bdd49d70d0b0756e230
太陽を肉眼で見て、今日一日のスタートの合図にした後の、さくらんぼや赤ちゃんとうきびの描写から、この太陽は5月下旬から6月下旬だと思っていました。
「太陽はおれに見て欲しそうに上にあって」と書いてありますし、てっきり昇りきった太陽だろうと。
私がランニングを始めたのは6月。
6月の朝日は、午前6時には既に昇りきっています。だから「この朝日を肉眼で見れたのすごくない?」って思っていました。
そして!太陽を肉眼で見れた12月の朝!
大興奮で帰宅し、改めてよーく読み返して見ると、冒頭で「早起きして外に遊びに行くのがおれの仕事」と言っているではないですか!
てことは、日課だ!!!
だとしたら、これは5,6月に限定してはいけないかもしれない!
てか、「一日のスタート」と、「昨日のさくらんぼ」の間に、一行あいてるおーまいがー!!
だとしたら、この日の季節は、
朝起きてからの描写に従うのが妥当。
それは「靴がうさぎ」、つまり冬!
と、ラジオでも言ってます。うわーそうかー
なんでこのヒントに気づかなかったんだろう。涙
そして、この5歳の朝日は、
冬と仮定した方が、日の出時刻がしっくりくる。
4つ上の兄がまだ寝ているということは、小学校の登校時刻よりもだいぶ前の時間ということ。
朝ランニングしていると、もう7時すぎには小学生たちがランドセル背負って登校しているのを見かけます。小学校のスケジュールは昔も今もそんなに変わりはないと思うので、この5歳の石山くんが脱走していたのは、遅くとも6時台だったのかなぁと。
ママが仕事に行く用意をしているということは、朝ごはんも作り終えて、身支度も終わっていて、もうそろそろ子ども起こした方がいいかな、みたいな時間でしょうから4時5時でもないはず。
そして、12月の北海道の日の出を調べたら6時50分台。
この日の出を見るために、5歳の石山くんは、
①寝ている3人の横をそーっとすり抜けて、
②箒でゆーっくりチェーンを外して、
③見慣れたおれんち全体が見えるくらい外に出て、
④小屋に向かって砂利をすすみ、
⑤ハイエースと材料の間をすり抜け、アスファルトまで出る
というミッションがありますから、6時半にスタートしたとしても
おれのスペシャル観測所への到着はギリでしょうね。笑
冬の朝日である【証拠2】
プロローグの「灰色の空間」と「生業」
ヘンタイ考察2 灰色の空間
https://note.com/preview/na2f01d2a219d?prev_access_key=09487b387e32fa3704284366eaa14f03
↑上の考察で、私は、この5歳のスタートと、プロローグの番組開始のスタートはリンクしている、と書きました。そのうえで、、、
この5歳の脱走が「仕事」で
プロローグの番組スタートが「生業」なら
この2つが「日課」で大きくリンクするんです!!
そして、灰色の空間。
はい、上の画像は日の出直前の空の色です!
そうか、日の出前の空はグレーなのか!!だからスタジオも灰色なのか!!
だから5歳の太陽も、日の出直前で灰色の空!!
だから絶対冬だっ!!(決めつけたなオイww笑)
冬の方が乾燥しているので、光を遮るものが空気中に無く、星も夜景も空も景色もぜーんぶ綺麗に見えます。冬の特権ですね✨
また、冬は、太陽の軌道が低くなるので、朝日の光が目線の高さまで下がります。
そして、太陽は、地平線に近づくほど目の錯覚で大きく見えます。(理由は分からないそうです。ロマンですね✨)ということは、やはり日中よりも朝日の方が大きく見えるってことです。
つまり、夏より冬、そして日中より朝日の方が
太陽が①キレイで ②まぶしくて ③大きく見える
と言えるのではないでしょうか?
太陽を裸眼で見る条件2:雲あり風なし
絶景写真集とか見ると一目瞭然ですが、風がない方が景色は綺麗に見えます。それに、風があると目がシバシバしますしねw
で、大事なのは雲!そう、5歳の石山くんと、上京時の石山くんも言っているように、風でこの雲を散らしちゃいけないんです!
朝ランニングするとき、きれいな朝日をずっと見ていたいと毎回肉眼でトライするのですが、
遮光板代わりの雲が、良い感じに太陽の周りをジーーっと覆ってくれてないと眩しすぎて10秒も見ていられないんです。
つまり、太陽を肉眼で見るには
①雲は太陽を隠さないくらい控えめに出ていて、
②そして風は雲を動かしてはいけない と言えるのではないでしょうか?
太陽を裸眼で見る条件3:涙を浮かべて泣いていること
私ここんとこずっと泣いています。
きっと仕事の忙しさでしょうね。
なので、
意識的に定食ものをたべて、
意識的に湯船につかって、
意識的に寝て、
意識的に朝日を浴びるランをしています。
気温3℃。
グレーの空。西には満月。上には星。
静寂を包む乾いた空気。
横一線に果てしなくのびる地平線のような雲。
その奥の奥からオレンジ色の光が漏れており、
まるで水彩画のようなきれいなグラデーション。
あぁ、きれいだ。
走りながらこれまでの思い出がよみがえってきました。
辛かった思い出も全部フラッシュバックしました。
どうしていっつも、こんななんだろう。
私の人生を順不同でむき出しながら、
どれが本当でどれが嘘かも分からない思い出の1つ1つに涙を流しました。
あぁ、朝日だ。いつもよりおっきい。
あれ?太陽が見える。輪郭が下半分くっきり見える!!
眩しくない!見える!見え過ぎる!なんで?どうして?
、、、石山くんと一緒だ
太陽を、直接見れてる
うぅ、、、嬉しい、、、
んあぁっ!!!!そうか!!!!
そういうことか!!!
だから肉眼で太陽が見れたんだ!!!
泣いてたんだ!!!!!
石山くんが太陽を見た時、
涙を流して、泣いていたんだ!!!
辛い時もあったのかもしれない。
喜びをかみしめた時もあったかもしれない。
純粋に太陽に感謝した時もあったかもしれない。
泣けば泣くほど、太陽が見えるっ!!!!
心を動かし、精一杯生き、
今日を適当に楽しもうと
その日1日のスタートに感謝し、涙する。
5歳児が、日課で、朝日を見て、
泣きながら感動してスタートを切ってたってことだ!!!!
石山くんの感性、スゴすぎ!!!
、、、。
、、、、。
こんな感情、はじめてだ。
いま、肉眼で太陽を見れていることに感動し、
この感動を石山くんは共有したかったんだと分かってまた感動し、
そしてこの感動を、又吉先生が言語化したことで
石山くんは「階段」を見つけたんだと分かってまた感動して泣いた。
そして、泣けばなくほど、太陽の輪郭までくっきり見え、
くっきり見えれば見えるほど、それに感動してまた余計泣け、
余計に泣けばなくほど、太陽の輪郭が余計くっきりと見え、
もうまさにエンドレスリピート!
、、、。
これほんとすごい。永遠と太陽を見れる。
人間こんなこと出来るんだ。
もう何秒も、何分も太陽を見続けられている。
まじすげー。こりゃ感動だ。
しかも毎日見れるもんじゃない。
冬の朝日で、
雲、風、天候などの条件がバッチリそろい、
なおかつそれに心動かし、
感動の涙を浮かべていなければ
太陽を肉眼で直接見続けることなどできない!!
この奇跡。
この剥き出しの太陽を、
人生であと何回見れるだろうか。
昇る朝日。感謝の涙。
この好きなタイプが、すでに大大大ヒントだったんだ!!
これが階段の正体だ!!!
なんだよこんなの小説出版前からずーっと言ってたじゃないか!!
あーもー💦くそーーー💦
なんで分からなかったんだ!!
うぅー悔しい!涙
そうかだから中島さんは、「趣いれてくんな」って返したんだ!!
知ってたからだ!!!
中島さんも涙流して朝日を見たことがあるってことだ!!!!
うぉーーなかじまぁーーーーーー!!!😭✨笑
朝までクラブのチャラ男だもんな!!
中島も仲間だったんだ!ごめんね💜
≪前回の考察より≫
≪階段ってすげーな「共感」が、ほんとうに階層をつなぐんだな。
たぶんきっかけは何だっていい。
なにかその人にとっての、特別な出来事と、強烈にリンクさえできれば。≫
5歳のころのあの特別な感動が日課だった。
でも人生で誰とも共有できなかった。
だから、この感動を又吉先生と共有できた時、
とんでもなくゴージャスな大階段が現れ、
その大階段とご対面して、
はじめて石山くんは、隔ての向こうにいたのだと気づいたんだ。
そっか。だから太陽がこの小説のキーになっているんだ。
だから又吉先生の、あの自由律俳句なんだ。
だから、
って言うんだ!!笑
うん確かに!本当に同じ条件で見た太陽なのか、
又吉先生、私も説明欲しいです!!笑
そして20歳の時は、なぜ見るのを止めたのか?
①「控えめな雲」とあるから、遮光板代わりの雲が足りなかった。
②人との距離がラブシーン並みに近い満員電車ということは、おそらく7時半~8時半なので、太陽が昇りきっている。
だと私は考えます。
もう何分見てるだろう。汗も引いて寒いから、写真はこのくらいにして、走りながら見よう。
あぁ涙が止まらない。
泣けばなくほどくっきり見えるなんて
なんて文学なんだろ。ブンがぁーく!!笑
嬉しいのと悲しいのと焦りと喜びのチャンプルだ。
あとすこし、あの上半分のあの雲さえ退けば、
太陽の輪郭が綺麗な〇になる。そしたら10秒数えよう。よし、きた!!うわぁきれいな〇だ!!
オレンジのでっかい綺麗な〇だ。いくぞ、10、9、8、、、ヤベェ、余裕だ。目ぇ全然痛くない。泣きすぎだwwwww
あ、オチがなくてすいません。
以上です💜
12/11追記
ちなみに、10日の朝と11日の朝に
もう一度見れるかどうか試みましたが
雲の条件が揃わず無理でした。
遮光板の雲、めっちゃ大事!!!!
やっぱりあれは奇跡でした。
、、、てことは「雲」にも何かあるのか?
☀️考察第二章、いずれスタート☀️
みんないつも有難う!
これからもよろしくね!!
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